ヨハネ傳福音書

第一章

1太初(はじめ)(ことば)あり、(ことば)(かみ)(とも)にあり、(ことば)(かみ)なりき。 2この(ことば)太初(はじめ)(かみ)とともに()り、 3(よろづ)(もの)これに()りて()り、()りたる(もの)(ひと)つとして(これ)によらで()りたるはなし。 4(これ)生命(いのち)あり、この生命(いのち)(ひと)(ひかり)なりき。 5(ひかり)暗黒(くらき)()る、(しか)して暗黒(くらき)(これ)(さと)らざりき。 6(かみ)より(つかは)されたる(ひと)いでたり、その()をヨハネといふ。 7この(ひと)(あかし)のために(きた)れり、(ひかり)()きて(あかし)をなし、また(すべ)ての(ひと)(かれ)によりて(しん)ぜん(ため)なり。 8(かれ)(ひかり)にあらず、(ひかり)()きて(あかし)せん(ため)(きた)れるなり。
9もろもろの(ひと)をてらす(まこと)(ひかり)ありて、()にきたれり。 10(かれ)()にあり、()(かれ)()りて()りたるに、()(かれ)()らざりき。 11かれは(おのれ)(くに)にきたりしに、(おのれ)(たみ)(これ)()けざりき。 12されど(これ)()けし(もの)(すなは)ちその()(しん)ぜし(もの)には、(かみ)()となる(けん)をあたへ(たま)へり。 13かかる(ひと)血脈(ちすぢ)によらず、(にく)(ねがひ)によらず、(ひと)(ねがひ)によらず、ただ、(かみ)によりて(うま)れしなり。 14(ことば)肉體(にくたい)となりて(われ)らの(うち)宿(やど)りたまへり、(われ)らその榮光(えいくわう)()たり、()(ちち)獨子(ひとりご)榮光(えいくわう)にして、恩惠(めぐみ)眞理(まこと)とにて滿()てり。 15ヨハネ(かれ)につきて(あかし)をなし、(よば)はりて()ふ『「わが(のち)にきたる(もの)(われ)(まさ)れり、(われ)より(さき)にありし(ゆゑ)なり」と、()(かつ)ていへるは()(ひと)なり』 16(われ)らは(みな)その()滿()ちたる(うち)より()けて、恩惠(めぐみ)恩惠(めぐみ)(くは)へらる。 17律法(おきて)はモーセによりて(あた)へられ、恩惠(めぐみ)眞理(まこと)とはイエス・キリストによりて(きた)れるなり。 18(いま)(かみ)()(もの)なし、ただ(ちち)懷裡(ふところ)にいます獨子(ひとりご)(かみ)のみ(これ)(あらは)(たま)へり。
19さてユダヤ(びと)、エルサレムより祭司(さいし)とレビ(ひと)とをヨハネの(もと)(つかは)して『なんぢは(たれ)なるか』と()はせし(とき)、ヨハネの(あかし)はかくのごとし。 20(すなは)()ひあらはして()まず『(われ)はキリストにあらず』と()ひあらはせり。 21また()ふ『さらば(なに)、エリヤなるか』(こた)ふ『(しか)らず』()ふ『かの預言者(よげんしゃ)なるか』(こた)ふ『いな』 22ここに(かれ)()ふ『なんぢは(たれ)なるか、(われ)らを(つかは)しし人々(ひとびと)(こた)()るやうにせよ、なんぢ(おのれ)につきて(なに)()ふか』 23(こた)へて()ふ『(われ)預言者(よげんしゃ)イザヤの()へるが(ごと)く「(しゅ)(みち)(なほ)くせよと、荒野(あらの)(よば)はる(もの)(こゑ)」なり』 24かの(つかは)されたる(もの)はパリサイ(びと)なりき。 25また()ひて()ふ『なんぢ()しキリストに(あら)ず、またエリヤにも、かの預言者(よげんしゃ)にも(あら)ずば、(なに)(ゆゑ)バプテスマを(ほどこ)すか』 26ヨハネ(こた)へて()ふ『(われ)(みづ)にてバプテスマを(ほどこ)す。なんじらの(うち)(なんぢ)らの()らぬもの一人(ひとり)たてり。 27(すなは)()(のち)にきたる(もの)なり、(われ)はその(くつ)(ひも)()くにも()らず』 28これらの(こと)は、ヨハネのバプテスマを(ほどこ)しゐたりしヨルダンの(むかひ)なるベタニヤにてありしなり。
29()くる()ヨハネ、イエスの(おの)(もと)にきたり(たま)ふを()ていふ『()よ、これぞ()(つみ)(のぞ)(かみ)羔羊(こひつじ)30われ(かつ)て「わが(のち)(きた)(ひと)あり、(われ)にまされり、(われ)より(さき)にありし(ゆゑ)なり」と()ひしは()(ひと)なり。 31(われ)もと(かれ)()らざりき。()れど(かれ)のイスラエルに(あらは)れんために、(われ)きたりて(みづ)にてバプテスマを(ほどこ)すなり』 32ヨハネまた(あかし)をなして()ふ『われ()しに、御靈(みたま)鴿(はと)のごとく(てん)より(くだ)りて、その(うへ)(とどま)れり。 33(われ)もと(かれ)()らざりき。されど(われ)(つかは)(みづ)にてバプテスマを(ほどこ)させ(たま)ふもの、(われ)()げて「なんぢ御靈(みたま)くだりて(ある)(ひと)(うへ)(とどま)るを()ん、これぞ(せい)(れい)にてバプテスマを(ほどこ)(もの)なる」といひ(たま)へり。 34われ(これ)()て、その(かみ)()たるを(あかし)せしなり』
35()くる()ヨハネまた二人(ふたり)弟子(でし)とともに()ちて、 36イエスの(あゆ)(たま)ふを()ていふ『()よ、これぞ(かみ)羔羊(こひつじ)37かく(かた)るをききて、二人(ふたり)弟子(でし)イエスに(したが)ひゆきたれば、 38イエス振反(ふりかへ)りて、その(したが)ひきたるを()()ひたまふ『(なに)(もと)むるか』(かれ)()いふ『ラビ(()きていへば())いづこに(とどま)(たま)ふか』 39イエス()(たま)ふ『きたれ、さらば()ん』(かれ)()きてその(とどま)りたまふ(ところ)()、この()ともに(とどま)れり、(とき)第十時(だいじふじ)ごろなりき。 40ヨハネより()きてイエスに(したが)ひし二人(ふたり)のうち一人(ひとり)は、シモン・ペテロの兄弟(きゃうだい)アンデレなり。 41この(ひと)まづ()兄弟(きゃうだい)シモンに()ひ『われらメシヤ(()けばキリスト)に()へり』と()ひて、 42(かれ)をイエスの(もと)()れきたれり。イエス(これ)()()めて()(たま)ふ『なんぢはヨハネの()シモンなり、(なんぢ)ケパ(()けばペテロ)と(とな)へらるべし』
43()くる()イエス、ガリラヤに()かんとし、ピリポにあひて()(たま)ふ『われに(したが)へ』 44ピリポはアンデレとペテロとの(まち)なるベツサイダの(ひと)なり。 45ピリポ、ナタナエルに()ひて()ふ『(われ)らはモーセが律法(おきて)(しる)ししところ、預言者(よげんしゃ)たちが(しる)しし(ところ)(もの)()へり、ヨセフの()ナザレのイエスなり』 46ナタナエル()ふ『ナザレより(なに)()(もの)()づべき』ピリポいふ『(きた)りて()よ』 47イエス、ナタナエルの(おの)(もと)にきたるを()、これを()して()ひたまふ『()よ、これ(まこと)にイスラエル(ひと)なり、その(うち)虚僞(いつはり)なし』 48ナタナエル()ふ『如何(いか)にして(われ)()(たま)ふか』イエス(こたへ)えて()ひたまふ『ピリポの(なんぢ)()ぶまへに、(われ)なんぢが無花果(いちぢく)()(した)()るを()たり』 49ナタナエル(こた)ふ『ラビ、なんぢは(かみ)()なり、(なんぢ)はイスラエルの(わう)なり』 50イエス(こた)へて()(たま)ふ『われ(なんぢ)無花果(いちぢく)()(した)にをるを()たりと()ひしに()りて(しん)ずるか、(なんぢ)これよりも(さら)(おほい)なる(こと)()ん』 51また()(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、(てん)ひらけて、(ひと)()のうへに(かみ)使(つかひ)たちの(のぼ)(くだ)りするを(なんぢ)()るべし』

第二章

1三日(みっか)めにガリラヤのカナに婚禮(こんれい)ありて、イエスの(はは)そこに()り、 2イエスも弟子(でし)たちと(とも)婚禮(こんれい)(まね)かれ(たま)ふ。 3葡萄酒(ぶだうしゅ)つきたれば、(はは)イエスに()ふ『かれらに葡萄酒(ぶだうしゅ)なし』 4イエス()(たま)ふ『をんなよ、(われ)(なんぢ)となにの關係(かかはり)あらんや、()(とき)(いま)(きた)らず』 5(はは)(しもべ)どもに『(なに)にても()(めい)ずる(ごと)くせよ』と()ひおく。 6彼處(かしこ)にユダヤ(びと)(きよめ)(れい)にしたがひて、()()()()りの石甕(いしがめ)六個(むつ)ならべあり。 7イエス(しもべ)に『(みづ)(かめ)滿(みた)せ』といひ(たま)へば、(くち)まで滿(みた)す。 8また()(たま)ふ『いま()()りて饗宴(ふるまひ)(がしら)()ちゆけ』(すなは)()ちゆけり。 9饗宴(ふるまひ)(がしら)葡萄酒(ぶだうしゅ)になりたる(みづ)()めて、その何處(いづこ)より(きた)りしかを()らざれば((みづ)()みし(しもべ)どもは()れり)新郎(はなむこ)()びて()ふ、 10『おほよそ(ひと)(まず)よき葡萄酒(ぶだうしゅ)(いだ)し、(ゑひ)のまはる(ころ)ほひ(おと)れるものを(いだ)すに、(なんぢ)はよき葡萄酒(ぶだうしゅ)(いま)まで(とど)()きたり』 11イエス()第一(だいいち)(しるし)をガリラヤのカナにて(おこな)ひ、その榮光(えいくわう)(あらは)(たま)ひたれば、弟子(でし)たち(かれ)(しん)じたり。
12この(のち)イエス(およ)びその(はは)兄弟(きゃうだい)弟子(でし)たちカペナウムに(くだ)りて、そこに數日(すにち)(とどま)りたり。
13かくてユダヤ(びと)過越(すぎこし)(まつり)ちかづきたれば、イエス、エルサレムに(のぼ)(たま)ふ。 14(みや)(うち)(うし)(ひつじ)鴿(はと)()るもの、兩替(りゃうがへ)する(もの)()するを()て、 15(なは)(むち)につくり、(ひつじ)をも(うし)をもみな(みや)より()(いだ)し、兩替(りゃうがへ)する(もの)(かね)(ちら)し、その(だい)(たふ)し、 16鴿(はと)をうる(もの)()(たま)ふ『これらの(もの)此處(ここ)より()()れ、わが(ちち)(いへ)商賣(あきなひ)(いへ)とすな』 17弟子(でし)たち『なんじの(いへ)をおもふ熱心(ねっしん)われを(くら)はん』と(しる)されたるを(おも)(いだ)せり。 18ここにユダヤ(びと)こたへてイエスに()ふ『なんぢ(これ)()(こと)をなすからには、(われ)らに(なに)(しるし)を示すか』 19(こた)へて()(たま)ふ『なんぢら()(みや)をこぼて、われ三日(みっか)(あひだ)(これ)(おこ)さん』 20ユダヤ(びと)いふ『この(みや)()つるには四十(しじふ)(ろく)(ねん)()たり、なんぢは三日(みっか)のうちに(これ)(おこ)すか』 21これはイエス(おの)(からだ)(みや)をさして()(たま)へるなり。 22()れば死人(しにん)(うち)より(よみが)へり(たま)ひしのち、弟子(でし)たち()()(たま)ひしことを(おも)(いだ)して、聖書(せいしょ)とイエスの()(たま)ひし(ことば)とを(しん)じたり。
23過越(すぎこし)のまつりの(あひだ)、イエス、エルサレムに(いま)すほどに、(おほ)くの人々(ひとびと)その()(たま)へる(しるし)()御名(みな)(しん)じたり。 24されどイエス(おのれ)(かれ)らに(まか)(たま)はざりき。それは(すべ)ての(ひと)()り、 25また(ひと)(うち)にある(こと)()りたまへば、(ひと)()きて(あかし)する(もの)(えう)せざる(ゆゑ)なり。

第三章

1ここにパリサイ(びと)にて()をニコデモといふ(ひと)あり、ユダヤ(びと)(つかさ)なり。 2(よる)イエスの(もと)(きた)りて()ふ『ラビ、(われ)らは(なんぢ)(かみ)より(きた)()なるを()る。(かみ)もし(とも)(いま)さずば、(なんぢ)(おこな)ふこれらの(しるし)(たれ)もなし(あた)はぬなり』 3イエス(こた)へて()(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)()ぐ、(ひと)あらたに(うま)れずば、(かみ)(くに)()ること(あた)はず』 4ニコデモ()ふ『(ひと)はや()いぬれば、(いか)(うま)るる(こと)()んや、(ふたた)(はは)(たい)()りて(うま)るることを()んや』 5イエス(こた)(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)()ぐ、(ひと)(みづ)(れい)とによりて(うま)れずば、(かみ)(くに)()ること(あた)はず、 6(にく)によりて(うま)るる(もの)(にく)なり、(れい)によりて(うま)るる(もの)(れい)なり。 7なんぢら(あらた)(うま)るべしと()(なんぢ)()ひしを(あや)しむな。 8(かぜ)(おの)(この)むところに()く、(なんぢ)その(こゑ)()けども、何處(いづこ)より(きた)何處(いづこ)()くを()らず。すべて(れい)によりて(うま)るる(もの)()くのごとし』 9ニコデモ(こた)へて()ふ『いかで()かる(こと)どものあり()べき』 10イエス(こた)へて()(たま)ふ『なんぢはイスラエルの()にして、(なほ)かかる(こと)どもを()らぬか。 11(まこと)にまことに(なんぢ)()ぐ、(われ)()ることを(かた)り、また()しことを(あかし)す、(しか)るに(なんぢ)らその(あかし)()けず。 12われ()のことを()ふに(なんぢ)(しん)ぜずば、(てん)のことを()はんには(いか)(しん)ぜんや。 13(てん)より(くだ)りし(もの)(すなは)(ひと)()(ほか)には、(てん)(のぼ)りしものなし。 14モーセ荒野(あらの)にて(へび)()げしごとく、(ひと)()もまた(かなら)()げらるべし。 15すべて(しん)ずる(もの)(かれ)によりて永遠(とこしへ)生命(いのち)()(ため)なり』
16それ(かみ)はその獨子(ひとりご)(たま)ふほどに()(あい)(たま)へり、すべて(かれ)(しん)ずる(もの)(ほろ)びずして、永遠(とこしへ)生命(いのち)()んためなり。 17(かみ)その()()(つかは)したまへるは、()(さば)かん(ため)にあらず、(かれ)によりて()(すく)はれん(ため)なり。 18(かれ)(しん)ずる(もの)(さば)かれず、(しん)ぜぬ(もの)(すで)(さば)かれたり。(かみ)獨子(ひとりご)()(しん)ぜざりしが(ゆゑ)なり。 19その審判(さばき)(これ)なり。(ひかり)()にきたりしに、(ひと)その行爲(おこなひ)()しきによりて、(ひかり)よりも暗黒(くらき)(あい)したり。 20すべて(あく)(おこな)(もの)(ひかり)をにくみて(ひかり)(きた)らず、その行爲(おこなひ)()められざらん(ため)なり。 21(まこと)をおこなふ(もの)(ひかり)にきたる、その行爲(おこなひ)(かみ)によりて(おこな)ひたることの(あらは)れん(ため)なり。
22この(のち)イエス、弟子(でし)たちとユダヤの()にゆき、其處(そこ)にともに(とどま)りてバプテスマを(ほどこ)(たま)ふ。 23ヨハネもサリムに(ちか)きアイノンにてバプテスマを(ほどこ)しゐたり、其處(そこ)(みづ)おほくある(ゆゑ)なり。人々(ひとびと)つどひ(きた)りてバプテスマを()く。 24ヨハネは(いま)(ひとや)()れられざりしなり。 25ここにヨハネの弟子(でし)たちと一人(ひとり)のユダヤ(びと)との(あひだ)に、(きよめ)につきて(ろん)(おこ)りたれば、 26(かれ)らヨハネの(もと)(きた)りて()ふ『ラビ、()よ、(なんぢ)とともにヨルダンの彼方(かなた)にありし(もの)、なんぢが(あかし)せし(もの)、バプテスマを(ほどこ)し、(ひと)みなその(もと)()くなり』 27ヨハネ(こた)へて()ふ『(ひと)(てん)より(あた)へられずば、(なに)をも()くること(あた)はず。 28(われ)はキリストにあらず」(ただ)「その(まへ)(つかは)されたる(もの)なり」と()()ひしことに()きて(あかし)する(もの)(なんぢ)らなり。 29新婦(はなよめ)をもつ(もの)新郎(はなむこ)なり、新郎(はなむこ)(とも)は、()ちて新郎(はなむこ)(こゑ)をきくとき(おほい)(よろこ)ぶ、この()勸喜(よろこび)いま滿()ちたり。 30(かれ)(かなら)(さかん)になり、(われ)(おとろ)ふべし』
31(うへ)より(きた)るものは(すべ)ての(もの)(うへ)にあり、()より()づるものは()(もの)にして、その(かた)ることも()(こと)なり。(てん)より(きた)るものは(すべ)ての(もの)(うへ)にあり。 32(かれ)その()しところ()きしところを(あかし)したまふに、(たれ)もその(あかし)()けず。 33その(あかし)()くる(もの)は、(いん)して(かみ)(まこと)なりとす。 34(かみ)(つかは)(たま)ひし(もの)(かみ)(ことば)をかたる、(かみ)御靈(みたま)(たま)ひて(はか)りなければなり。 35(ちち)御子(みこ)(あい)し、萬物(ばんもつ)をその()(ゆだ)(たま)へり。 36御子(みこ)(しん)ずる(もの)永遠(とこしへ)生命(いのち)をもち、御子(みこ)(したが)はぬ(もの)生命(いのち)()ず、(かへ)つて(かみ)(いかり)その(うへ)(とどま)るなり。

