第三章 無学な人でも実行できる祈り

ガイオン夫人

私はここで文字を読めない人々に向かって語りたいと思います。* 文字を読めなくても、祈ることはできます。イエス・キリストは内側にも外側にも文字の記されている本です。キリストはすべてをあなたに教えてくださいます。

訳注
*このページを御覧になっている方はみな、文字を読めるはずです。しかし、どうかこの章を読み飛ばさないでください!なぜなら、この章は文字を読める人にも大きな助けになるからです。前世紀まで、世界の大半の人は文字を読めなかったことを、どうか心に留めてください。ガイオン夫人はそのような人々に向かって語ったのです。もしこの本を、文字を読めない人に読んで聞かせてあげるなら、きっと大きな助けになるでしょう。

あなたが実行すべき祈りはこれです。あなたはまず第一に、「神の国はあなたたちの内にある」(ルカによる福音書十七章二一節)という基本的真理を学ぶ必要があります。神の国をただそこにのみ求めなければなりません。

(牧者は自分の群れに、教理を教えるだけでなく、祈りを教える義務があります。彼らは人が創造された目的を信者に教えていますが、創造の目的に達する方法を十分に教えていません。)

最初に、神を深く礼拝し、神の御前で自分を無にしてください。そして、目を閉じ、魂の内なる目を開いて、内側に向かってください。あなたは、自分の内に神が住んでおられることを信じる必要があります。この生ける信仰によって、神の臨在の中に入りなさい。感覚が外側をさまようのを許してはなりません。できるだけ、感覚を服従させなさい。

それから、自分の母国語*で主の祈りを繰り返しなさい。「天にまします我らの父よ」という言葉から始めなさい。言葉の意味にあまりこだわらずに、内側に住んでおられる神が自分の父であることを信じなさい。そして、自分の必要を御父の御前に注ぎ出しなさい。「父よ」と言った後、しばらくの間、静まりなさい。あなたの天の御父がご自分の御旨を明かされるのを待ちなさい。

訳注
*今日、主の祈りを自分の母国語で祈るのは、ごく当たり前のことです。しかし、ガイオン夫人の時代、カトリック教会ではラテン語が礼拝等に用いられていました。

また、自分がか弱い子供である事実をよく見つめなさい。あなたは、何度も転んで泥だらけになり、ひどく傷ついた子供のようです。あなたには、立つ力も、自分を清める力もありません。へりくだって、あなたの痛ましい状態を御父に見てもらいなさい。時々、愛と悲しみの言葉を、一言、二言、混ぜなさい。それからまた、主の御前で静まりなさい。その後、主の祈りを続けなさい。「あなたの御国が来ますように」と言う時、栄光の王である主が自分の内を統治されるよう求めなさい。自分を主に明け渡しなさい。そうすれば、主があなたを治めてくださいます。主が自分を治める権利を持っていることを認めなさい。

平安と静けさに引き寄せられるのを感じたら、その感覚が続くかぎり、次の言葉に移ってはなりません。この感覚が過ぎ去ったら、主の祈りの次の言葉に進みなさい。「あなたの御心が天でなされるのと同じように、地でもなされますように!」。この御言葉を祈りながら主の御前でへりくだり、主のすべての御旨が、あなたの中で、あなたを通して成就されるよう、熱心に主に求めなさい。あなたの心を主の御手に明け渡しなさい。自分に対して御心を行う権利を、主に与えなさい。神の御旨は、あなたが自分の意志で彼を愛することです。これを知る時、あなたは愛することを願うようになるでしょう。そして、神の愛を乞い求めるようになるでしょう。この祈りは、最初から最後まで、甘さと平安のうちになされるでしょう。主の祈りの残りの部分も、同じように祈ります。

形式的な祈りや習い覚えた祈りを、何度も繰り返す必要はありません。なぜなら、私が示したように主の祈りを一度祈るなら、豊かな実を結ぶからです。

また別の時、あなたは牧者なる主のもとに行きたくなるかもしれません。それならば、牧者に真の食物を求める羊として、主のもとに行きなさい。主のもとでこう言いなさい。「おお、神聖な牧者よ、あなたはご自身をもってあなたの群れを養われます。あなたこそ真に、私の日毎のパンです」。あなたはまた、自分の家族の必要を主に打ち明けることもできます。しかし、あなたが何をするにしても、次のことを信じつつ行いなさい。すなわち、神は自分の内におられる、ということを信じなさい。

神に関するあなたの観念には、何の価値もありません。主の臨在を信じる生ける信仰で十分です。なぜなら、あなたはいかなる神の像も造ってはならないからです。イエス・キリストを自分の内なる中心の中に求め続ける時、あなたは、彼の誕生、十字架、他の何か神秘的な状態を見つめることによって、彼の像を造り上げてしまうかもしれません。しかし、そうしてはなりません。

別の時、あなたは医者なる主を見上げることもできます。あなたのあらゆる病を主に診てもらいなさい。しかし、不安を抱いてはなりません。そして、しばしば静まりなさい。この沈黙の時間は次第に増えていくでしょう。そして、あなた自身の努力は次第に減っていくでしょう。最終的に、あなたは自分を神の働きに絶えず委ねるようになるでしょう。その結果、これから述べるように、神があなたを全く統べ治めてくださるでしょう。

神の臨在があなたに与えられます。そして、あなたは静けさと安息を味わい始めます。この時、神の臨在のこの経験的な享受は、あなたを第二段階の祈りに導きます。もし私が示した方法を実行するなら、あなたも、教養ある人と同じように、第二段階の祈りに達することができます。しかし、最初から第二段階の祈りを実行できる恵まれた人々もいます。