イエスがガリラヤ地方で始めて福音を宣べ伝へ給うた時の言葉は「天国は近づけり、悔改めよ」であつた。そして此短い言葉こそは基督教の正味であると私は信ずる。
天国とは教会のことではない。又進歩の終局に達した社会のことでもない。さればとて信者の心の状態でもない。天国とは聖書に明かに示してある通り、神自ら人の間に宿り給ひ、人まのあたり神を拝し、罪なく死なく、悲みなく痛みなく、宇宙万物に大調和ありて、愛といのちと光とで充ちて居る完全の世界である。然らば誰か天国を慕ひ求めないであらう乎。
基督教は最初から天国を約束して居る。決してそれよりも低いものを約束しない。そしてその天国は我等の方から進んでそこに昇るのではなくて天国の方から降つて我等に近づくのであるといふ。否すでに近づいて居るといふ。さらば我等はどうして之を迎へる事が出来るか。曰く「悔改めよ」と。
悔改とはただ道徳的に罪を悔いる事ではない。心を新にする事である、霊が生れかはる事である。十字架の上のイエスを認め「我主よ我神よ」と呼びて彼に依りすがる事である(ヨハネ二○の二八)。それより外に一つも悔改はない。
そして此悔改をした者が必ずかの天国に入る事が出来るといふ。之が基督教である。故にイエスを神と認めない者(悔改なし)、又は其再来を信じない者(天国なし)は共に基督者ではない。
「教友」第一号 一九一八年四月