第四章

1(しゅ)、おのれの弟子(でし)(つく)り、(これ)にバプテスマを(ほどこ)すこと、ヨハネよりも(おほ)しと、パリサイ(びと)(きこ)えたるを()(たま)ひし(とき)2(その(じつ)イエス(みづか)らバプテスマを(ほどこ)ししにあらず、その弟子(でし)たちなり) 3ユダヤを()りて(また)ガリラヤに()(たま)ふ。 4サマリヤを()ざるを()ず。 5サマリヤのスカルといふ(まち)にいたり(たま)へるが、この(まち)はヤコブその()ヨセフに(あた)へし土地(とち)(ちか)くして、 6此處(ここ)にヤコブの(いづみ)あり。イエス旅路(たびぢ)(つか)れて(いづみ)(かたは)らに()(たま)ふ、(とき)第六(だいろく)()(ごろ)なりき。 7サマリヤの(ある)(をんな)(みづ)()まんとて(きた)りたれば、イエス(これ)に『われに()ませよ』と()ひたまふ。 8弟子(でし)たちは食物(しょくもつ)()はんとて(まち)にゆきしなり。 9サマリヤの(をんな)いふ『なんぢはユダヤ(びと)なるに、如何(いか)なればサマリヤの(をんな)なる(われ)に、()むことを(もと)むるか』これはユダヤ(びと)とサマリヤ(ひと)とは(まじは)りせぬ(ゆゑ)なり。 10イエス(こた)へて()(たま)ふ『なんぢ()(かみ)賜物(たまもの)()り、また「(われ)()ませよ」といふ(もの)(たれ)なるを()りたらんには、(これ)(もと)めしならん、さらば(なんぢ)()ける(みづ)(あた)へしものを』 11(をんな)いふ『(しゅ)よ、なんぢは()(もの)()たず、()(ふか)し、その()ける(みづ)何處(いづこ)より()しぞ。 12(なんぢ)はこの()(われ)らに(あた)へし(われ)らの(ちち)ヤコブよりも(おほい)なるか、(かれ)も、その()らも、その家畜(かちく)も、これより()みたり』 13イエス(こた)へて()(たま)ふ『すべて()(みづ)をのむ(もの)は、また(かわ)かん。 14されど()があたふる(みづ)()(もの)は、永遠(とこしへ)(かわ)くことなし。わが(あた)ふる(みづ)(かれ)(うち)にて(いづみ)となり、永遠(とこしへ)生命(いのち)(みづ)()きいづべし』 15(をんな)いふ『(しゅ)よ、わが(かわ)くことなく、(また)ここに()みに()ぬために、その(みづ)(われ)にあたへよ』 16イエス()(たま)ふ『ゆきて(をっと)をここに()びきたれ』 17(をんな)こたへて()ふ『われに(をっと)なし』イエス()(たま)ふ『(をっと)なしといふは(うべ)なり。 18(をっと)()(にん)までありしが、(いま)ある(もの)はなんぢの(をっと)にあらず。()しと()へるは(まこと)なり』 19(をんな)いふ『(しゅ)よ、(われ)なんぢを預言者(よげんしゃ)とみとむ。 20(われ)らの先祖(せんぞ)たちは()(やま)にて(はい)したるに、(なんぢ)らは(はい)すべき(ところ)をエルサレムなりと()ふ』 21イエス()(たま)ふ『をんなよ、()()ふことを(しん)ぜよ、()(やま)にもエルサレムにもあらで、(なんぢ)(ちち)(はい)する(とき)きたるなり。 22(なんぢ)らは()らぬ(もの)(はい)し、(われ)らは()(もの)(はい)す、(すくひ)はユダヤ(びと)より()づればなり。 23されど(まこと)禮拜者(れいはいしゃ)の、(れい)(まこと)とをもて(ちち)(はい)する(とき)きたらん、(いま)すでに(きた)れり。(ちち)はかくのごとく(はい)する(もの)(もと)めたまふ。 24(かみ)(れい)なれば、(はい)する(もの)(れい)(まこと)とをもて(はい)すべきなり』 25(をんな)いふ『(われ)はキリストと(とな)ふるメシヤの(きた)ることを()る、(かれ)きたらば諸般(もろもろ)のことを(われ)らに()げん』 26イエス()(たま)ふ『なんぢと(かた)(われ)はそれなり』
27(とき)弟子(でし)たち(かへ)りきたりて、(をんな)(かた)(たま)ふを(あや)しみたれど、(なに)(もと)(たま)ふか、(なに)(ゆゑ)かれと(かた)(たま)ふかと()ふもの(たれ)もなし。 28ここに(をんな)その水瓶(みづがめ)(のこ)しおき、(まち)にゆきて人々(ひとびと)にいふ、 29(きた)りて()よ、わが()しし(こと)をことごとく(われ)()げし(ひと)を。この(ひと)あるいはキリストならんか』 30人々(ひとびと)(まち)()でてイエスの(もと)にゆく。 31この(うち)弟子(でし)たち()ひて()ふ『ラビ、(しょく)(たま)へ』 32イエス()ひたまふ『(われ)には(なんぢ)らの()らぬ()(しょく)する食物(しょくもつ)あり』 33弟子(でし)たち(たがひ)にいふ『たれか(しょく)する(もの)()(きた)りしか』 34イエス()(たま)ふ『われを(つかは)(たま)へる(もの)御意(みこころ)(おこな)ひ、その御業(みわざ)をなし()ぐるは、(これ)わが食物(しょくもつ)なり。 35なんぢら收穫時(かりいれどき)(きた)るには、なほ四月(よつき)ありと()はずや。(われ)なんぢらに()ぐ、()をあげて(はた)()よ、はや()ばみて收穫時(かりいれどき)になれり。 36()(もの)(あたひ)()けて永遠(とこしへ)生命(いのち)()(あつ)む。()(もの)()(もの)とともに(よろこ)ばん(ため)なり。 37俚諺(ことわざ)に、(かれ)()(これ)()るといへるは、(ここ)において(まこと)なり。 38(われ)なんぢらを(つかは)して、(らう)せざりしものを()らしむ。(ほか)人々(ひとびと)さきに(らう)し、(なんぢ)らはその(らう)(をさ)むるなり』
39()(まち)(おほ)くのサマリヤ(ひと)(をんな)の『わが()しし(こと)をことごとく()げし』と(あかし)したる(ことば)によりてイエスを(しん)じたり。 40かくてサマリヤ(ひと)御許(みもと)にきたりて、()(まち)(とどま)らんことを()ひたれば、此處(ここ)二日(ふつか)とどまり(たま)ふ。 41御言(みことば)によりて(なほ)もおほくの(ひと)(しん)じたり。 42かくて(をんな)()ふ『(いま)われらの(しん)ずるは、(なんぢ)のかたる(ことば)によるにあらず、(した)しく()きて、これは(まこと)()救主(すくひぬし)なりと()りたる(ゆゑ)なり』
43二日(ふつか)(のち)、イエスここを()りてガリラヤに()(たま)ふ。 44イエス(みづか)(あかし)して、預言者(よげんしゃ)(おの)(さと)にて(たふと)ばるる(こと)なしと()(たま)へり。 45かくてガリラヤに()(たま)へば、ガリラヤ(ひと)これを(むか)へたり。(さき)(かれ)らも(まつり)(のぼ)り、その(まつり)(とき)にエルサレムにて(おこな)(たま)ひし(こと)()たる(ゆゑ)なり。
46イエス(また)ガリラヤのカナに()(たま)ふ、ここは(さき)(みづ)葡萄酒(ぶだうしゅ)になし(たま)ひし(ところ)なり。(とき)(わう)近臣(きんしん)あり、その()カペナウムにて()みゐたれば、 47イエスのユダヤよりガリラヤに(きた)(たま)へるを()き、御許(みもと)にゆきて、カペナウムに(くだ)りその()(いや)(たま)はんことを()ふ、()()ぬばかりなりしなり。 48ここにイエス()(たま)ふ『なんぢら(しるし)不思議(ふしぎ)とを()ずば、(しん)ぜじ』 49近臣(きんしん)いふ『(しゅ)よ、わが()()なぬ(うち)(くだ)(たま)へ』 50イエス()(たま)ふ『かへれ、(なんぢ)()()くるなり』(かれ)はイエスの()(たま)ひしことを(しん)じて(かへ)りしが、 51(くだ)途中(とちゅう)(しもべ)ども()()ひて、その()()きたることを()ぐ。 52その()えはじめし(とき)()ひしに『昨日(きのふ)第七(だいしち)()(ねつ)()れり』といふ。 53(ちち)その(とき)の、イエスが『なんぢの()()くるなり』と()(たま)ひし(とき)(おな)じきを()り、(しか)して(おのれ)(いへ)(もの)もみな(しん)じたり。 54(これ)はイエス、ユダヤよりガリラヤに()きて()(たま)へる第二(だいに)(しるし)なり。

第五章

1この(のち)ユダヤ(びと)(まつり)ありて、イエス、エルサレムに(のぼ)(たま)ふ。
2エルサレムにある(ひつじ)(もん)のほとりに、ヘブル()にてベテスダといふ(いけ)あり、(これ)にそひて(いつ)つの(らう)あり。 3その(うち)()める(もの)盲人(めしひ)跛者(あしなへ)()(おとろ)へたる(もの)ども夥多(おびただ)しく()しゐたり。((みづ)(うご)くを()てるなり。 4それは御使(みつかひ)のをりをり(くだ)りて(みづ)(うご)かすことあれば、その(うご)きたるのち最先(いやさき)(いけ)にいる(もの)は、如何(いか)なる(やまひ)にても()ゆる(ゆゑ)なり) 5(ここ)三十(さんじふ)(はち)(ねん)(やまひ)になやむ(ひと)ありしが、 6イエスその()()るを()、かつその(やまひ)(ひさ)しきを()り、(これ)に『なんぢ()えんことを(ねが)ふか』と()(たま)へば、 7()める(もの)こたふ『(しゅ)よ、(みづ)(うご)くとき、(われ)(いけ)()るる(もの)なし、()()くほどに、(ほか)(ひと)さきだち(くだ)るなり』 8イエス()(たま)ふ『()きよ、(とこ)()りあげて(あゆ)め』 9この(ひと)ただちに()え、(とこ)()りあげて(あゆ)めり。
その()安息(あんそく)(にち)(あた)りたれば、 10ユダヤ(びと)(いや)されたる(ひと)にいふ『安息(あんそく)(にち)なり、(とこ)()りあぐるは(よろ)しからず』 11(こた)ふ『われを(いや)ししその(ひと)(とこ)()りあげて(あゆ)め」と()へり』 12かれら()ふ『「()りあげて(あゆ)め」と()ひし(ひと)(たれ)なるか』 13されど(いや)されし(もの)は、その(たれ)なるを()らざりき、そこに群衆(ぐんじゅう)ゐたればイエス退(しりぞ)(たま)ひしに()る。 14この(のち)イエス(みや)にて(かれ)()ひて()ひたまふ『()よ、なんぢ()えたり。(ふたた)(つみ)(をか)すな、(おそ)らくは(さら)(おほい)なる()しきこと(なんぢ)(おこ)らん』 15この(ひと)ゆきてユダヤ(びと)に、おのれを(いや)したる(もの)のイエスなるを()ぐ。 16ここにユダヤ(びと)、かかる(こと)安息(あんそく)(にち)になすとて、イエスを()めたれば、 17イエス(こた)(たま)ふ『わが(ちち)(いま)にいたるまで(はたら)(たま)ふ、(われ)もまた(はたら)くなり』 18(これ)()りてユダヤ(びと)いよいよイエスを(ころ)さんと(おも)ふ。それは安息(あんそく)(にち)(やぶ)るのみならず、(かみ)()(ちち)といひて、(おのれ)(かみ)(ひと)しき(もの)になし(たま)ひし(ゆゑ)なり。
19イエス(こた)へて()(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、()(ちち)のなし(たま)ふことを()(おこな)ふほかは、(みづか)何事(なにごと)をも()()ず、(ちち)のなし(たま)ふことは()もまた(おな)じく()すなり。 20(ちち)()(あい)して、その()(ところ)をことごとく()(しめ)したまふ。また(さら)(おほい)なる(わざ)(しめ)(たま)はん、(なんぢ)()をして(あや)しましめん(ため)なり。 21(ちち)()にし(もの)(おこ)して(いか)(たま)ふごとく、()もまた(おの)(ほっ)する(もの)(いか)すなり。 22(ちち)(たれ)をも(さば)(たま)はず、審判(さばき)をさへみな()(ゆだ)(たま)へり。 23これ(すべ)ての(ひと)(ちち)(うやま)ふごとくに()(うやま)はん(ため)なり。()(うやま)はぬ(もの)は、(これ)(つかは)(たま)ひし(ちち)をも(うやま)はぬなり。 24(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、わが(ことば)をききて(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)(しん)ずる(ひと)は、永遠(とこしへ)生命(いのち)をもち、かつ審判(さばき)(いた)らず、()より生命(いのち)(うつ)れるなり。 25(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、()にし(ひと)(かみ)()(こゑ)をきく(とき)きたらん、(いま)すでに(きた)れり、(しか)して()(ひと)()くべし。 26これ(ちち)みづから生命(いのち)()(たま)ふごとく、()にも(みづか)生命(いのち)()つことを()させ、 27また(ひと)()たるに()りて、審判(さばき)する(けん)(あた)(たま)ひしなり。 28(なんぢ)(これ)(あや)しむな、(はか)にある(もの)みな(かみ)()(こゑ)をききて()づる(とき)きたらん。 29(ぜん)をなしし(もの)生命(いのち)(よみが)へり、(あく)(おこな)ひし(もの)審判(さばき)(よみが)へるべし。
30(われ)みづから何事(なにごと)もなし(あた)はず、ただ()くままに(さば)くなり。わが審判(さばき)(ただ)し、それは()(こころ)(もと)めずして、(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)御意(みこころ)(もと)むるに()る。 31(われ)もし(おのれ)につきて(あかし)せば、()(あかし)(まこと)ならず。 32(われ)につきて(あかし)する(もの)(ほか)にあり、その(われ)につきて(あかし)する(あかし)(まこと)なるを(われ)()る。 33なんぢら(さき)(ひと)をヨハネに(つかは)ししに、(かれ)(まこと)につきて(あかし)せり。 34(われ)(ひと)よりの(あかし)()くる(こと)をせねど、(ただ)なんぢらの(すく)はれん(ため)(これ)()ふ。 35かれは()えて(かがや)燈火(ともしび)なりしが、(なんぢ)()その(ひかり)にありて暫時(しばし)よろこぶ(こと)をせり。 36されど(われ)にはヨハネの(あかし)よりも(おほい)なる(あかし)あり。(ちち)(われ)にあたへて()()げしめ(たま)ふわざ、(すなは)()がおこなふ(わざ)は、(われ)につきて(ちち)(われ)(つかは)(たま)ひたるを(あかし)し、 37また(われ)をおくり(たま)ひし(ちち)も、(われ)につきて(あかし)(たま)へり。(なんぢ)らは(いま)だその御聲(みこゑ)()きし(こと)なく、その御形(みかたち)()(こと)なし。 38その御言(みことば)(なんぢ)らの(うち)にとどまらず、その(つかは)(たま)ひし(もの)(しん)ぜぬに()りて()らるるなり。 39(なんぢ)らは聖書(せいしょ)永遠(とこしへ)生命(いのち)ありと(おも)ひて(これ)(しら)ぶ、されどこの聖書(せいしょ)(われ)につきて(あかし)するものなり。 40(しか)るに(なんぢ)生命(いのち)()んために(われ)(きた)るを(ほっ)せず。 41(われ)(ひと)よりの(ほまれ)をうくる(こと)をせず、 42ただ(なんぢ)らの(うち)(かみ)(あい)する(こと)なきを()る。 43(われ)はわが(ちち)()によりて(きた)りしに、(なんぢ)()われを()けず、もし(ほか)(ひと)おのれの()によりて(きた)らば(これ)()けん。 44(たがひ)(ほまれ)をうけて、唯一(ゆゐいつ)(かみ)よりの(ほまれ)(もと)めぬ(なんぢ)らは、(いか)(しん)ずることを()んや。 45われ(ちち)(なんぢ)らを(うった)へんとすと(おも)ふな、(うった)ふるもの一人(ひとり)あり、(なんぢ)らが(たのみ)とするモーセなり。 46()しモーセを(しん)ぜしならば、(われ)(しん)ぜしならん、(かれ)(われ)につきて(しる)したればなり。 47されど(かれ)(ふみ)(しん)ぜずば、(いか)()(ことば)(しん)ぜんや』

