今も活動している霊――エペソ二・二

T. グッドウィン

勝利者誌 一九一四年 六巻 十・十一月号 掲載。エペソ二章についての説教から。より読みやすくするために、言葉の追加や繰り返しの削除をしています。

「というのは、私たちの格闘は肉や血に対するものではなく、主権者たちに、権威者たちに、この暗闇の世の支配者たちに、天上にいる悪の霊の勢力(文字どおりには『霊であるところの悪』あるいは『高き所の霊的な悪』)に対するものだからです。」――エペソ六・十二。
「……この時代の流れ(欄外)空中の権威の支配者にしたがって、今も活動している霊の支配者にしたがって……」――エペソ二・二、改訂訳。

第一に、今も活動しているについて記されています。彼(サタン)がその支配者です。霊であるところの彼の悪魔ども(悪鬼ども)と、彼による活動について示されています。また、彼の悪魔ども(悪鬼ども)が人々の中に息吹き込むあの共通の注入について示されています。

1.彼がこのように活動している「霊ども」の支配者であることは(中略)彼らの働く方法と関係しています(中略)彼らは人々の中で「」として活動するのです……。エペソ六・十二で使徒は「私たちの格闘は肉や血に対するものではなく、霊的な悪に対するものです」と述べています。それは霊であるところの悪です……。

これをあなたに少しずつ説明しましょう。神は人を御使いたちより下に(御使いたちよりも劣るものとして)造り、他の被造物を人の下にされました。(中略)さて、神のすべての働きに共通する特別な一つの規則は(中略)最初から最後まで(中略)一つの被造物が他の被造物よりも高くなるとき、自分より劣るものにできることがすべてできるようになる、ということです――卓越したことや、それ以上のことを、みなできるようになります。例えば、獣が持っている感覚を人はすべて持っていますし、とりわけ、理性を持っています。

さて、この霊どもが働く方法についてですが、御使いたちは霊であるので、人が他の人に働きかけるのと同じ方法で、御使いたちも働きかけることができるだけでなく、それ以上のことができます。人が他の人に働きかけるには、どのような方法を用いなければならないでしょうか?会話によって(中略)外面的に目標を示すことによって(中略)脅しや罰などのようなことによって、働きかけることができます。しかし、悪魔はこれをみな行えるだけでなく、それ以上のことができます。彼は人が現れるように現れることができますし、会話によって自分自身を人に伝達することができます。それだけでなく――というのは、これは人の上に働く活動にすぎず、人の内における活動ではないからです――悪魔は「想像」の中に忍び込むことができます。気質の中に、人の体の情欲の中に忍び込むことができます。これはその人の気質に大いによりますが、そうした気質に基づいて働くことができるのです。

(中略)ですから、一人の人が他の人に自分の思いを伝える時、密かに気づかれずにその思いを人の中に忍び込ませて持ちかけることはできませんが、それは人同士が同じ階層に属する被造物だからです。御使いたちも同じ階層に属しており(中略)ひとりの御使いは他の御使いに働きかけて、あれこれ説得することはできますが、その中に働くことはできません。しかし、悪魔は御使い(霊)であり、御使いは人よりも優れた被造物なので、人にはない方法で自分自身を人に伝えることができます。それでも、悪魔には神が持っておられる方法はありません。悪魔には心がわからないからです。しかし、彼は「想像」や「感情」に働きかけることができます。意志は愛情や感情とつながっており、彼はそれらに働きかけることができます。悟性は想像とつながっています。彼はそれに働きかけることができ、(想像を通して)悟性に働きかけることができるのです……。

