信仰と希望と相愛

藤井武

新約聖書に於て信仰といへば勿論十字架につけられしイエス・キリストを信ずる事である。希望といへば大抵キリストの再来とそれに伴ふ凡ての恩恵とを待ち望む事である。そして罪の世にありながら此信仰と此希望とを共にし従てその為の患難をも共にする者の間には自ら特別の愛が湧き起らざるを得ない。使徒時代の信者たちがさうであつた。今日の我等も亦さうである。かくて我等も亦、「キリストの言をして豊かに我等のうちに住ましめ凡ての智慧によりて詩と讃美と霊の歌とをもて互に教へ互に訓戒し恩恵に感じて神を讃美」しようと思ふ。(コロサイ三の一六)

「教友」第一号 一九一八年四月