第六章

1この(のち)イエス、ガリラヤの(うみ)(すなは)ちテベリヤの(うみ)彼方(かなた)にゆき(たま)へば、 2(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)これに(したが)ふ、これは()みたる(もの)(おこな)ひたまへる(しるし)()(ゆゑ)なり。 3イエス(やま)(のぼ)りて、弟子(でし)たちと(とも)にそこに()(たま)ふ。 4(とき)はユダヤ(びと)(まつり)なる過越(すぎこし)(ちか)し。 5イエス()をあげて(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)のきたるを()て、ピリポに()(たま)ふ『われら何處(いづこ)よりパンを()ひて、()人々(ひとびと)(くら)はすべきか』 6かく()(たま)ふはピリポを(こころ)むるためにて、(みづか)()さんとする(こと)()(たま)ふなり。 7ピリポ(こた)へて()ふ『()(ひゃく)デナリのパンありとも、人々(ひとびと)すこしづつ()くるになほ()らじ』 8弟子(でし)一人(ひとり)にてシモン・ペテロの兄弟(きゃうだい)なるアンデレ()9『ここに一人(ひとり)童子(わらべ)あり、大麥(おほむぎ)のパン(いつ)つと(ちひさ)(さかな)(ふた)つとをもてり、されど()(おほ)くの(ひと)には(なに)にかならん』 10イエス()ひたまふ『人々(ひとびと)()せしめよ』その(ところ)(おほ)くの(くさ)ありて人々(ひとびと)()せしが、その(かず)おほよそ()(せん)(にん)なりき。 11ここにイエス、パンを()りて(しゃ)し、()したる人々(ひとびと)(わか)ちあたへ、また(さかな)をも(しか)なして、その(ほっ)するほど(あた)(たま)ふ。 12人々(ひとびと)()きたるのち弟子(でし)たちに()ひたまふ『(すた)るもののなきように()きたる(あまり)をあつめよ』 13(すなは)(あつ)めたるに、(いつ)つの大麥(おほむぎ)のパンの()きたるを(くら)ひしものの(あまり)十二(じふに)(かご)滿()ちたり。 14人々(ひとびと)その()(たま)ひし(しるし)()ていふ『()にこれは()(きた)るべき預言者(よげんしゃ)なり』
15イエス(かれ)らが(きた)りて(おのれ)をとらへ、(わう)となさんとするを()り、(また)ひとりにて(やま)(のが)れたまふ。
16(ゆふべ)になりて弟子(でし)たち(うみ)にくだり、 17(ふね)にのり(うみ)(わた)りて、カペナウムに()かんとす。(すで)(くら)くなりたるに、イエス(いま)(きた)りたまはず。 18大風(おほかぜ)ふきて(うみ)ややに荒出(あれい)づ。 19かくて()()(じふ)(ちゃう)こぎ()でしに、イエスの(うみ)(うへ)をあゆみ、(ふね)(ちか)づき(たま)ふを()(おそ)れたれば、 20イエス()ひたまふ『(われ)なり、(おそ)るな』 21(すなは)ちイエスを(ふね)(よろこ)(むか)へしに、(ふね)(ただ)ちに()かんとする()()けり。
22()くる()(うみ)のかなたに()てる群衆(ぐんじゅう)は、一艘(いっさう)のほかに(ふね)なく、(また)イエスは弟子(でし)たちと(とも)()りたまはず、弟子(でし)たちのみ()でゆきしを()たり。 23(とき)にテベリヤより數艘(すうさう)(ふね)(しゅ)(しゃ)して人々(ひとびと)にパンを(くら)はせ(たま)ひし(ところ)(ちか)くに(きた)る) 24ここに群衆(ぐんじゅう)はイエスも居給(ゐたま)はず、弟子(でし)たちも()らぬを()て、その(ふね)()り、イエスを(たづ)ねてカペナウムに()けり。 25(つひ)(うみ)彼方(かなた)にてイエスに()ひて()ふ『ラビ、何時(いつ)ここに(きた)(たま)ひしか』 26イエス(こた)へて()(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、(なんぢ)らが(われ)(たづ)ぬるは、(しるし)()(ゆゑ)ならで、パンを(くら)ひて()きたる(ゆゑ)なり。 27()ちる(かて)のためならで、永遠(とこしへ)生命(いのち)にまで(いた)(かて)のために(はたら)け。これは(ひと)()(なんぢ)らに(あた)へんとするものなり、(ちち)なる(かみ)(いん)して(かれ)(あかし)(たま)ひたるに()る』 28ここに(かれ)()ふ『われら(かみ)(わざ)(おこな)はんには(なに)をなすべきか』 29イエス(こた)へて()ひたまふ『(かみ)(わざ)はその(つかは)(たま)へる(もの)(しん)ずる(これ)なり』 30(かれ)()ふ『さらば(われ)らが()(なんぢ)(しん)ぜしために、(なに)(しるし)をなすか、(なに)(おこな)ふか。 31(われ)らの先祖(せんぞ)荒野(あらの)にてマナを(くら)へり、(しる)して「(てん)よりパンを(かれ)らに(あた)へて(くら)はしめたり」と()へるが(ごと)し』 32イエス()(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、モーセは(てん)よりのパンを(なんぢ)らに(あた)へしにあらず、されど()(ちち)(てん)よりの(まこと)のパンを(あた)へたまふ。 33(かみ)のパンは(てん)より(くだ)りて生命(いのち)()(あた)ふるものなり』 34(かれ)()いふ『(しゅ)よ、そのパンを(つね)(あた)へよ』 35イエス()(たま)ふ『われは生命(いのち)のパンなり、(われ)にきたる(もの)()ゑず、(われ)(しん)ずる(もの)はいつまでも(かわ)くことなからん。 36されど(なんぢ)らは(われ)()てなほ(しん)ぜず、(われ)さきに(これ)()げたり。 37(ちち)(われ)(たま)ふものは(みな)われに(きた)らん、(われ)にきたる(もの)(われ)これを退(しりぞ)けず。 38(それ)わが(てん)より(くだ)りしは、()(こころ)をなさん(ため)にあらず、(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)御意(みこころ)をなさん(ため)なり。 39(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)御意(みこころ)は、すべて(われ)(たま)ひし(もの)を、(われ)その(ひと)つをも(うしな)はずして、(をはり)()(よみが)へらする(これ)なり。 40わが(ちち)御意(みこころ)は、すべて()()(しん)ずる(もの)永遠(とこしへ)生命(いのち)()(これ)なり。われ(をはり)()にこれを(よみが)へらすべし』
41ここにユダヤ(びと)ら、イエスの『われは(てん)より(くだ)りしパンなり』と()(たま)ひしにより、 42(つぶや)きて()ふ『これはヨセフの()イエスならずや、我等(われら)はその(ちち)(はは)()る、(なに)(いま)「われは(てん)より(くだ)れり」と()ふか』 43イエス(こた)へて()(たま)ふ『なんぢら(つぶや)()ふな、 44(われ)(つかは)しし(ちち)ひき(たま)はずば、(たれ)(われ)(きた)ること(あた)はず、(われ)これを(をはり)()(よみが)へらすべし。 45預言者(よげんしゃ)たちの(ふみ)に「(かれ)らみな(かみ)(をし)へられん」と(しる)されたり。すべて(ちち)より()きて(まな)びし(もの)(われ)にきたる。 46これは(ちち)()(もの)ありとにあらず、ただ(かみ)よりの(もの)のみ(ちち)()たり。 47まことに(まこと)になんぢらに()ぐ、(しん)ずる(もの)永遠(とこしへ)生命(いのち)をもつ。 48(われ)生命(いのち)のパンなり。 49(なんぢ)らの先祖(せんぞ)は、荒野(あらの)にてマナを(くら)ひしが()にたり。 50(てん)より(くだ)るパンは、(くら)(もの)をして()ぬる(こと)なからしむるなり。 51(われ)(てん)より(くだ)りし()けるパンなり、(ひと)このパンを(くら)はば永遠(とこしへ)()くべし。()(あた)ふるパンは()(にく)なり、()生命(いのち)のために(これ)(あた)へん』
52ここにユダヤ(びと)たがひに(あらそ)ひて()ふ『この(ひと)はいかで(おの)(にく)(われ)らに(あた)へて(くら)はしむることを()ん』 53イエス()(たま)ふ『まことに(まこと)になんぢらに()ぐ、(ひと)()(にく)(くら)はず、その()()まずば、(なんぢ)らに生命(いのち)なし。 54わが(にく)をくらひ、()()をのむ(もの)は、永遠(とこしへ)生命(いのち)をもつ、われ(をはり)()にこれを(よみが)へらすべし。 55(それ)わが(にく)(まこと)食物(くひもの)、わが()(まこと)飮物(のみもの)なり。 56わが(にく)をくらひ()()をのむ(もの)は、(われ)()り、(われ)もまた(かれ)()る。 57()ける(ちち)(われ)をつかはし、(われ)(ちち)によりて()くるごとく、(われ)をくらふ(もの)(われ)によりて()くべし。 58(てん)より(くだ)りしパンは、先祖(せんぞ)たちが(くら)ひてなほ()にし(ごと)きものにあらず、()のパンを(くら)ふものは永遠(とこしへ)()きん』 59(これ)()のことはイエス、カペナウムにて(をし)ふるとき、會堂(くわいだう)にて()(たま)ひしなり。
60弟子(でし)たちの(うち)おほくの(もの)これを()きて()ふ『こは(はなは)だしき(ことば)なるかな、(たれ)()()()べき』 61イエス弟子(でし)たちの(これ)()きて(つぶや)くを(みづか)()りて()(たま)ふ『このことは(なんぢ)らを(つまづ)かするか。 62さらば(ひと)()のもと()りし(ところ)(のぼ)るを()如何(いか)に。 63(いか)すものは(れい)なり、(にく)(えき)する(ところ)なし、わが(なんぢ)らに(かた)りし(ことば)は、(れい)なり、生命(いのち)なり。 64されど(なんぢ)らの(うち)(しん)ぜぬ(もの)どもあり』イエス(はじめ)より、(しん)ぜぬ(もの)どもは(たれ)、おのれを()(もの)(たれ)なるかを()(たま)へるなり。 65かくて()ひたまふ『この(ゆゑ)(われ)さきに(なんぢ)らに()げて、(ちち)より(たま)はりたる(もの)ならずば(われ)(きた)るを()ずと()ひしなり』
66ここにおいて、弟子(でし)たちのうち(おほ)くの(もの)かへり()りて、(また)イエスと(とも)(あゆ)まざりき。 67イエス十二(じふに)弟子(でし)()(たま)ふ『なんじらも()らんとするか』 68シモン・ペテロ(こた)ふ『(しゅ)よ、われら(たれ)にゆかん、永遠(とこしへ)生命(いのち)(ことば)(なんぢ)にあり。 69(また)われらは(しん)じかつ()る、なんぢは(かみ)聖者(しゃうじゃ)なり』 70イエス(こた)(たま)ふ『われ(なんぢ)十二(じふに)(にん)(えら)びしにあらずや、(しか)るに(なんぢ)らの(うち)一人(ひとり)惡魔(あくま)なり』 71イスカリオテのシモンの()ユダを()して()(たま)へるなり、(かれ)十二(じふに)弟子(でし)一人(ひとり)なれど、イエスを()らんとする(もの)なり。

第七章

1この(のち)イエス、ガリラヤのうちを(めぐ)りゐ(たま)ふ、ユダヤ(びと)(ころ)さんとするに()りて、ユダヤのうちを(めぐ)ることを(ほっ)(たま)はぬなり。 2ユダヤ(びと)假廬(かりいほ)(まつり)ちかづきたれば、 3兄弟(きゃうだい)たちイエスに()ふ『なんぢの(おこな)(わざ)弟子(でし)たちにも()せんために、此處(ここ)()りてユダヤに()け。 4(たれ)にても(みづか)(あらは)れんことを(もと)めて、(ひそか)(わざ)をなす(もの)なし。(なんぢ)これらの(こと)()すからには、(おのれ)()にあらはせ』 5(これ)その兄弟(きゃうだい)たちもイエスを(しん)ぜぬ(ゆゑ)なり。 6ここにイエス()(たま)ふ『わが(とき)はいまだ(いた)らず、(なんぢ)らの(とき)(つね)(そなは)れり。 7()(なんぢ)らを(にく)むこと(あた)はねど(われ)(にく)む、(われ)()所作(しわざ)()しきを(あかし)すればなり。 8なんぢら(まつり)(のぼ)れ、わが(とき)いまだ滿()たねば、(われ)(いま)この(まつり)にのぼらず』 9かく()ひて(なほ)ガリラヤに(とどま)(たま)ふ。
10(しか)して兄弟(きゃうだい)たちの(まつり)にのぼりたる(のち)、あらはならで(しの)びやかに(のぼ)(たま)ふ。 11(まつり)にあたりユダヤ(びと)らイエスを(たづ)ねて『かれは何處(いづこ)()るか』と()ふ。 12また群衆(ぐんじゅう)のうちに(ささや)(もの)おほくありて、(あるひ)は『イエスは()(ひと)なり』といひ、(あるひ)は『いな、群衆(ぐんじゅう)(まどは)すなり』と()ふ。 13されどユダヤ(びと)(おそ)るるに()りて、(たれ)もイエスのことを公然(おほやけ)()はず。
14(まつり)も、はや(なかば)となりし(ころ)、イエス(みや)にのぼりて(をし)(たま)へば、 15ユダヤ(びと)あやしみて()ふ『この(ひと)(まな)びし(こと)なきに、如何(いか)にして(ふみ)()るか』 16イエス(こた)へて()(たま)ふ『わが(をしへ)はわが(をしへ)にあらず、(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)(をしへ)なり。 17(ひと)もし御意(みこころ)(おこな)はんと(ほっ)せば、()(をしへ)(かみ)よりか、()(おのれ)より(かた)るかを()らん。 18(おのれ)より(かた)るものは(おのれ)榮光(えいくわう)をもとむ、(おのれ)(つかは)しし(もの)榮光(えいくわう)(もと)むる(もの)(まこと)なり、その(うち)不義(ふぎ)なし。 19モーセは(なんぢ)らに律法(おきて)(あた)へしにあらずや、されど(なんぢ)()のうちに律法(おきて)(まも)(もの)なし。(なんぢ)(なに)ゆゑ(われ)(ころ)さんとするか』 20群衆(ぐんじゅう)こたふ『なんぢは惡鬼(あくき)()かれたり、(たれ)(なんぢ)(ころ)さんとするぞ』 21イエス(こた)へて()(たま)ふ『われ(ひと)つの(わざ)をなしたれば、(なんぢ)()みな(あや)しめり。 22モーセは(なんぢ)らに割禮(かつれい)(めい)じたり(これはモーセより(おこ)りしとにあらず、先祖(せんぞ)より(おこ)りしなり)この(ゆゑ)(なんぢ)安息(あんそく)(にち)にも(ひと)割禮(かつれい)(ほどこ)す。 23モーセの律法(おきて)(すた)らぬために、安息(あんそく)(にち)(ひと)割禮(かつれい)()くる(こと)あらば、(なに)安息(あんそく)(にち)(ひと)全身(ぜんしん)(すこや)かにせしとて(われ)(いか)るか。 24外貌(うはべ)によりて(さば)くな、(ただ)しき審判(さばき)にて(さば)け』
25ここにエルサレムの(ある)人々(ひとびと)いふ『これは人々(ひとびと)(ころ)さんとする(もの)ならずや。 26()よ、公然(おほやけ)(かた)るに、(これ)(たい)して(なに)をも()(もの)なし、(つかさ)たちは()(ひと)のキリストたるを(まこと)(みと)めしならんか。 27されど(われ)らは()(ひと)何處(いづこ)よりかを()る、キリストの(きた)(とき)には、その何處(いづこ)よりかを()(もの)なし』 28ここにイエス(みや)にて(をし)へつつ(よば)はりて()(たま)ふ『なんぢら(われ)()り、(また)わが何處(いづこ)よりかを()る。されど(われ)(おのれ)より(きた)るにあらず、(まこと)(もの)ありて(われ)(つかは)(たま)へり。(なんぢ)らは(かれ)()らず、 29(われ)(かれ)()る。(われ)(かれ)より()で、(かれ)(われ)(つかは)(たま)ひしに()りてなり』 30ここに人々(ひとびと)イエスを(とら)へんと(はか)りたれど、(かれ)(とき)いまだ(いた)らぬ(ゆゑ)手出(てだし)する(もの)なかりき。 31かくて群衆(ぐんじゅう)のうち(おほ)くの人々(ひとびと)イエスを(しん)じて『キリスト(きた)るとも、()(ひと)(おこな)ひしより(おほ)(しるし)(おこな)はんや』と()ふ。 32イエスにつきて群衆(ぐんじゅう)のかく(ささや)くことパリサイ(びと)(みみ)()りたれば、祭司長(さいしちゃう)・パリサイ(びと)(かれ)(とら)へんとて下役(したやく)どもを(つかは)ししに、 33イエス()(たま)ふ『(われ)なほ(しばら)(なんぢ)らと(とも)()り、(しか)してのち(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)御許(みもと)()く。 34(なんぢ)(われ)(たづ)ねん、されど()はざるべし、(なんぢ)()わが()(ところ)()くこと(あた)はず』 35ここにユダヤ(びと)(たがひ)()ふ『この(ひと)われらの()()ぬいづこに()かんとするか、ギリシヤ(びと)のうちに()りをる(もの)()きて、ギリシヤ(びと)(をし)へんとするか。 36その(ことば)に「なんぢら(われ)(たづ)ねん、()れど()はざるべし、(なんぢ)()がをる(ところ)()くこと(あた)はず」と()へるは(なに)ぞや』
37(まつり)(をはり)(おほい)なる()に、イエス()ちて(よば)はりて()ひたまふ『(ひと)もし(かわ)かば(われ)(きた)りて()め。 38(われ)(しん)ずる(もの)は、聖書(せいしょ)()へるごとく、その(はら)より()ける(みづ)(かは)となりて(なが)()づべし』 39これは(かれ)(しん)ずる(もの)()けんとする御靈(みたま)()して()(たま)ひしなり。イエス(いま)榮光(えいくわう)()(たま)はざれば、御靈(みたま)いまだ(くだ)らざりしなり。 40(これ)()(ことば)をききて群衆(ぐんじゅう)のうちの(ある)(ひと)は『これ(まこと)にかの預言者(よげんしゃ)なり』といひ、 41(ある)(ひと)は『これキリストなり』と()ひ、(また)ある(ひと)は『キリストいかでガリラヤより()でんや、 42聖書(せいしょ)に、キリストはダビデの(すゑ)またダビデの()りし(むら)ベツレヘムより()づと()へるならずや』と()ふ。 43()くイエスの(こと)によりて、群衆(ぐんじゅう)のうちに紛爭(あらそひ)おこりたり。 44その(なか)には、イエスを(とら)へんと(ほっ)する(もの)もありしが、手出(てだし)する(もの)なかりき。
45(しか)して下役(したやく)ども、祭司長(さいしちゃう)・パリサイ(びと)らの(もと)(かへ)りたれば、(かれ)()ふ『なに(ゆゑ)かれを()(きた)らぬか』 46下役(したやく)ども(こた)ふ『この(ひと)(かた)るごとく(かた)りし(ひと)(いま)だなし』 47パリサイ(びと)()これに(こた)ふ『なんぢらも(まどは)されしか、 48(つかさ)たち(また)はパリサイ(びと)のうちに、一人(ひとり)だに(かれ)(しん)ぜし(もの)ありや、 49律法(おきて)()らぬこの群衆(ぐんじゅう)(のろ)はれたる(もの)なり』 50(かれ)()のうちの一人(ひとり)にてさきにイエスの(もと)(きた)りしニコデモ()ふ、 51『われらの律法(おきて)は、(まづ)その(ひと)()き、その()すところを()るにあらずば、(さば)(こと)をせんや』 52かれら(こた)へて()ふ『なんぢもガリラヤより()でしか、(しら)()よ、預言者(よげんしゃ)はガリラヤより(おこ)(こと)なし』
53()くておのおの(おの)(いへ)(かへ)れり。