悪魔は私たちの中で何ができるのか、と問われるなら、私はこう答えます。

悪魔は、第一に、気づかれずに、として、自分の望む思いをあなたの中に入れて、なんでももちかけることができます。それを想像の上に銘記することができます。すると、いずれ、悟性がそれを受け入れることになります。ヨハネ十三・二に、悪魔は「ユダの心の中にキリストを裏切ろうとする思いを入れた」とあります。悪魔がユダの中で働きました。彼は思いを取り去ることや、思いを入れることができます。(中略)ルカ八・十二では、悪魔は蒔かれた種を奪い去る鳥、力ずくでもぎ取る鳥になぞらえられています。種を盗み去るだけでなく、力ずくでそうするのです。説教を聞いている人の思いを逸らして、他のことを考えさせます。悪魔は熱心に毒麦を蒔きます。夜中に、気づかれずにです。種が気づかれずに土地に蒔かれます。特に夜中にです……。

また、私の兄弟たちよ、加えて言いたいのですが、もし私たちが罪を犯していなければ、悪魔には私たちの内で働く力はなかったでしょう。(中略)しかし今や、私たちは罪人なので、悪魔は、特に自分のものである者たちの中で、気づかれずに働いて、どんな思いでも入れることができますし、あるいは、彼らの心の中からどんな思いでも奪うことができます。

それだけでなく、悪魔は使徒五・三のように、人の心を満たすことができます。ぶどう酒が人の血管を満たして、新たな生気と力を与えるのと同じです。あるいは、風が風笛を満たすのと同じです。なぜなら、再生されていない人々の心は、言わば、この点で悪魔の楽器と言えるからです。悪魔はそれらの中に息吹き込んで、それらを破裂させます……ひとたび彼らがそれに同意するなら、そうなります。ダニエル十一・一の良い御使いは言いました、「私はメデアの王と共にいて、ユダヤ人を解放しようという彼の意図を支え、力づけます」。(中略)サタンもそうすることができます(中略)彼は人に自分の提案を入れます。特に、彼のものである人が彼に場所を譲る時、彼は中に入ります。聖徒の場合、サタンはその時のために中に入る許可を神から得なければなりません。その時、サタンは(サタンによって鼓舞された)その決意を支え、力づけることができます。その人をその中に捕らえて、その人に加担します。そのため、その人はものすごい力を与えられて持つようになります――自分の霊の他に別の霊を自分の中に持つようになります。ミカ二・十一では偽預言者たちについて述べてこう言っています、彼らは「霊により歩いて、偽りを語る」。同じ句が、聖霊に力づけられた人の聖霊による歩みについて用いられています……。

2.さて、「今も活動している霊」という御言葉の二番目の解釈に移ることにします。それは……これらの悪鬼どもの働きの効果についてです――あの共通の霊を悪鬼どもは、近年、不従順な子らの中に興しています。それを使徒は一つの例として持ちだして、それがどのように活動しているのかをエペソ人たちが理解できるようにしました。それがどのように活動しているのか、そこでどのような霊が人々の中で神に逆らって、またキリストに逆らって活動しているのかわからないのですか?と彼は述べています。悪魔がその支配者です……。

このエペソ人たちを例にあげましょう。というのは、使徒は彼らの間で働いていたあの霊を指摘しているように思われるからです。使徒十九章により、パウロがエペソにいた時、そこでどのような「霊」が出現したのかがわかります。その時、その都の住人がみな突然集まって、都中が混乱に満ちました。しかも……「その大部分は何のために集まったのかもわからなかった」のです。彼らはパウロを法廷の席に引きずり出そうとして、彼の連れであるガイオとアリスタルコを捕らえ、「一つ思いで劇場の中に突入」しました。この間ずっと、彼らはそれが何のためかわかっていませんでした。その後、約二時間の間、彼らは一つ声で自分たちの女神であるアルテミスに叫び、イエス・キリストに反対して叫びました。しかし、なぜ彼らはこのように自分たちの女神に叫んだのでしょう?もちろん、悪魔がその中にいたからです。このがどのように活動しているのかわかりませんか?と使徒は述べます。テルトゥリアヌスの護教論や、初期に記された書き物を読むと、彼らが異教徒たちにこう言っているのを見いだします、「なぜあなたたちは私たちを迫害するのでしょう?何が問題なのでしょう?あなたたちは私たちの道を理解していません。他の宗派は放っておけるのに、なぜ私たちには干渉するのでしょう?あなたたちが迫害しているのは名称にすぎません――あなたたちはそれ以上のことを知りません」。確かに、しかし私の兄弟たちよ、悪魔はよく知っていました。そこで、異教徒たちの間に、クリスチャンたちに敵対する共通の霊を興したのです。