第八章

1イエス、オリブ(やま)にゆき(たま)ふ。 2夜明(よあけ)ごろ、また(みや)()りしに、(たみ)みな御許(みもと)(きた)りたれば、()して(をし)(たま)ふ。 3ここに學者(がくしゃ)・パリサイ(びと)ら、姦淫(かんいん)のとき(とら)へられたる(をんな)()れきたり、眞中(まなか)()ててイエスに()ふ、 4()よ、この(をんな)姦淫(かんいん)のをり、そのまま(とら)へられたるなり。 5モーセは律法(おきて)に、()かる(もの)(いし)にて()つべき(こと)(われ)らに(めい)じたるが、(なんぢ)如何(いか)()ふか』 6かく()へるは、イエスを(こころ)みて、(うった)ふる(たね)()んとてなり。イエス()(かが)め、(ゆび)にて()(もの)()(たま)ふ。 7かれら()ひて()まざれば、イエス()(おこ)して『なんぢらの(うち)(つみ)なき(もの)まづ(いし)(なげう)て』と()ひ、 8また()(かが)めて()(もの)()きたまふ。 9(かれ)()これを()きて良心(りゃうしん)()められ、老人(らうじん)をはじめ(わか)(もの)まで一人(ひとり)一人(ひとり)いでゆき、(ただ)イエスと(なか)()てる(をんな)とのみ(のこ)れり。 10イエス()(おこ)して、(をんな)のほかに(たれ)()らぬを()()(たま)ふ『をんなよ、(なんぢ)(うった)へたる(もの)どもは何處(いづこ)にをるぞ、(なんぢ)(つみ)する(もの)なきか』 11(をんな)いふ『(しゅ)よ、(たれ)もなし』イエス()(たま)ふ『われも(なんぢ)(つみ)せじ、()け、この(のち)ふたたび(つみ)(をか)すな』]
12かくてイエスまた人々(ひとびと)(かた)りて()(たま)ふ『われは()(ひかり)なり、(われ)(したが)(もの)(くら)(うち)(あゆ)まず、生命(いのち)(ひかり)()べし』 13パリサイ(びと)()ふ『なんぢは(おのれ)につきて(あかし)す、なんぢの(あかし)(まこと)ならず』 14イエス(こた)へて()(たま)ふ『われ(みづか)(おのれ)につきて(あかし)すとも、()(あかし)(まこと)なり、(われ)何處(いづこ)より(きた)何處(いづこ)()くを()(ゆゑ)なり。(なんぢ)らは()何處(いづこ)より(きた)り、何處(いづこ)()くを()らず、 15なんぢらは(にく)によりて(さば)く、(われ)(たれ)をも(さば)かず。 16されど(われ)もし(さば)かば、()審判(さばき)(まこと)なり、(われ)一人(ひとり)ならず、(われ)(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)(とも)なるに()る。 17また(なんぢ)らの律法(おきて)に、二人(ふたり)(あかし)(まこと)なりと(しる)されたり。 18(われ)みづから(おのれ)につきて(あかし)をなし、(われ)(つかは)(たま)ひし(ちち)(われ)につきて(あかし)をなし(たま)ふ』 19ここに(かれ)()ふ『なんぢの(ちち)何處(いづこ)にあるか』イエス(こた)(たま)ふ『なんぢらは(われ)をも()(ちち)をも()らず、(われ)()りしならば、()(ちち)をも()りしならん』 20イエス(みや)(うち)にて(をし)へし(とき)、これらの(こと)賽錢函(さいせんばこ)(かたは)らにて(かた)(たま)ひしが、(かれ)(とき)いまだ(いた)らぬ(ゆゑ)に、(たれ)(とら)ふる(もの)なかりき。
21かくてまた人々(ひとびと)()(たま)ふ『われ()く、なんぢら(われ)(たづ)ねん。されど(おの)(つみ)のうちに()なん、わが()くところに(なんぢ)(きた)ること(あた)はず』 22ユダヤ(びと)()ふ『「わが()(ところ)(なんぢ)(きた)ること(あた)はず」と()へるは、自殺(じさつ)せんとてか』 23イエス()(たま)ふ『なんぢらは(した)より()で、(われ)(うへ)より()づ、(なんぢ)らは()()より()で、(われ)()()より()でず。 24(これ)によりて(われ)なんぢらは(おの)(つみ)のうちに()なんと()へるなり。(なんぢ)()もし(われ)(それ)なるを(しん)ぜずば、(つみ)のうちに()ぬべし』 25(かれ)()ふ『なんぢは(たれ)なるか』イエス()(たま)ふ『われは(ただ)しく(なんぢ)らに()(きた)りし(ところ)(もの)なり。 26われ(なんぢ)らに()きて(かた)るべきこと(さば)くべきこと(おほ)し、(しか)して(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)(まこと)なり、(われ)(かれ)()きしその(こと)()()ぐるなり』 27これは(ちち)をさして()(たま)へるを、(かれ)らは(さと)らざりき。 28ここにイエス()(たま)ふ『なんぢら(ひと)()()げしのち、(われ)(それ)なるを()り、(また)わが(おのれ)によりて何事(なにごと)をも()さず、ただ(ちち)(われ)(をし)(たま)ひしごとく、(これ)()のことを(かた)りたるを()らん。 29(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)は、(われ)とともに(いま)す。(われ)つねに御意(みこころ)(かな)ふことを(おこな)ふによりて、(われ)(ひとり)おき(たま)はず』 30(これ)()のことを(かた)(たま)へるとき、(おほ)くの人々(ひとびと)イエスを(しん)じたり。
31ここにイエス(おのれ)(しん)じたるユダヤ(びと)()ひたまふ『(なんぢ)()もし(つね)()(ことば)()らば、(まこと)にわが弟子(でし)なり。 32また眞理(しんり)()らん、(しか)して眞理(しんり)(なんぢ)らに自由(じいう)()さすべし』 33かれら(こた)ふ『われはアブラハムの(すゑ)にして、(いま)(ひと)奴隷(どれい)となりし(こと)なし。如何(いか)なれば「なんぢら自由(じいう)()べし」と()ふか』 34イエス(こた)(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、すべて(つみ)(をか)(もの)(つみ)奴隷(どれい)なり。 35奴隷(どれい)はとこしへに(いへ)()らず、()永遠(とこしへ)()るなり。 36この(ゆゑ)()もし(なんぢ)らに自由(じいう)()させば、(なんぢ)(じつ)自由(じいう)とならん。 37(われ)(なんぢ)らがアブラハムの(すゑ)なるを()る、されど()(ことば)なんぢらの(うち)(とどま)らぬ(ゆゑ)に、(われ)(ころ)さんと(はか)る。 38(われ)はわが(ちち)(もと)にて()しことを(かた)り、(なんぢ)らは(また)なんぢらの(ちち)より()きしことを(おこな)ふ』 39かれら(こた)へて()ふ『われらの(ちち)はアブラハムなり』イエス()(たま)ふ『もしアブラハムの()ならば、アブラハムの(わざ)をなさん。 40(しか)るに(なんぢ)らは(いま)(かみ)より()きたる眞理(しんり)(なんぢ)らに()ぐる(もの)なる(われ)(ころ)さんと(はか)る。アブラハムは()かることを()さざりき。 41(なんぢ)らは(なんぢ)らの(ちち)(わざ)()すなり』かれら()ふ『われら淫行(いんかう)によりて(うま)れず、(われ)らの(ちち)はただ一人(ひとり)(すなは)(かみ)なり』 42イエス()ひたまふ『(かみ)もし(なんぢ)らの(ちち)ならば、(なんぢ)(われ)(あい)せん、われ(かみ)より()でて(きた)ればなり。(われ)(おのれ)より(きた)るにあらず、(かみ)われを(つかは)(たま)へり。 43(なに)(ゆゑ)わが(かた)ることを(さと)らぬか、(これ)わが(ことば)をきくこと(あた)はぬに()る。 44(なんぢ)らは(おの)(ちち)惡魔(あくま)より()でて、(おの)(ちち)(よく)(おこな)はんことを(のぞ)む。(かれ)最初(はじめ)より人殺(ひとごろし)なり、また(まこと)その(なか)になき(ゆゑ)(まこと)()たず、(かれ)虚僞(いつはり)をかたる(ごと)(おのれ)より(かた)る、それは虚僞(いつはり)(もの)にして虚僞(いつはり)(ちち)なればなり。 45(しか)るに(われ)(まこと)()ぐるによりて、(なんぢ)(われ)(しん)ぜず、 46(なんぢ)()のうち(たれ)(われ)(つみ)ありとして()()る。われ(まこと)()ぐるに、(われ)(しん)ぜぬは(なに)(ゆゑ)ぞ。 47(かみ)より()づる(もの)(かみ)(ことば)をきく、(なんぢ)らの()かぬは(かみ)より()でぬに()る』 48ユダヤ(びと)こたへて()ふ『なんぢはサマリヤ(ひと)にて惡鬼(あくき)()かれたる(もの)なりと、(われ)らが()へるは(うべ)ならずや』 49イエス(こた)(たま)ふ『われは惡鬼(あくき)()かれず、(かへ)つて()(ちち)(うやま)ふ、なんぢらは(われ)(かろ)んず。 50(われ)はおのれの榮光(えいくわう)(もと)めず、(これ)(もと)めかつ審判(さばき)(たま)(もの)あり。 51(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、(ひと)もし()(ことば)(まも)らば、永遠(とこしへ)()()ざるべし』 52ユダヤ(びと)いふ『(いま)ぞなんぢが惡鬼(あくき)()かれたるを()る。アブラハムも預言者(よげんしゃ)たちも()にたり、(しか)るに(なんぢ)は「(ひと)もし()(ことば)(まも)らば、永遠(とこしへ)()(あぢ)はざるべし」と()ふ。 53(なんぢ)われらの(ちち)アブラハムよりも(おほい)なるか、(かれ)()に、預言者(よげんしゃ)たちも()にたり、(なんぢ)はおのれを(たれ)とするか』 54イエス(こた)へたまふ『(われ)もし(おのれ)榮光(えいくわう)()せば、()榮光(えいくわう)(むな)し。(われ)榮光(えいくわう)()する(もの)()(ちち)なり、(すなは)(なんぢ)らが(おのれ)(かみ)(とな)ふる(もの)なり。 55(しか)るに(なんぢ)らは(かれ)()らず、(われ)(かれ)()る。もし(かれ)()らずと()はば、(なんぢ)らの(ごと)(いつはり)(もの)たるべし。されど(われ)(かれ)()り、(かつ)その御言(みことば)(まも)る。 56(なんぢ)らの(ちち)アブラハムは、()()()んとて(たの)しみ(かつ)これを()(よろこ)べり』 57ユダヤ(びと)いふ『なんぢ(いま)五十歳(ごじっさい)にもならぬにアブラハムを()しか』 58イエス()(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、アブラハムの(うま)れいでぬ(さき)より(われ)()るなり』 59ここに(かれ)(いし)をとりてイエスに(なげう)たんとしたるに、イエス(かく)れて(みや)()(たま)へり。

第九章

1イエス(みち)()くとき、(うま)れながらの盲人(めしひ)()(たま)ひたれば、 2弟子(でし)たち()ひて()ふ『ラビ、この(ひと)盲目(めしひ)にて(うま)れしは、(たれ)(つみ)によるぞ、(おのれ)のか、(おや)のか』 3イエス(こた)(たま)ふ『この(ひと)(つみ)にも(おや)(つみ)にもあらず、ただ(かれ)(うへ)(かみ)(わざ)(あらは)れん(ため)なり。 4(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)(わざ)(われ)(ひる)(うち)になさざる()からず。()きたらん、その(とき)(たれ)(はたら)くこと(あた)はず。 5われ()にをる(あひだ)()(ひかり)なり』 6かく()ひて()(つばき)し、(つばき)にて(どろ)をつくり、(これ)盲人(めしひ)()にぬりて()(たま)ふ、 7『ゆきてシロアム(()けば(つかは)されたる(もの))の(いけ)にて(あら)へ』(すなは)ちゆきて(あら)ひたれば、()ゆることを()(かへ)れり。 8ここに(となり)(ひと)および(さき)(かれ)乞食(こつじき)なるを()(もの)ども()ふ『この(ひと)()して(もの)()ひゐたるにあらずや』 9(ある)(ひと)は『(それ)なり』といひ、(ある)(ひと)は『(いな)、ただ()たるなり』といふ。かの(もの)『われは(それ)なり』と()ひたれば、 10人々(ひとびと)いふ『さらば(なんぢ)()如何(いか)にして(ひら)きたるか』 11(こた)ふ『イエスといふ(ひと)(どろ)をつくり()()()りて()ふ「シロアムに()きて(あら)へ」と、(すなは)()きて(あら)ひたれば、(もの)()ることを()たり』 12(かれ)ら『その(ひと)何處(いづこ)()るか』と()へば『()らず』と(こた)ふ。
13人々(ひとびと)さきに盲目(めしひ)なりし(もの)をパリサイ(びと)らの(もと)()れきたる。 14イエスの(どろ)をつくりて()(ひと)()をあけし()安息(あんそく)(にち)なりき。 15パリサイ(びと)らも(また)いかにして(もの)()ることを()しかと()ひたれば、(かれ)いふ『かの(ひと)わが()(どろ)をぬり、(われ)これを(あら)ひて()ゆることを()たり』 16パリサイ(びと)(うち)なる(ある)(ひと)は『かの(ひと)安息(あんそく)(にち)(まも)らぬ(ゆゑ)に、(かみ)より()でし(もの)にあらず』と()ひ、(ある)(ひと)は『(つみ)ある(ひと)いかで()かる(しるし)をなし()んや』と()ひて(たがひ)(あひ)(あらそ)ひたり。 17ここにまた盲目(めしひ)なりし(ひと)()ふ『なんぢの()をあけしに()り、(なんぢ)(かれ)()きて如何(いか)にいふか』(かれ)いふ『預言者(よげんしゃ)なり』 18ユダヤ(びと)ら、(かれ)盲目(めしひ)なりしに()ゆるやうになりしことを、(いま)(しん)ぜずして、()(ひら)きたる(ひと)兩親(ふたおや)()び、 19()ひて()ふ『これは盲目(めしひ)にて(うま)れしと()(なんぢ)らの()なりや、さらば(いま)いかにして()ゆるか』 20兩親(ふたおや)こたへて()ふ『かれの()()なることと、盲目(めしひ)にて(うま)れたる(こと)とを()る。 21されど(いま)いかにして()ゆるかを()らず、(また)その()をあけしは(たれ)なるか、(われ)らは()らず、(かれ)()へ、(とし)()けたれば(みづか)(おの)がことを(かた)らん』 22兩親(ふたおや)のかく()ひしはユダヤ(びと)(おそ)れたるなり。ユダヤ(びと)(あひ)(はか)りて『()しイエスをキリストと()(あらは)(もの)あらば、除名(ぢょめい)すべし』と(さだ)めたるに()る。 23兩親(ふたおや)の『かれ(とし)()けたれば(かれ)()へ』と()へるは()(ゆゑ)なり。 24かれら盲目(めしひ)なりし(ひと)(ふたた)()びて()ふ『(かみ)榮光(えいくわう)()せよ、我等(われら)はかの(ひと)罪人(つみびと)たるを()る』 25(こた)ふ『かれ罪人(つみびと)なるか、(われ)()らず、ただ(ひと)つの(こと)をしる、(すなは)(われ)さきに盲目(めしひ)たりしが、(いま)()ゆることを()たる(これ)なり』 26(かれ)()ふ『かれは(なんぢ)(なに)をなししか、如何(いか)にして()をあけしか』 27(こた)ふ『われ(すで)(なんぢ)らに()げたれど()かざりき。(なに)ぞまた()かんとするか、(なんぢ)らもその弟子(でし)とならんことを(のぞ)むか』 28かれら(ののし)りて()ふ『なんぢは()弟子(でし)なり、我等(われら)モーセの弟子(でし)なり。 29モーセに(かみ)(かた)(たま)ひしことを()れど、()(ひと)何處(いづこ)よりかを()らず』 30(こた)へて()ふ『その何處(いづこ)よりかを()らずとは(あや)しき(こと)なり、(かれ)わが()をあけしに。 31(かみ)罪人(つみびと)()(たま)はねど、敬虔(けいけん)にして御意(みこころ)をおこなふ(ひと)()(たま)ふことを(われ)らは()る。 32()太初(はじめ)より、盲目(めしひ)にて(うま)れし(もの)()をあけし(ひと)あるを()きし(こと)なし。 33かの(ひと)もし(かみ)より()でずば、何事(なにごと)をも()()ざらん』 34かれら(こた)へて『なんぢ(まった)(つみ)のうちに(うま)れながら、(われ)らを(をし)ふるか』と()ひて、(つひ)(かれ)()(いだ)せり。
35イエスその()(いだ)されしことを()き、(かれ)()ひて()(たま)ふ『なんぢ(ひと)()(しん)ずるか』 36(こた)へて()ふ『(しゅ)よ、それは(たれ)なる()、われ(しん)ぜまほし』 37イエス()(たま)ふ『なんぢ(かれ)()たり、(なんぢ)(かた)(もの)(それ)なり』 38ここに(かれ)(しゅ)よ、(われ)(しん)ず』といひて(はい)せり。 39イエス()(たま)ふ『われ審判(さばき)(ため)にこの()(きた)れり。()えぬ(ひと)()え、()ゆる(ひと)盲目(めしひ)とならん(ため)なり』 40パリサイ(びと)(うち)イエスと(とも)()りし(もの)、これを()きて()ふ『(われ)らも盲目(めしひ)なるか』 41イエス()(たま)ふ『もし盲目(めしひ)なりしならば、(つみ)なかりしならん、されど()ゆと()(なんぢ)らの(つみ)(のこ)れり』

第十章

1『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、(ひつじ)(をり)(もん)より()らずして、(ほか)より()ゆる(もの)は、盜人(ぬすびと)なり、強盜(がうたう)なり。 2(もん)より()(もの)は、(ひつじ)牧者(ひつじかひ)なり。 3門守(かどもり)(かれ)のために(ひら)き、(ひつじ)はその(こゑ)をきき、(かれ)(おのれ)(ひつじ)()()びて()きいだす。 4(ことご)とく()(ひつじ)をいだしし(とき)、これに(さき)だちゆく、(ひつじ)その(こゑ)()るによりて(したが)ふなり。 5(ほか)(もの)には(したが)はず、(かへ)つて()ぐ、(ほか)(もの)どもの(こゑ)()らぬ(ゆゑ)なり』 6イエスこの(たとへ)()(たま)へど、(かれ)らその何事(なにごと)をかたり(たま)ふかを()らざりき。
7この(ゆゑ)にイエス(また)いひ(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、(われ)(ひつじ)(もん)なり。 8すべて(われ)より(さき)(きた)りし(もの)は、盜人(ぬすびと)なり、強盜(がうたう)なり、(ひつじ)(これ)()かざりき。 9(われ)(もん)なり、おほよそ(われ)によりて()(もの)(すく)はれ、かつ出入(でいり)をなし、(くさ)()べし。 10盜人(ぬすびと)のきたるは(ぬす)み、(ころ)し、(ほろぼ)さんとするの(ほか)なし。わが(きた)るは(ひつじ)生命(いのち)()しめ、かつ(ゆたか)()しめん(ため)なり。 11(われ)()牧者(ひつじかひ)なり、()牧者(ひちじかひ)(ひつじ)のために生命(いのち)()つ。 12牧者(ひつじかひ)ならず、(ひつじ)(おの)がものならぬ雇人(やとひびと)は、豺狼(おほかみ)のきたるを()れば(ひつじ)()てて()ぐ、――豺狼(おほかみ)(ひつじ)をうばひ(かつ)ちらす―― 13(かれ)雇人(やとひびと)にて、その(ひつじ)(かへり)みぬ(ゆゑ)なり。 14(われ)()牧者(ひちじかひ)にして、()がものを()り、()がものは(われ)()る、 15(ちち)(われ)()り、(われ)(ちち)()るが(ごと)し、(われ)(ひつじ)のために生命(いのち)()つ。 16(われ)には(また)この(をり)のものならぬ(ほか)(ひつじ)あり、(これ)をも(みちび)かざるを()ず、(かれ)らは()(こゑ)をきかん、(つひ)(ひと)つの(むれ)ひとりの牧者(ひちじかひ)となるべし。 17(これ)によりて(ちち)(われ)(あい)(たま)ふ、それは(われ)ふたたび生命(いのち)()んために生命(いのち)()つる(ゆゑ)なり。 18(ひと)これを(われ)より()るにあらず、(われ)みづから()つるなり。(われ)(これ)をすつる(けん)あり、(また)これを()(けん)あり、(われ)この命令(めいれい)をわが(ちち)より()けたり』
19これらの(ことば)によりて(また)ユダヤ(びと)のうちに紛爭(あらそひ)おこり、 20その(うち)なる(おほ)くの(もの)いふ『かれは惡鬼(あくき)()かれて()(くる)へり、(なに)(これ)にきくか』 21(ほか)(もの)ども()ふ『これは惡鬼(あくき)()かれたる(もの)(ことば)にあらず、惡鬼(あくき)盲人(めしひ)()をあけ()んや』
22その(ころ)エルサレムに(みや)(きよめ)(まつり)あり、(とき)(ふゆ)なり。 23イエス(みや)(うち)、ソロモンの(らう)(あゆ)みたまふに、 24ユダヤ(びと)(これ)取圍(とりかこ)みて()ふ『何時(いつ)まで(われ)らの(こころ)(まどは)しむるか、(なんぢ)キリストならば明白(あらは)()げよ』 25イエス(こた)(たま)ふ『われ(すで)()げたれど(なんぢ)(しん)ぜず、わが(ちち)()によりて(おこな)ふわざは、(われ)()きて(あかし)す。 26されど(なんぢ)らは(しん)ぜず、()(ひつじ)ならぬ(ゆゑ)なり。 27わが(ひつじ)はわが(こゑ)をきき、(われ)(かれ)らを()り、(かれ)らは(われ)(したが)ふ。 28(われ)かれらに永遠(とこしへ)生命(いのち)(あた)ふれば、(かれ)らは永遠(とこしへ)(ほろ)ぶることなく、(また)かれらを()()より(うば)(もの)あらじ。 29(かれ)らを(われ)にあたへ(たま)ひし()(ちち)は、一切(すべて)のものよりも(おほい)なれば、(たれ)にても(ちち)御手(みて)よりは(うば)ふこと(あた)はず。 30(われ)(ちち)とは(ひと)つなり』 31ユダヤ(びと)また(いし)()りあげてイエスを()たんとす。 32イエス(こた)(たま)ふ『われは(ちち)によりて(おほ)くの()(わざ)(なんぢ)らに(しめ)したり、その(いづれ)(わざ)ゆゑに(われ)(いし)にて()たんとするか』 33ユダヤ(びと)こたふ『なんぢを(いし)にて()つは()きわざの(ゆゑ)ならず、涜言(けがしごと)(ゆゑ)にして、なんぢ(ひと)なるに、(おのれ)(かみ)とする(ゆゑ)なり』 34イエス(こた)(たま)ふ『なんぢらの律法(おきて)に「われ()ふ、(なんぢ)らは(かみ)なり」と(しる)されたるに(あら)ずや。 35かく(かみ)(ことば)(たま)はりし人々(ひとびと)(かみ)()へり。聖書(せいしょ)(すた)るべきにあらず、 36(しか)るに(ちち)(きよ)(わか)ちて()(つかは)(たま)ひし(もの)が「われは(かみ)()なり」と()へばとて、(なに)ぞ「涜言(けがしごと)()ふ」といふか。 37(われ)もし()(ちち)のわざを(おこな)はずば、(われ)(しん)ずな、 38もし(おこな)はば、假令(たとひ)われを(しん)ぜずとも、その(わざ)(しん)ぜよ。さらば(ちち)(われ)にをり、(われ)(ちち)()ることを()りて(さと)らん』 39かれら(また)イエスを(とら)へんとせしが、その()より(のが)れて()(たま)へり。
40かくてイエス(また)ヨルダンの彼方(かなた)、ヨハネの最初(はじめ)にバプテスマを(ほどこ)したる(ところ)にいたり、其處(そこ)にとどまり(たま)ひしが、 41(おほ)くの(ひと)みもとに(きた)りて『ヨハネは(なに)(しるし)をも(おこな)はざりしかど、この(ひと)()きてヨハネの()ひし(こと)は、ことごとく(まこと)なりき』と()ふ。 42(しか)して(おほ)くの(ひと)かしこにてイエスを(しん)じたり。

第十一章

1ここに()める(もの)あり、ラザロと()ふ、マリヤとその姉妹(しまい)マルタとの(むら)ベタニヤの(ひと)なり。 2()のマリヤは、(しゅ)(にほひ)(あぶら)をぬり、頭髮(かみのけ)にて御足(みあし)(ぬぐ)ひし(もの)にして、()めるラザロはその兄弟(きゃうだい)なり。 3姉妹(しまい)(ひと)をイエスに(つかは)して『(しゅ)()よ、なんぢの(あい)(たま)ふもの()めり』と()はしむ。 4(これ)()きてイエス()(たま)ふ『この(やまひ)()(いた)らず、(かみ)榮光(えいくわう)のため、(かみ)()のこれに()りて榮光(えいくわう)()けんためなり』 5イエスはマルタと、その姉妹(しまい)と、ラザロとを(あい)(たま)へり。 6ラザロの()みたるを()きて、その居給(ゐたま)ひし(ところ)になほ二日(ふつか)とどまり、 7(しか)してのち弟子(でし)たちに()(たま)ふ『われら(また)ユダヤに()くべし』 8弟子(でし)たち()ふ『ラビ、この(ほど)もユダヤ(びと)、なんぢを(いし)にて()たんとせしに、(また)かしこに()(たま)ふか』 9イエス(こた)へたまふ『一日(いちにち)十二(じふに)()あるならずや、(ひと)もし(ひる)あるかば、()()(ひかり)()るゆゑに(つまづ)くことなし。 10(よる)あるかば、(ひかり)その(ひと)になき(ゆゑ)(つまづ)くなり』 11かく()ひて(また)その(のち)いひ(たま)ふ『われらの(とも)ラザロ(ねむ)れり、されど(われ)よび(おこ)さん(ため)()くなり』 12弟子(でし)たち()ふ『(しゅ)よ、(ねむ)れるならば()ゆべし』 13イエスは(かれ)()にたることを()(たま)ひしなれど、弟子(でし)たちは()ねて(ねむ)れるを()(たま)ふと(おも)へるなり。 14ここにイエス明白(あらは)()(たま)ふ『ラザロは()にたり。 15(われ)かしこに()らざりし(こと)(なんぢ)()のために(よろこ)ぶ、(なんぢ)()をして(しん)ぜしめんとてなり。されど(われ)(いま)その(もと)()くべし』 16デドモと(とな)ふるトマス、(ほか)弟子(でし)たちに()ふ『われらも()きて(かれ)(とも)()ぬべし』
17さてイエス(きた)()(たま)へば、ラザロの(はか)にあること(すで)四日(よっか)なりき。 18ベタニヤはエルサレムに(ちか)くして、()(じふ)()(ちゃう)ばかりの距離(へだたり)なるが、 19數多(あまた)のユダヤ(びと)、マルタとマリヤとをその兄弟(きゃうだい)(こと)につき(なぐさ)めんとて(きた)れり。 20マルタはイエス來給(きたま)ふと()きて()(むか)へたれど、マリヤはなほ(いへ)()()たり。 21マルタ、イエスに()ふ『(しゅ)よ、もし此處(ここ)(いま)ししならば、()兄弟(きゃうだい)()なざりしものを。 22されど(いま)にても(われ)()る、何事(なにごと)(かみ)(ねが)(たま)ふとも、(かみ)(あた)(たま)はん』 23イエス()(たま)ふ『なんぢの兄弟(きゃうだい)(よみが)へるべし』 24マルタ()ふ『をはりの()復活(よみがへり)のときに(よみが)へるべきを()る』 25イエス()(たま)ふ『(われ)復活(よみがへり)なり、生命(いのち)なり、(われ)(しん)ずる(もの)()ぬとも()きん。 26(おほよ)()きて(われ)(しん)ずる(もの)は、永遠(とこしへ)()なざるべし。(なんぢ)これを(しん)ずるか』 27(かれ)いふ『(しゅ)(しか)り、(われ)なんぢは()(きた)るべきキリスト、(かみ)()なりと(しん)ず』 28かく()ひて(のち)、ゆきて(ひそか)にその姉妹(しまい)マリヤを()びて『()きたりて(なんぢ)()びたまふ』と()ふ。 29マリヤ(これ)をきき、(いそ)()ちて御許(みもと)()けり。 30イエスは(いま)(むら)()らず、(なほ)マルタの(むか)へし(ところ)居給(ゐたま)ふ。 31マリヤと(とも)(いへ)()りて(なぐさ)()たるユダヤ(びと)、その(いそ)()ちて()でゆくを()、かれは(なげ)かんとて(はか)()くと(おも)ひて(のち)(したが)へり。 32かくてマリヤ、イエスの居給(ゐたま)(ところ)にいたり、(これ)()てその足下(あしもと)()し『(しゅ)よ、もし此處(ここ)(いま)ししならば、()兄弟(きゃうだい)()なざりしものを』と()ふ。 33イエスかれが()()り、(とも)(きた)りしユダヤ(びと)()()るを()て、(こころ)(いた)(かな)しみて()(たま)ふ、 34『かれを何處(いづこ)()きしか』(かれ)()ふ『(しゅ)よ、(きた)りて()(たま)へ』 35イエス(なみだ)をながし(たま)ふ。 36ここにユダヤ(びと)()ふ『()よ、いかばかり(かれ)(あい)せしぞや』 37その(うち)(ある)(もの)ども()ふ『盲人(めしひ)()をあけし()(ひと)にして、(かれ)()なざらしむること(あた)はざりしか』 38イエスまた(こころ)(いた)めつつ(はか)にいたり(たま)ふ。(はか)(ほら)にして(いし)()きて(ふさ)げり。 39イエス()(たま)ふ『(いし)(のぞ)けよ』()にし(ひと)姉妹(しまい)マルタ()ふ『(しゅ)よ、(かれ)ははや(くさ)し、四日(よっか)()たればなり』 40イエス()(たま)ふ『われ(なんぢ)に、もし(しん)ぜば(かみ)榮光(えいくわう)()んと()ひしにあらずや』 41ここに人々(ひとびと)(いし)(のぞ)けたり。イエス()()げて()ひたまふ『(ちち)よ、(われ)にきき(たま)ひしを(しゃ)す。 42(つね)にきき(たま)ふを(われ)()る。(しか)るに()()ふは、(かたは)らに()群衆(ぐんじゅう)(ため)にして、(なんぢ)(われ)(つかは)(たま)ひしことを(これ)(しん)ぜしめんとてなり』 43()()ひてのち、(こゑ)(たか)く『ラザロよ、()(きた)れ』と(よば)はり(たま)へば、 44()にしもの(ぬの)にて(あし)()とを()かれたるまま()(きた)る、(かほ)手拭(てぬぐひ)にて(つつ)まれたり。イエス『これを()きて()かしめよ』と()(たま)ふ。
45かくてマリヤの(もと)(きた)りて、イエスの()(たま)ひし(こと)()たる(おほ)くのユダヤ(びと)、かれを(しん)じたりしが、 46(ある)(もの)はパリサイ(びと)()きて、イエスの()(たま)ひし(こと)()げたり。
47ここに祭司長(さいしちゃう)・パリサイ(びと)議會(ぎくわい)(ひら)きて()ふ『われら如何(いか)()すべきか、()(ひと)おほくの(しるし)(おこな)ふなり。 48もし(かれ)をこのまま()ておかば、人々(ひとびと)みな(かれ)(しん)ぜん、(しか)してロマ(びと)きたりて、(われ)らの土地(とち)國人(くにびと)とを(うば)はん』 49その(うち)一人(ひとり)にて()(とし)(だい)祭司(さいし)なるカヤパ()ふ『なんぢら(なに)をも()らず。 50ひとりの(ひと)(たみ)のために()にて、國人(くにびと)すべての(ほろ)びぬは、(なんぢ)らの(えき)なるを(おも)はぬなり』 51これは(おのれ)より()へるに(あら)ず、この(とし)(だい)祭司(さいし)なれば、イエスの國人(くにびと)のため、 52(また)ただに國人(くにびと)(ため)のみならず、()りたる(かみ)()らを(ひと)つに(あつ)めん(ため)()(たま)ふことを預言(よげん)したるなり。 53(かれ)()この()よりイエスを(ころ)さんと(はか)れり。
54されば()(のち)イエス(あらは)にユダヤ(びと)のなかを(あゆ)(たま)はず、此處(ここ)()りて、荒野(あらの)にちかき(ところ)なるエフライムといふ(まち)()き、弟子(でし)たちと(とも)其處(そこ)(とどま)りたまふ。 55ユダヤ(びと)過越(すぎこし)(まつり)(ちか)づきたれば、(おほ)くの人々(ひとびと)()(きよ)めんとて、(まつり)のまへに田舍(ゐなか)よりエルサレムに(のぼ)れり。 56(かれ)らイエスをたづね、(みや)()ちて(たがひ)()ふ『なんぢら如何(いか)(おも)ふか、(かれ)(まつり)(きた)らぬか』 57祭司長(さいしちゃう)・パリサイ(びと)らは、イエスを(とら)へんとて、その在處(ありか)()(もの)あらば、()()づべく(かね)命令(めいれい)したりしなり。