悪魔はどの時代にも様々な種類の霊を興しますが、それでも依然として同じ悪魔です。今も活動しているがわかりませんか?と使徒は言いました。当時、異教主義の霊によってキリストに対する激しい敵対が引き起こされました。そして、当時働いた反キリストの霊は、「今、世の中にいる反キリストの霊」でもあります。(中略)なぜこのような反対がと呼ばれているのでしょう?

それは、私の兄弟たちよ、理性よりも霊によって事が運ぶことがしばしばあるからです。パウロは言います、「私は聖徒たちに対して激しく怒りました」(使徒二六・十一)……「私は怒った」と彼は述べています。そして怒りは、ご存じのように、理性に反して理性を超えて、その事柄自身の性質を超えて事にあたることです。つまり、悪魔がその中にいるからであり、悪魔がそれを促しているからです……霊によって、悪魔は彼らの中で扇動しているのです。

そして、それは霊とも呼ばれています。なぜなら、それは活動的で、高等で、暴虐だからです。黙示録十六・十三で、反キリストが生き残りをかけた最後の行動に導かれた時、彼は霊どもを遣わしました(遣わしたのは悪魔と反キリストの両者です。彼らは両者の口から出てきたと述べられているからです)。使徒は彼らを霊どもと呼んでいます。その理由は何でしょう?彼らは「悪魔の霊ども」と述べられており、それゆえ、本来の人よりも活動的だったのです……

さて、それはこのように興された特別な霊です――舞台が変われば変わる霊です――ですから、それは一般的な霊、共通の霊であり、それに不従順の子らは同意している、と使徒は述べています。私の兄弟たちよ、彼の王国が専制君主国である理由、彼らがひとりの支配者をいただいている理由は……これです。いにしえの蛇である、ひとりの大いなる悪魔がいるからです。彼には大いなる頭脳、大いなる才知があり、なおもなすべきことを画策し、世界のあらゆる変化や運動や動きを、しかるべく導きます……

サタンは、言わば、大いなる独裁者であり、彼より劣る悪鬼どもはみな、その意向を汲み取って、同じ霊を自分たちがその中で働いている人々の中に息吹き込みます。それゆえ、彼は「活動している霊(単数形)」の「支配者」であると、ここで述べられています。霊が単数形で述べられている理由は、彼らの支配者がひとりだからです。ひとりの支配者が他のすべての霊を導き指導して、こうして一つの道を行かせ、人々の心の中に一つの同じ衝動を生じさせます。この黙示録十六・十三、十四では、彼らは三つの霊と述べられていますが、それでも彼らは同意して一つになります。また、彼らはみな龍の口から出てきます……そして、一つの息が出てきました……彼らはみな一つの計画・たくらみに同意しました。それは地と全世界の王たちのもとに出て行って、キリストとの戦いのために彼らを集めることでした……

私たちの主であり救い主であるキリストが十字架につけられた時、サタンが同じ息を息吹いたことは明らかです。ヘロデとピラトは敵対しあっていましたが、それでも、キリストを十字架につけることを共謀しました。なぜでしょう?この世にひとりの支配者がいて、キリストの中にはなにも持ってはいなかったものの、それでも、彼らの心を全く支配していたからです。ですから、詩篇二篇には、「なぜ、異教徒は荒れ狂い、地の王たちは立ち構え、支配者たちは共に企み、主に逆らい、また彼の油塗られた方に逆らうのか?」とあります。実を言うと、悪魔が彼らの中にいたのです。「今はあなたたちの時である」とキリストは言われました。「暗闇が権威を握っています」。つまり、暗闇の権威である悪魔が、「あなたたちという手先によって、わたしに対して権威を握って」いたのです。