第十二章

1過越(すぎこし)(まつり)六日(むゆか)(まへ)に、イエス、ベタニヤに(きた)(たま)ふ、ここは死人(しにん)(うち)より(よみが)へらせ(たま)ひしラザロの()(ところ)なり。 2此處(ここ)にてイエスのために饗宴(ふるまひ)(まう)け、マルタは(つか)へ、ラザロはイエスと(とも)(せき)()ける(もの)(うち)にあり。 3マリヤは(あたひ)(たか)(まじ)りなきナルドの(にほひ)(あぶら)一斤(いっきん)()(きた)りて、イエスの御足(みあし)にぬり、(おの)頭髮(かみのけ)にて御足(みあし)(ぬぐ)ひしに、(にほひ)(あぶら)のかをり(いへ)滿()ちたり。 4御弟子(みでし)一人(ひとり)にて、イエスを()らんとするイスカリオテのユダ()ふ、 5(なに)ぞこの(にほひ)(あぶら)(さん)(ひゃく)デナリに()りて、(まづ)しき(もの)(ほどこ)さざる』 6かく()へるは(まづ)しき(もの)(おも)(ゆゑ)にあらず、おのれ盜人(ぬすびと)にして、財嚢(かねいれ)(あづか)り、その(なか)(をさ)むる(もの)(かす)めゐたればなり。 7イエス()(たま)ふ『この(をんな)()すに(まか)せよ、()(はうむ)りの()のために(これ)(たくは)へたるなり。 8(まづ)しき(もの)(つね)(なんぢ)らと(とも)()れども、(われ)(つね)()らぬなり』
9ユダヤの(おほ)くの(たみ)ども、イエスの此處(ここ)居給(ゐたま)ふことを()りて(きた)る、これはイエスの(ため)のみにあらず、死人(しにん)(うち)より(よみが)へらせ(たま)ひしラザロを()んとてなり。 10かくて祭司長(さいしちゃう)ら、ラザロをも(ころ)さんと(はか)る。 11(かれ)のために(おほ)くのユダヤ(びと)さり()きてイエスを(しん)ぜし(ゆゑ)なり。
12()くる()(まつり)(きた)りし(おほ)くの(たみ)ども、イエスのエルサレムに(きた)(たま)ふをきき、 13棕梠(しゅろ)(えだ)をとりて()(むか)へ、『「ホサナ、()むべきかな、(しゅ)御名(みな)によりて(きた)(もの)」イスラエルの(わう)』と(よば)はる。 14イエスは小驢馬(ころば)()(これ)()(たま)ふ。これは(しる)して、 15『シオンの(むすめ)よ、(おそ)るな。()よ、なんぢの(わう)驢馬(ろば)()()りて(きた)(たま)ふ』と()るが(ごと)し。 16弟子(でし)たちは最初(はじめ)これらの(こと)(さと)らざりしが、イエスの榮光(えいくわう)()(たま)ひし(のち)に、これらの(こと)のイエスに()きて(しる)されたると、人々(ひとびと)()()ししとを(おも)(いだ)せり。 17ラザロを(はか)より()(おこ)し、死人(しにん)(うち)より(よみが)へらせ(たま)ひし(とき)に、イエスと(とも)()りし群衆(ぐんじゅう)(あかし)をなせり。 18群衆(ぐんじゅう)のイエスを(むか)へたるは、かかる(しるし)(おこな)(たま)ひしことを()きたるに()りてなり。 19パリサイ(びと)(たがひ)()ふ『()るべし、(なんぢ)らの(はか)ることの(えき)なきを。()よ、()(かれ)(したが)へり』
20禮拜(れいはい)せんとて(まつり)(のぼ)りたる(もの)(うち)に、ギリシヤ(びと)數人(すにん)ありしが、 21ガリラヤなるベツサイダのピリポに(きた)り、()ひて()ふ『(きみ)よ、われらイエスに(まみ)えんことを(ねが)ふ』 22ピリポ()きてアンデレに()げ、アンデレとピリポと(とも)()きてイエスに()ぐ。 23イエス(こた)へて()(たま)ふ『(ひと)()榮光(えいくわう)()くべき(とき)きたれり。 24(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、一粒(ひとつぶ)(むぎ)()()ちて()なずば、唯一(ただひと)つにて()らん、もし()なば、(おほ)くの()(むす)ぶべし。 25(おの)生命(いのち)(あい)する(もの)は、これを(うしな)ひ、この()にてその生命(いのち)(にく)(もの)は、(これ)(たも)ちて永遠(とこしへ)生命(いのち)(いた)るべし。 26(ひと)もし(われ)(つか)へんとせば、(われ)(したが)へ、わが()(ところ)(われ)(つか)ふる(もの)もまた()るべし。(ひと)もし(われ)(つか)ふることをせば、()(ちち)これを(たふと)(たま)はん。 27(いま)わが(こころ)さわぐ、われ(なに)()ふべきか。(ちち)よ、この(とき)より(われ)(すく)(たま)へ、されど(われ)この(ため)にこの(とき)(いた)れり。 28(ちち)よ、御名(みな)榮光(えいくわう)をあらはし(たま)へ』ここに(てん)より(こゑ)いでて()ふ『われ(すで)榮光(えいくわう)をあらはしたり、(また)さらに(あらは)さん』 29(かたは)らに()てる群衆(ぐんじゅう)これを()きて『雷霆(いかづち)()れり』と()ひ、ある人々(ひとびと)は『御使(みつかひ)かれに(かた)れるなり』と()ふ。 30イエス(こた)へて()(たま)ふ『この(こゑ)(きた)りしは、()(ため)にあらず、(なんぢ)らの(ため)なり。 31(いま)この()審判(さばき)(きた)れり、(いま)この()(きみ)()(いだ)さるべし。 32(われ)もし()より()げられなば、(すべ)ての(ひと)をわが(もと)()きよせん』 33かく()ひて、(おの)如何(いか)なる()にて()ぬるかを(しめ)(たま)へり。 34群衆(ぐんじゅう)こたふ『われら律法(おきて)によりて、キリストは永遠(とこしへ)(ながら)(たま)ふと()きたるに、(なんぢ)いかなれば(ひと)()()げらるべしと()ふか、その(ひと)()とは(たれ)なるか』 35イエス()(たま)ふ『なほ(しば)(ひかり)(なんぢ)らの(うち)にあり、(ひかり)のある()(あゆ)みて、暗黒(くらき)追及(おひつ)かれぬやうにせよ、(くら)(うち)(あゆ)(もの)往方(ゆくて)()らず。 36(ひかり)()とならんために、(ひかり)のある()(ひかり)(しん)ぜよ』
イエス(これ)()のことを(かた)りてのち、(かれ)らを()けて(かく)(たま)へり。 37かく(おほ)くの(しるし)人々(ひとびと)(まへ)におこなひ(たま)ひたれど、なほ(かれ)(しん)ぜざりき。 38これ預言者(よげんしゃ)イザヤの(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。(いは)
(しゅ)よ、(われ)らに()きたる(ことば)(たれ)(しん)ぜし。
(しゅ)御腕(みうで)(たれ)にあらはれし』
39(かれ)らが(しん)()ざりしは()(ゆゑ)なり。(すなは)ちイザヤまた()へらく、
40(かれ)らの()(くら)くし、(こころ)頑固(かたくな)にし(たま)へり。
これ()にて()(こころ)にて(さと)り、
ひるがへりて、
(われ)(いや)さるる(こと)なからん(ため)なり』
41イザヤの()()へるは、その榮光(えいくわう)()(ゆゑ)にて、イエスに()きて(かた)りしなり。 42されど(つかさ)たちの(うち)にもイエスを(しん)じたるもの(おほ)かりしが、パリサイ(びと)(ゆゑ)によりて()(あらは)すことをせざりき、除名(ぢょめい)せられん(こと)(おそ)れたるなり。 43(かれ)らは(かみ)(ほまれ)よりも(ひと)(ほまれ)()でしなり。
44イエス(よば)はりて()(たま)ふ『われを(しん)ずる(もの)(われ)(しん)ずるにあらず、(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)(しん)じ、 45(われ)()(もの)(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)()るなり。 46(われ)(ひかり)として()(きた)れり、すべて(われ)(しん)ずる(もの)暗黒(くらき)()らざらん(ため)なり。 47(ひと)たとひ()(ことば)をききて(まも)らずとも、(われ)(これ)(さば)かず。(それ)わが(きた)りしは()(さば)かん(ため)にあらず、()(すく)はん(ため)なり。 48(われ)()()(ことば)()けぬ(もの)(さば)(もの)あり、わが(かた)れる(ことば)こそ(をはり)()(これ)(さば)くなれ。 49(われ)はおのれに()りて(かた)れるにあらず、(われ)(つかは)(たま)ひし(ちち)みづから、()()ふべきこと(かた)るべきことを(めい)(たま)ひし(ゆゑ)なり。 50(われ)その命令(めいれい)永遠(とこしへ)生命(いのち)たるを()る。されば(われ)(かた)るに()(ちち)(われ)()(たま)ふままを(かた)るなり』

第十三章

1過越(すぎこし)のまつりの(まへ)に、イエスこの()()りて(ちち)()くべき(おの)(とき)(きた)れるを()り、()()(おのれ)(もの)(あい)して、(きはみ)まで(これ)(あい)(たま)へり。 2夕餐(ゆふげ)のとき、惡魔(あくま)(はや)くもシモンの()イスカリオテのユダの(こころ)に、イエスを()らんとする(おもひ)()れたるが、 3イエス(ちち)萬物(ばんもつ)をおのが()にゆだね(たま)ひしことと、(おのれ)(かみ)より()でて(かみ)(いた)ることを()り、 4夕餐(ゆふげ)より()ちて上衣(うはぎ)をぬぎ、手巾(てぬぐひ)をとりて(こし)にまとひ、 5(つい)(たらひ)(みづ)をいれて、弟子(でし)たちの(あし)をあらひ、(まと)ひたる手巾(てぬぐひ)にて(これ)(ぬぐ)ひはじめ(たま)ふ。 6かくてシモン・ペテロに(いた)(たま)へば、(かれ)いふ『(しゅ)よ、(なんぢ)わが(あし)(あら)(たま)ふか』 7イエス(こた)へて()(たま)ふ『わが()すことを(なんぢ)いまは()らず、(のち)(さと)るべし』 8ペテロ()ふ『永遠(とこしへ)()(あし)をあらひ(たま)はざれ』イエス(こた)(たま)ふ『(われ)もし(なんぢ)(あら)はずば、(なんぢ)われと關係(かかはり)なし』 9シモン・ペテロ()ふ『(しゅ)よ、わが(あし)のみならず、()をも(かしら)をも』 10イエス()(たま)ふ『すでに(よく)したる(もの)(あし)のほか(あら)ふを(えう)せず、全身(ぜんしん)きよきなり。()(なんぢ)らは(きよ)し、されど(ことご)とくは(しか)らず』 11これ(おのれ)()(もの)(たれ)なるを()りたまふ(ゆゑ)に『ことごとくは(きよ)からず』と()(たま)ひしなり。
12(かれ)らの(あし)をあらひ、(おの)上衣(うはぎ)をとり、(ふたた)(せき)につきて(のち)いひ(たま)ふ『わが(なんぢ)らに()したることを()るか。 13なんぢら(われ)()また(しゅ)ととなふ、()()ふは(うべ)なり、(われ)(これ)なり。 14(われ)(しゅ)また()なるに、(なほ)なんぢらの(あし)(あら)ひたれば、(なんぢ)らも(たがひ)(あし)(あら)ふべきなり。 15われ(なんぢ)らに模範(もはん)(しめ)せり、わが()ししごとく(なんぢ)らも()さんためなり。 16(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、(しもべ)はその(しゅ)よりも(おほい)ならず。(つかは)されたる(もの)(これ)(つかは)(もの)よりも(おほい)ならず。 17(なんぢ)()これらの(こと)()りて(これ)(おこな)はば幸福(さいはひ)なり。 18これ(なんぢ)(すべ)ての(もの)につきて()ふにあらず、(われ)はわが(えら)びたる(もの)どもを()る。されど聖書(せいしょ)に「(われ)とともにパンを(くら)(もの)、われに(むか)ひて(きびす)()げたり」と()へることは、(かなら)成就(じゃうじゅ)すべきなり。 19(いま)その(こと)()らぬ(まへ)(これ)(なんぢ)らに()ぐ、(こと)()らん(とき)、わが(それ)なるを(なんぢ)らの(しん)ぜんためなり。 20(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、わが(つかは)(もの)()くる(もの)(われ)をうくるなり。(われ)()くる(もの)(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)()くるなり』
21イエス(これ)()のことを()()へて、(こころ)さわぎ(あかし)をなして()(たま)ふ『まことに(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、(なんぢ)らの(うち)一人(ひとり)われを()らん』 22弟子(でし)たち(たがひ)(かほ)()(あは)せ、(たれ)につきて()(たま)ふかを(いぶか)る。 23イエスの(あい)したまふ一人(ひとり)弟子(でし)、イエスの御胸(みむね)によりそひ()たれば、 24シモン・ペテロ(かうべ)にて(しめ)し『(たれ)のことを()(たま)ふか、()げよ』といふ。 25(かれ)そのまま御胸(みむね)によりかかりて『(しゅ)よ、(たれ)なるか』と()ひしに、 26イエス(こた)(たま)ふ『わが一撮(ひとつまみ)食物(くひもの)(ひた)して(あた)ふる(もの)(それ)なり』かくて一撮(ひとつまみ)食物(くひもの)(ひた)して、シモンの()イスカリオテのユダに(あた)へたまふ。 27ユダ一撮(ひとつまみ)食物(くひもの)()くるや、惡魔(あくま)かれに()りたり。イエス(かれ)()ひたまふ『なんぢが()すことを(すみや)かに()せ』 28(せき)()きゐたる(もの)一人(ひとり)として、(なに)(ゆゑ)かく()(たま)ふかを()らず。 29ある人々(ひとびと)は、ユダが財嚢(かねいれ)(あづか)るによりて『(まつり)のために(えう)する(もの)()へ』とイエスの()(たま)へるか、また(まづ)しき(もの)(なに)(ほどこ)さしめ(たま)ふならんと(おも)へり。 30ユダ一撮(ひとつまみ)食物(くひもの)()くるや、(ただ)ちに()づ、(とき)(よる)なりき。
31ユダの()でし(のち)、イエス()(たま)ふ『(いま)(ひと)()榮光(えいくわう)をうく、(かみ)(かれ)によりて榮光(えいくわう)をうけ(たま)ふ。 32(かみ)かれに()りて榮光(えいくわう)をうけ(たま)はば、(かみ)(おのれ)によりて(かれ)榮光(えいくわう)(あた)(たま)はん、(ただ)ちに(あた)(たま)ふべし。 33若子(わくご)よ、(われ)なほ(しばら)(なんぢ)らと(とも)にあり、(なんぢ)らは(われ)(たづ)ねん、されど(かつ)てユダヤ(びと)に「なんぢらは()()(ところ)(きた)ること(あた)はず」と()ひし(ごと)く、(いま)(なんぢ)らにも()()ふなり。 34われ(あたら)しき誡命(いましめ)(なんぢ)らに(あた)ふ、なんぢら(あひ)(あい)すべし。わが(なんぢ)らを(あい)せしごとく、(なんぢ)らも(あひ)(あい)すべし。 35(たがひ)(あひ)(あい)する(こと)をせば、(これ)によりて(ひと)みな(なんぢ)らの()弟子(でし)たるを()らん』
36シモン・ペテロ()ふ『(しゅ)よ、何處(いづこ)にゆき(たま)ふか』イエス(こた)(たま)ふ『わが()(ところ)に、なんぢ(いま)(したが)ふこと(あた)はず。されど(のち)(したが)はん』 37ペテロ()ふ『(しゅ)よ、いま(したが)ふこと(あた)はぬは(なに)(ゆゑ)ぞ、(われ)(なんぢ)のために生命(いのち)()てん』 38イエス(こた)(たま)ふ『なんぢ()がために生命(いのち)()つるか、(まこと)にまことに(なんぢ)()ぐ、なんぢ三度(みたび)われを(いな)むまでは、(にはとり)()かざるべし』

第十四章

1『なんぢら(こころ)(さわ)がすな、(かみ)(しん)じ、また(われ)(しん)ぜよ。 2わが(ちち)(いへ)には住處(すみか)おほし、(しか)らずば(われ)かねて(なんぢ)らに()げしならん。われ(なんぢ)()のために(ところ)(そな)へに()く。 3もし()きて(なんぢ)らの(ため)(ところ)(そな)へば、(また)きたりて(なんぢ)らを()がもとに(むか)へん、わが()るところに(なんぢ)らも()らん(ため)なり。 4(なんぢ)らは()()くところに(いた)(みち)()る』 5トマス()ふ『(しゅ)よ、何處(いづこ)にゆき(たま)ふかを()らず、いかでその(みち)()らんや』 6イエス(かれ)()(たま)ふ『われは(みち)なり、眞理(まこと)なり、生命(いのち)なり、(われ)()らでは(たれ)にても(ちち)御許(みもと)にいたる(もの)なし。 7(なんぢ)()もし(われ)()りたらば、()(ちち)をも()りしならん。(いま)より(なんぢ)(これ)()る、(すで)(これ)()たり』 8ピリポ()ふ『(しゅ)よ、(ちち)(われ)らに(しめ)(たま)へ、さらば()れり』 9イエス()(たま)ふ『ピリポ、(われ)かく(ひさ)しく(なんぢ)らと(とも)()りしに、(われ)()らぬか。(われ)()(もの)(ちち)()しなり、如何(いか)なれば「(われ)らに(ちち)(しめ)せ」と()ふか。 10(われ)(ちち)()り、(ちち)(われ)居給(ゐたま)ふことを(しん)ぜぬか。わが(なんぢ)()にいふ(ことば)は、(おのれ)によりて(かた)るにあらず、(ちち)われに(いま)して御業(みわざ)をおこなひ(たま)ふなり。 11わが()ふことを(しん)ぜよ、(われ)(ちち)にをり、(ちち)(われ)居給(ゐたま)ふなり。もし(しん)ぜずば、()(わざ)によりて(しん)ぜよ。 12(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、(われ)(しん)ずる(もの)()がなす(わざ)をなさん、かつ(これ)よりも(おほい)なる(わざ)をなすべし、われ(ちち)()けばなり。 13(なんぢ)らが()()によりて(ねが)ふことは、(われ)みな(これ)()さん、(ちち)()によりて榮光(えいくわう)()(たま)はんためなり。 14何事(なにごと)にても()()によりて(われ)(ねが)はば、(われ)これを()すべし。 15(なんぢ)()もし(われ)(あい)せば、()誡命(いましめ)(まも)らん。 16われ(ちち)()はん、(ちち)(ほか)助主(たすけぬし)をあたへて、永遠(とこしへ)(なんぢ)らと(とも)()らしめ(たま)ふべし。 17これは眞理(しんり)御靈(みたま)なり、()はこれを()くること(あた)はず、これを()ず、また()らぬに()る。なんぢらは(これ)()る、(かれ)(なんぢ)らと(とも)()り、また(なんぢ)らの(うち)居給(ゐたま)ふべければなり。 18(われ)なんぢらを(つかは)して孤兒(みなしご)とはせず、(なんぢ)らに(きた)るなり。 19(しばら)くせば()(また)われを()ず、されど(なんぢ)らは(われ)()る、われ()くれば(なんぢ)らも()くべければなり。 20その()には、(われ)わが(ちち)()り、なんぢら(われ)()り、われ(なんぢ)らに()ることを(なんぢ)()らん。 21わが誡命(いましめ)(たも)ちて(これ)(まも)るものは、(すなは)(われ)(あい)する(もの)なり。(われ)(あい)する(もの)()(ちち)(あい)せられん、(われ)(これ)(あい)し、(これ)(おのれ)(あらは)すべし』 22イスカリオテならぬユダ()ふ『(しゅ)よ、(なに)(ゆゑ)おのれを(われ)らに(あらは)して、()には(あらは)(たま)はぬか』 23イエス(こた)へて()(たま)ふ『(ひと)もし(われ)(あい)せば、わが(ことば)(まも)らん、わが(ちち)これを(あい)し、かつ我等(われら)その(もと)(きた)りて住處(すみか)(これ)とともにせん。 24(われ)(あい)せぬ(もの)は、わが(ことば)(まも)らず。(なんぢ)らが()くところの(ことば)は、わが(ことば)にあらず、(われ)(つかは)(たま)ひし(ちち)(ことば)なり。
25(これ)()のことは(われ)なんぢらと(とも)にありて(かた)りしが、 26助主(たすけぬし)すなはちわが()によりて(ちち)(つかは)したまふ(せい)(れい)は、(なんぢ)らに(よろづ)(こと)ををしへ、(また)すべて()(なんぢ)らに()ひしことを(おも)(いだ)さしむべし。 27われ平安(へいあん)(なんぢ)らに(のこ)す、わが平安(へいあん)(なんぢ)らに(あた)ふ。わが(あた)ふるは()(あた)ふる(ごと)くならず、なんぢら(こころ)(さわ)がすな、また(おそ)るな。 28「われ()きて(なんぢ)らに(きた)るなり」と()ひしを(なんぢ)(すで)()けり。もし(われ)(あい)せば、(ちち)にわが()くを(よろこ)ぶべきなり、(ちち)(われ)よりも(おほい)なるに()る。 29(いま)その(こと)()らぬ(さき)に、これを(なんぢ)らに()げたり、(こと)()らんとき(なんぢ)らの(しん)ぜんためなり。 30(いま)より(のち)われ(なんぢ)らと(おほ)(かた)らじ、この()(きみ)きたる(ゆゑ)なり。(かれ)(われ)(たい)して(なに)(けん)もなし、 31されど()くなるは、(われ)の、(ちち)(あい)し、(ちち)(めい)(たま)ふところに(したが)ひて(おこな)ふことを、()()らん(ため)なり。()きよ、いざ此處(ここ)()るべし。

第十五章

1(われ)(まこと)葡萄(ぶだう)()、わが(ちち)農夫(のうふ)なり。 2おほよそ(われ)にありて()(むす)ばぬ(えだ)は、(ちち)これを(のぞ)き、()(むす)ぶものは、いよいよ()(むす)ばせん(ため)(これ)(きよ)めたまふ。 3(なんぢ)らは(すで)(きよ)し、わが(かた)りたる(ことば)()りてなり。 4(われ)()れ、さらば(われ)なんぢらに()らん。(えだ)もし()()らずば、(みづか)()(むす)ぶこと(あた)はぬごとく、(なんぢ)らも(われ)()らずば(また)(しか)り。 5(われ)葡萄(ぶだう)()、なんぢらは(えだ)なり。(ひと)もし(われ)にをり、(われ)また(かれ)にをらば、(おほ)くの()(むす)ぶべし。(なんぢ)(われ)(はな)るれば、何事(なにごと)をも()(あた)はず。 6(ひと)もし(われ)()らずば、(えだ)のごとく(そと)()てられて()る、人々(ひとびと)これを(あつ)()()()れて()くなり。 7(なんぢ)()もし(われ)()り、わが(ことば)なんぢらに()らば、(なに)にても(のぞみ)(したが)ひて(もと)めよ、さらば()らん。 8なんぢら(おほ)くの()(むす)ばば、わが(ちち)榮光(えいくわう)()(たま)ふべし、(しか)して(なんぢ)()わが弟子(でし)とならん。 9(ちち)(われ)(あい)(たま)ひしごとく、(われ)(なんぢ)らを(あい)したり、わが(あい)()れ。 10なんぢら()しわが誡命(いましめ)をまもらば、()(あい)にをらん、(われ)わが(ちち)誡命(いましめ)(まも)りて、その(あい)()るがごとし。 11(われ)これらの(こと)(かた)りたるは、()喜悦(よろこび)(なんぢ)らに()り、かつ(なんぢ)らの喜悦(よろこび)滿(みた)されん(ため)なり。 12わが誡命(いましめ)(これ)なり、わが(なんぢ)らを(あい)せしごとく(たがひ)(あひ)(あい)せよ。 13(ひと)その(とも)のために(おのれ)生命(いのち)()つる、(これ)より(おほい)なる(あい)はなし。 14(なんぢ)()もし()(めい)ずる(こと)をおこなはば、()(とも)なり。 15(いま)よりのち(われ)なんぢらを(しもべ)といはず、(しもべ)主人(しゅじん)のなす(こと)()らざるなり。(われ)なんぢらを(とも)()べり、()(ちち)()きし(すべ)てのことを(なんぢ)らに()らせたればなり。 16(なんぢ)(われ)(えら)びしにあらず、(われ)なんぢらを(えら)べり。(しか)して(なんぢ)らの()きて()(むす)び、(かつ)その()(のこ)らんために、(また)おほよそ()()によりて(ちち)(もと)むるものを、(ちち)(たま)はんために(なんぢ)らを()てたり。 17これらの(こと)(めい)ずるは、(なんぢ)らの(たがひ)(あひ)(あい)せん(ため)なり。 18()もし(なんぢ)らを(にく)まば、(なんぢ)()より(さき)(われ)(にく)みたることを()れ。 19(なんぢ)()もし()のものならば、()(おの)がものを(あい)するならん。(なんぢ)らは()のものならず、(われ)なんぢらを()より(えら)びたり。この(ゆゑ)()(なんぢ)らを(にく)む。 20わが(なんぢ)らに「(しもべ)はその主人(しゅじん)より(おほい)ならず」と()げし(ことば)をおぼえよ。(ひと)もし(われ)()めしならば、(なんぢ)()をも()め、わが(ことば)(まも)りしならば、(なんぢ)らの(ことば)をも(まも)らん。 21すべて(これ)()のことを()()(ゆゑ)(なんぢ)らに()さん、それは(われ)(つかは)(たま)ひし(もの)()らぬに()る。 22われ(きた)りて(かた)らざりしならば、(かれ)(つみ)なかりしならん。されど(いま)はその(つみ)いひのがるべき(やう)なし。 23(われ)(にく)むものは()(ちち)をも(にく)むなり。 24(われ)もし(たれ)もいまだ(おこな)はぬ(こと)(かれ)らの(うち)(おこな)はざりしならば、(かれ)(つみ)なかりしならん。されど(いま)ははや(われ)をも()(ちち)をも()たり、また(にく)みたり。 25これは(かれ)らの律法(おきて)に「ひとびと(ゆゑ)なくして(われ)(にく)めり」と(しる)したる(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。 26(ちち)(もと)より()(つかは)さんとする助主(たすけぬし)、すなはち(ちち)より()づる眞理(しんり)御靈(みたま)のきたらんとき、(われ)につきて(あかし)せん。 27(なんぢ)()もまた(はじめ)より(われ)とともに()りたれば(あかし)するなり。

第十六章

1(われ)これらの(こと)(かた)りたるは、(なんぢ)らの(つまづ)かざらん(ため)なり。 2(ひと)なんぢらを除名(ぢょめい)すべし、(しか)のみならず、(なんぢ)らを(ころ)(もの)みな(みづか)(かみ)(つか)ふと(おも)ふとき(きた)らん。 3これらの(こと)をなすは、(ちち)(われ)とを()らぬ(ゆゑ)なり。 4(われ)これらの(こと)(かた)りたるは、(とき)いたりて()()()ひしことを(なんぢ)らの(おも)ひいでん(ため)なり。(はじめ)より(これ)()のことを()はざりしは、(われ)なんぢらと(とも)()りし(ゆゑ)なり。 5(いま)われを(つかは)(たま)ひし(もの)にゆく、(しか)るに(なんぢ)らの(うち)、たれも(われ)に「何處(いづこ)にゆく」と()(もの)なし。 6(ただ)これらの(こと)(かた)りしによりて、(うれひ)なんぢらの(こころ)にみてり。 7されど、われ(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、わが()るは(なんぢ)らの(えき)なり。(われ)さらずば助主(たすけぬし)なんぢらに(きた)らじ、(われ)ゆかば(これ)(なんぢ)らに(つかは)さん。 8かれ(きた)らんとき、()をして(つみ)につき、()につき、審判(さばき)につきて、(あやま)てるを(みと)めしめん。 9(つみ)()きてとは、(かれ)(われ)(しん)ぜぬに()りてなり。 10()()きてとは、われ(ちち)にゆき、(なんぢ)(いま)より(われ)()ぬに()りてなり。 11審判(さばき)()きてとは、()()(きみ)さばかるるに()りてなり。 12(われ)なほ(なんぢ)らに()ぐべき(こと)あまたあれど、(いま)なんぢら()()へず。 13されど(かれ)すなはち眞理(しんり)御靈(みたま)きたらん(とき)、なんぢらを(みちび)きて眞理(しんり)をことごとく(さと)らしめん。かれ(おのれ)より(かた)るにあらず、(おほよ)()くところの(こと)(かた)り、かつ(きた)らんとする(こと)どもを(なんぢ)らに(しめ)さん。 14(かれ)はわが榮光(えいくわう)(あらは)さん、それは()がものを()けて(なんぢ)らに示すべければなり。 15すべて(ちち)()(たま)ふものは()がものなり、()(ゆゑ)()がものを()けて(なんぢ)らに(しめ)さんと()へるなり。 16(しばら)くせば(なんぢ)(われ)()ず、また(しばら)くして(われ)()るべし』 17ここに弟子(でし)たちのうち(ある)(もの)たがひに()ふ『「(しばら)くせば(われ)()ず、また(しばら)くして(われ)()るべし」と()ひ、かつ「(ちち)()くによりて」と()(たま)へるは、如何(いか)なることぞ』 18(また)いふ『この(しばら)くとは如何(いか)なることぞ、我等(われら)その()(たま)ふところを()らず』 19イエスその()はんと(おも)へるを()りて()(たま)ふ『なんぢら「(しばら)くせば(われ)()ず、また(しばら)くして(われ)()るべし」と()()ひしを(たづ)ねあふか。 20(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、なんぢらは()(かな)しみ、()(よろこ)ばん。(なんぢ)(うれ)ふべし、()れどその(うれひ)喜悦(よろこび)とならん。 21をんな()まんとする(とき)(うれひ)あり、その()いたるに()りてなり。()()みてのちは苦痛(くるしみ)をおぼえず、()(ひと)(うま)れたる喜悦(よろこび)によりてなり。 22()(なんぢ)らも(いま)(うれひ)あり、されど(われ)ふたたび(なんぢ)らを()ん、その(とき)なんぢらの(こころ)よろこぶべし、その喜悦(よろこび)(うば)(もの)なし。 23かの()には(なんぢ)何事(なにごと)をも(われ)()ふまじ。(まこと)にまことに(なんぢ)らに()ぐ、(なんぢ)()のすべて(ちち)(もと)むる(もの)をば、()()によりて(たま)ふべし。 24なんぢら(いま)までは(なに)をも()()によりて(もと)めたることなし。(もと)めよ、()らば()けん、(しか)して(なんぢ)らの喜悦(よろこび)みたさるべし。
25(われ)これらの(こと)(たとへ)にて(かた)りたりしが、また(たとへ)にて(かた)らず、明白(あらは)(ちち)のことを(なんぢ)らに()ぐるとき(きた)らん。 26その()には(なんぢ)()わが()によりて(もと)めん。(われ)(なんぢ)らの(ため)(ちち)()ふと()はず、 27(ちち)みづから(なんぢ)らを(あい)(たま)へばなり。これ(なんぢ)()われを(あい)し、また(われ)(ちち)より()(きた)りしことを(しん)じたるに()る。 28われ(ちち)より()でて()にきたれり、また()(はな)れて(ちち)()くなり』 29弟子(でし)たち()ふ『()よ、(いま)明白(あらは)(かた)りて(いささ)かも(たとへ)をいひ(たま)はず。 30(われ)(いま)なんぢの()(たま)はぬ(ところ)なく、また(ひと)(なんぢ)()ふを()(たま)はぬことを()る。(これ)によりて(なんぢ)(かみ)より()できたり(たま)ひしことを(しん)ず』 31イエス(こた)(たま)ふ『なんぢら(いま)(しん)ずるか。 32()よ、なんぢら(ちら)されて各自(おのおの)おのが(ところ)にゆき、(われ)をひとり(のこ)すとき(いた)らん、(いな)すでに(いた)れり。()れど(われ)ひとり()るにあらず、(ちち)われと(とも)(いま)すなり。 33(これ)()のことを(なんぢ)らに(かた)りたるは、(なんぢ)(われ)()りて平安(へいあん)()んが(ため)なり。なんぢら()にありては患難(なやみ)あり、されど雄々(をを)しかれ。(われ)すでに()()てり』

第十七章

1イエスこれらの(こと)(かた)りはて、()()(てん)(あふ)ぎて()(たま)ふ『(ちち)よ、(とき)(きた)れり、()(なんぢ)榮光(えいくわう)(あらは)さんために、(なんぢ)()榮光(えいくわう)(あらは)したまへ。 2(なんぢ)より(たま)はりし(すべ)ての(もの)に、永遠(とこしへ)生命(いのち)(あた)へしめんとて、萬民(ばんみん)(をさ)むる權威(けんゐ)()(たま)ひたればなり。 3永遠(とこしへ)生命(いのち)は、唯一(ゆゐいつ)(まこと)(かみ)にいます(なんぢ)と、なんぢの(つかは)(たま)ひしイエス・キリストとを()るにあり。 4(われ)()さしめんとて(なんぢ)(たま)ひし(わざ)()()げて、(われ)地上(ちじゃう)(なんぢ)榮光(えいくわう)をあらはせり。 5(ちち)よ、まだ()のあらぬ(さき)に、わが(なんぢ)(とも)にもちたりし榮光(えいくわう)をもて、(いま)御前(みまへ)にて(われ)榮光(えいくわう)あらしめ(たま)へ。 6()(うち)より(われ)(たま)ひし人々(ひとびと)に、われ御名(みな)をあらはせり。(かれ)らは(なんぢ)(もの)なるを(われ)(たま)へり、(しか)して(かれ)らは(なんぢ)(ことば)(まも)りたり。 7(いま)かれらは、(すべ)(われ)(たま)ひしものの(なんぢ)より()づるを()る。 8(われ)(われ)(たま)ひし(ことば)(かれ)らに(あた)へ、(かれ)らは(これ)()け、わが(なんぢ)より()でたるを(まこと)()り、なんぢの(われ)(つかは)(たま)ひしことを(しん)じたるなり。 9(われ)かれらの(ため)(ねが)ふ、わが(ねが)ふは()のためにあらず、(なんぢ)(われ)(たま)ひたる(もの)のためなり、(かれ)らは(すなは)(なんぢ)のものなり。 10()がものは(みな)なんぢの(もの)、なんぢの(もの)()がものなり、(われ)かれらより榮光(えいくわう)()けたり。 11(いま)より(われ)()()らず、(かれ)らは()()り、(われ)(なんぢ)にゆく。(せい)なる(ちち)よ、(われ)(たま)ひたる(なんぢ)御名(みな)(うち)(かれ)らを(まも)りたまへ。これ我等(われら)のごとく、(かれ)らの(ひと)つとならん(ため)なり。 12(われ)かれらと(とも)にをる(あひだ)、われに(たま)ひたる(なんぢ)御名(みな)(うち)(かれ)らを(まも)り、かつ保護(ほご)したり。()のうち一人(ひとり)だに(ほろ)びず、ただ(ほろび)()のみ(ほろ)びたり、聖書(せいしょ)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。 13(いま)(われ)なんぢに()く、(しか)して(これ)()のことを()()りて(かた)るは、()喜悦(よろこび)(かれ)らに(まった)からしめん(ため)なり。 14(われ)御言(みことば)(かれ)らに(あた)へたり、(しか)して()(かれ)らを(にく)めり、(われ)()のものならぬごとく、(かれ)らも()のものならぬに()りてなり。 15わが(ねが)ふは、(かれ)らを()より()(たま)はんことならず、(あく)より(まぬか)れさらせ(たま)はんことなり。 16(われ)()のものならぬ(ごと)く、(かれ)らも()のものならず。 17眞理(まこと)にて(かれ)らを(きよ)(わか)ちたまへ、(なんぢ)御言(みことば)眞理(まこと)なり。 18(なんぢ)われを()(つかは)(たま)ひし(ごと)く、(われ)(かれ)らを()(つかは)せり。 19また(かれ)()のために(われ)(おのれ)(きよ)めわかつ、これ眞理(まこと)にて(かれ)らも(きよ)(わか)たれん(ため)なり。 20(われ)かれらの(ため)のみならず、その(ことば)によりて(われ)(しん)ずる(もの)のためにも(ねが)ふ。 21これ(みな)(ひと)つとならん(ため)なり。(ちち)よ、なんぢ(われ)(いま)し、(われ)なんぢに()るごとく、(かれ)らも(われ)らに()らん(ため)なり、(これ)なんぢの(われ)(つかは)(たま)ひしことを()(しん)ぜん(ため)なり。 22(われ)(なんぢ)(われ)(たま)ひし榮光(えいくわう)(かれ)らに(あた)へたり、(これ)われらの(ひと)つなる(ごと)く、(かれ)らも(ひと)つとならん(ため)なり。 23(すなは)(われ)かれらに()り、(なんぢ)われに(いま)し、(かれ)(ひと)つとなりて(まった)くせられん(ため)なり、(これ)なんぢの(われ)(つかは)(たま)ひしことと、(われ)(あい)(たま)ふごとく(かれ)らをも(あい)(たま)ふこととを、()()らん(ため)なり。 24(ちち)よ、(のぞ)むらくは、(われ)(たま)ひたる人々(ひとびと)()()るところに(われ)(とも)にをり、()(はじめ)(さき)より(われ)(あい)(たま)ひしによりて、(なんぢ)(われ)(たま)ひたる()榮光(えいくわう)()んことを。 25(ただ)しき(ちち)よ、げに()(なんぢ)()らず、されど(われ)(なんぢ)()り、この(もの)どもも(なんぢ)(われ)(つかは)(たま)ひしことを()れり。 26われ御名(みな)(かれ)らに()らしめたり、(また)これを()らしめん。これ(われ)(あい)(たま)ひたる(あい)の、(かれ)らに()りて、(われ)(かれ)らに()らん(ため)なり』

第十八章

1(これ)()のことを()()へて、イエス弟子(でし)たちと(とも)にケデロンの小川(をがは)彼方(かなた)()でたまふ。彼処(かしこ)(その)あり、イエス弟子(でし)たちとともども()(たま)ふ。 2ここは弟子(でし)たちと屡々(しばしば)あつまり(たま)(ところ)なれば、イエスを()るユダもこの(ところ)()れり。 3かくてユダは一組(ひとくみ)兵隊(へいたい)祭司長(さいしちゃう)・パリサイ(びと)()よりの下役(したやく)どもとを()けて、炬火(たいまつ)燈火(ともしび)武器(ぶき)(たづさ)へて此處(ここ)にきたる。 4イエス(おのれ)(のぞ)まんとする(こと)をことごとく()り、(すす)みいでて(かれ)らに()ひたまふ『(たれ)(たづ)ぬるか』 5(こた)ふ『ナザレのイエスを』イエス()ひたまふ『(われ)はそれなり』イエスを()るユダも(かれ)らと(とも)()てり。 6(われ)はそれなり』と()(たま)ひし(とき)、かれら後退(あとしざり)して()(たふ)れたり。 7ここに(ふたた)び『たれを(たづ)ぬるか』と()(たま)へば『ナザレのイエスを』と()ふ。 8イエス(こた)(たま)ふ『われは(それ)なりと(すで)()げたり、(われ)(たづ)ぬるならば()人々(ひとびと)()るを(ゆる)せ』 9これさきに『なんぢの(われ)(たま)ひし(もの)(うち)より、われ一人(ひとり)をも(うしな)はず』と()(たま)ひし(ことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。 10シモン・ペテロ(つるぎ)をもちたるが、(これ)()(だい)祭司(さいし)(しもべ)()ちて、その(みぎ)(みみ)()(おと)す、(しもべ)()はマルコスと()ふ。 11イエス、ペテロに()ひたまふ『(つるぎ)(さや)(をさ)めよ、(ちち)(われ)(たま)ひたる酒杯(さかづき)は、われ()まざらんや』
12ここにかの兵隊(へいたい)千卒長(せんそつちゃう)・ユダヤ(びと)下役(したやく)ども、イエスを(とら)へて(しば)り、 13()づアンナスの(もと)()()く、アンナスはその(とし)(だい)祭司(さいし)なるカヤパの(しうと)なり。 14カヤパはさきにユダヤ(びと)に、一人(ひとり)(たみ)のために()ぬるは(えき)なる(こと)(すす)めし(もの)なり。
15シモン・ペテロ(およ)(ほか)一人(ひとり)弟子(でし)、イエスに(したが)ふ。この弟子(でし)(だい)祭司(さいし)()られたる(もの)なれば、イエスと(とも)(だい)祭司(さいし)(には)()りしが、 16ペテロは(かど)(そと)()てり。ここに(だい)祭司(さいし)()られたる(かれ)弟子(でし)いでて、(もん)(まも)(をんな)(もの)()ひてペテロを()()れしに、 17(かど)(まも)婢女(はしため)、ペテロに()ふ『なんぢも()(ひと)弟子(でし)一人(ひとり)なるか』かれ()ふ『(しか)らず』 18(とき)(さむ)くして(しもべ)下役(したやく)ども炭火(すみび)(おこ)し、その(かたは)らに()ちて(あたた)まり()りしに、ペテロも(とも)()ちて(あたた)まりゐたり。
19ここに(だい)祭司(さいし)、イエスにその弟子(でし)とその(をしへ)とにつきて()ひたれば、 20イエス(こた)(たま)ふ『われ公然(おほやけ)()(かた)れり、(すべ)てのユダヤ(びと)(あひ)(つど)會堂(くわいだう)(みや)とにて(つね)(をし)へ、(ひそか)には(なに)をも(かた)りし(こと)なし。 21(なに)ゆゑ(われ)()ふか、()(かた)れることは()きたる人々(ひとびと)()へ。()よ、(かれ)らは()()ひしことを()るなり』 22かく()(たま)ふとき、(かたは)らに()下役(したやく)一人(ひとり)手掌(てのひら)にてイエスを()ちて()ふ『かくも(だい)祭司(さいし)(こた)ふるか』 23イエス(こた)(たま)ふ『わが(かた)りし(ことば)もし()しくば、その()しき(ゆゑ)(あかし)せよ。()くば(なに)とて()つぞ』 24ここにアンナス、イエスを(しば)りたるままにて、(だい)祭司(さいし)カヤパの(もと)(おく)れり。
25シモン・ペテロ()ちて(あたた)まり()たるに、人々(ひとびと)いふ『なんぢも(かれ)弟子(でし)一人(ひとり)なるか』(いな)みて()ふ『(しか)らず』 26(だい)祭司(さいし)(しもべ)一人(ひとり)にて、ペテロに(みみ)()(おと)されし(もの)親族(しんぞく)なるが()ふ『われ(なんぢ)(その)にて(かれ)(とも)なるを()しならずや』 27ペテロまた(いな)(をり)しも(にはとり)()きぬ。
28かくて人々(ひとびと)イエスをカヤパの(もと)より官邸(くわんてい)にひきゆく、(とき)夜明(よあけ)なり。(かれ)過越(すぎこし)(しょく)をなさんために、汚穢(けがれ)()けじとて(おのれ)らは官邸(くわんてい)()らず。 29ここにピラト(かれ)らの(まへ)()でゆきて()ふ『この(ひと)(たい)して如何(いか)なる訴訟(うったへ)をなすか』 30(こた)へて()ふ『もし(あく)をなしたる(もの)ならずば(なんぢ)(わた)さじ』 31ピラト()ふ『なんぢら(かれ)引取(ひきと)り、おのが律法(おきて)(したが)ひて(さば)け』ユダヤ(びと)いふ『(われ)らに(ひと)(ころ)權威(けんゐ)なし』 32これイエス、(おの)如何(いか)なる()にて()ぬるかを(しめ)して、()(たま)ひし御言(みことば)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。
33ここにピラトまた官邸(くわんてい)()り、イエスを()(いだ)して()ふ『なんぢはユダヤ(びと)(わう)なるか』 34イエス(こた)(たま)ふ『これは(なんぢ)おのれより()ふか、(はた)わが(こと)(ひと)(なんぢ)()げたるか』 35ピラト(こた)ふ『(われ)はユダヤ(びと)ならんや、(なんぢ)國人(くにびと)祭司長(さいしちゃう)(なんぢ)(われ)(わた)したり、(なんぢ)なにを()ししぞ』 36イエス(こた)(たま)ふ『わが(くに)はこの()のものならず、()()(くに)この()のものならば、()(しもべ)(われ)をユダヤ(びと)(わた)さじと(たたか)ひしならん。()れど()(くに)()()よりのものならず』 37ここにピラト()ふ『されば(なんぢ)(わう)なるか』イエス(こた)(たま)ふ『われの(わう)たることは(なんぢ)()へるごとし。(われ)(これ)がために(うま)れ、(これ)がために()(きた)れり、(すなは)眞理(しんり)につきて(あかし)せん(ため)なり。(すべ)眞理(しんり)(ぞく)する(もの)()(こゑ)をきく』 38ピラト()ふ『眞理(しんり)とは(なに)ぞ』
かく()ひて(ふたた)びユダヤ(びと)(まへ)()でて()ふ『(われ)この(ひと)(なに)(つみ)あるをも()ず。 39過越(すぎこし)のとき(われ)なんぢらに一人(ひとり)囚人(めしうど)(ゆる)(れい)あり、されば(なんぢ)らユダヤ(びと)(わう)をわが(ゆる)さんことを(のぞ)むか』 40(かれ)らまた(さけ)びて『この(ひと)ならず、バラバを』と()ふ、バラバは強盜(がうたう)なり。

第十九章

1ここにピラト、イエスをとりて(むち)うつ。 2兵卒(へいそつ)ども(いばら)にて冠冕(かんむり)をあみ、その(かうべ)にかむらせ、紫色(むらさき)上衣(うはぎ)をきせ、 3御許(みもと)(すす)みて()ふ『ユダヤ(びと)(わう)やすかれ』(しか)して手掌(てのひら)にて()てり。 4ピラト(ふたた)()でて人々(ひとびと)にいふ『()よ、この(ひと)(なんぢ)らに(ひき)(いだ)す、これは(なに)(つみ)あるをも()()ぬことを(なんぢ)らの()らん(ため)なり』 5ここにイエス(いばら)冠冕(かんむり)をかむり、紫色(むらさき)上衣(うはぎ)をきて()(たま)へば、ピラト()ふ『()よ、この(ひと)なり』 6祭司長(さいしちゃう)下役(したやく)どもイエスを()(さけ)びいふ『十字架(じふじか)につけよ、十字架(じふじか)につけよ』ピラト()ふ『なんぢら(みづか)らとりて十字架(じふじか)につけよ、(われ)(かれ)(つみ)あるを()ず』 7ユダヤ(びと)こたふ『(われ)らに律法(おきて)あり、その律法(おきて)によれば()(あた)るべき(もの)なり、(かれ)はおのれを(かみ)()となせり』 8ピラトこの(ことば)をききて増々(ますます)おそれ、 9(ふたた)官邸(くわんてい)()りてイエスに()ふ『なんぢは何處(いづこ)よりぞ』イエス(こたへ)をなし(たま)はず。 10ピラト()ふ『われに(かた)らぬか、(われ)になんぢを(ゆる)權威(けんゐ)あり、また十字架(じふじか)につくる權威(けんゐ)あるを()らぬか』 11イエス(こた)(たま)ふ『なんぢ(うへ)より(たま)はらずば、(われ)(たい)して(なに)權威(けんゐ)もなし。この(ゆゑ)(われ)をなんぢに(わた)しし(もの)(つみ)(さら)(おほい)なり』 12ここにおいてピラト、イエスを(ゆる)さんことを(つと)む。されどユダヤ(びと)さけびて()ふ『なんぢ()しこの(ひと)(ゆる)さば、カイザルの忠臣(ちゅうしん)にあらず、(おほよ)そおのれを(わう)となす(もの)はカイザルに(そむ)くなり』 13ピラトこれらの(ことば)をききて、イエスを(そと)にひきゆき、敷石(しきいし)(ヘブル()にてガバタ)といふ(ところ)にて審判(さばき)()につく。 14この()過越(すぎこし)準備(そなへ)()にて、(とき)第十時(だいろくじ)ごろなりき。ピラト、ユダヤ(びと)にいふ『()よ、なんぢらの(わう)なり』 15かれら(さけ)びていふ『(のぞ)け、(のぞ)け、十字架(じふじか)につけよ』ピラト()ふ『われ(なんぢ)らの(わう)十字架(じふじか)につくべけんや』祭司長(さいしちゃう)(こた)ふ『カイザルの(ほか)われらに(わう)なし』 16ここにピラト、イエスを十字架(じふじか)()くるために(かれ)らに(わた)せり。
(かれ)らイエスを受取(うけと)りたれば、 17イエス(おのれ)十字架(じふじか)()ひて、髑髏(されかうべ)(ヘブル()にてゴルゴダ)といふ(ところ)()でゆき(たま)ふ。 18其處(そこ)にて(かれ)らイエスを十字架(じふじか)につく。(また)ほかに二人(ふたり)(もの)をともに十字架(じふじか)につけ、一人(ひとり)(みぎ)に、一人(ひとり)(ひだり)に、イエスを眞中(まなか)()けり。 19ピラト罪標(すてふだ)()きて十字架(じふじか)(うへ)(かか)ぐ『ユダヤ(びと)(わう)、ナザレのイエス』と(しる)したり。 20イエスを十字架(じふじか)につけし(ところ)(みやこ)(ちか)ければ、(おほ)くのユダヤ(びと)この(ふだ)()む、(ふだ)はヘブル、ロマ、ギリシヤの(ことば)にて(しる)したり。 21ここにユダヤ(びと)祭司長(さいしちゃう)らピラトに()ふ『ユダヤ(びと)(わう)(しる)さず、(われ)はユダヤ(びと)(わう)なりと自稱(じしょう)せりと(しる)せ』 22ピラト(こた)ふ『わが(しる)したることは(しる)したるままに』
23兵卒(へいそつ)どもイエスを十字架(じふじか)につけし(のち)、その(ころも)をとりて()つに()け、おのおの()(ひと)つを()たり。また下衣(したぎ)()りしが、下衣(したぎ)縫目(ぬひめ)なく、(うへ)より(すべ)()りたる(もの)なれば、 24兵卒(へいそつ)ども(たがひ)にいふ『これを()くな、(たれ)がうるか(くじ)にすべし』これは聖書(せいしょ)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。(いは)く『かれら(たがひ)にわが(ころも)をわけ、わが(ころも)(くじ)にせり』兵卒(へいそつ)ども()くなしたり。 25さてイエスの十字架(じふじか)(かたは)らには、その(はは)(はは)姉妹(しまい)と、クロパの(つま)マリヤとマグダラのマリヤと()てり。 26イエスその(はは)とその(あい)する弟子(でし)との(ちか)()てるを()て、(はは)()(たま)ふ『をんなよ、()よ、なんぢの()なり』 27また弟子(でし)()ひたまふ『()よ、なんぢの(はは)なり』この(とき)より、その弟子(でし)かれを(おの)(いへ)()けたり。
28この(のち)イエス(よろづ)(こと)(をは)りたるを()りて、――聖書(せいしょ)(まった)うせられん(ため)に――『われ(かわ)く』と()(たま)ふ。 29ここに()葡萄酒(ぶだうしゅ)滿()ちたる(うつは)あり、その葡萄酒(ぶだうしゅ)のふくみたる海綿(うみわた)をヒソプに()けてイエスの(くち)差附(さしつ)く。 30イエスその葡萄酒(ぶだうしゅ)をうけて(のち)いひ(たま)ふ『(こと)(をは)りぬ』(つひ)(かうべ)をたれて(れい)をわたし(たま)ふ。
31この()準備(そなへ)()なれば、ユダヤ(びと)安息(あんそく)(にち)屍體(しかばね)十字架(じふじか)のうへに(とど)めおかじとて((こと)にこの(たび)安息(あんそく)(にち)(おほい)なる()なるにより)ピラトに、(かれ)らの(はぎ)ををりて屍體(しかばね)取除(とりのぞ)かんことを()ふ。 32ここに兵卒(へいそつ)ども(きた)りて、イエスとともに十字架(じふじか)()けられたる第一(だいいち)(もの)(ほか)のものとの(はぎ)()り、 33(しか)してイエスに(きた)りしに、はや()(たま)ふを()て、その(はぎ)()らず。 34(しか)るに一人(ひとり)兵卒(へいそつ)(やり)にてその(わき)をつきたれば、(ただ)ちに()(みづ)(なが)れいづ。 35(これ)()しもの(あかし)をなす、()(あかし)(まこと)なり、(かれ)はその()ふことの(まこと)なるを()る、これ(なんぢ)()にも(しん)ぜしめん(ため)なり。 36(これ)()のことの()りたるは『その(ほね)くだかれず』とある(せい)()成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり。 37また(ほか)に『かれら(おの)()したる(もの)()るべし』と()へる(せい)()あり。
38この(のち)、アリマタヤのヨセフとて、ユダヤ(びと)(おそ)(ひそか)にイエスの弟子(でし)たりし(もの)、イエスの屍體(しかばね)(ひき)()らんことをピラトに()ひたれば、ピラト(ゆる)せり、(すなは)()きてその屍體(しかばね)引取(ひきと)る。 39また(かつ)(よる)御許(みもと)(きた)りしニコデモも、沒藥(もつやく)沈香(ちんかう)混和物(あはせもの)(ひゃく)(きん)ばかり(たづさ)へて(きた)る。 40ここに(かれ)らイエスの屍體(しかばね)をとり、ユダヤ(びと)(はうむ)りの習慣(ならはし)にしたがひて、香料(かうれう)とともに(ぬの)にて()けり。 41イエスの十字架(じふじか)につけられ(たま)ひし(ところ)(その)あり、(その)(うち)にいまだ(ひと)(はうむ)りしことなき(あたら)しき(はか)あり。 42ユダヤ(びと)準備(そなへ)()なれば、この(はか)(ちか)きままに其處(そこ)にイエスを(をさ)めたり。

第二十章

1一週(ひとまはり)のはじめの()(あさ)まだき(くら)きうちに、マグダラのマリヤ(はか)にきたりて、(はか)より(いし)取除(とりのぞ)けあるを()る。 2(すなは)(はし)りゆき、シモン・ペテロとイエスの(あい)(たま)ひしかの弟子(でし)との(もと)(いた)りて()ふ『たれか(しゅ)(はか)より取去(とりさ)れり、何處(いづこ)()きしか(われ)()らず』 3ペテロと、かの弟子(でし)といでて(はか)にゆく。 4二人(ふたり)ともに(はし)りたれど、かの弟子(でし)ペテロより()(はし)りて(さき)(はか)にいたり、 5(かが)みて(ぬの)()きたるを()れど、(うち)には()らず。 6シモン・ペテロ(おく)(きた)り、(はか)()りて(ぬの)()きたるを()7また(かうべ)(つつ)みし手拭(てぬぐひ)(ぬの)とともに()らず、(ほか)のところに()きてあるを()る。 8(さき)(はか)にきたれる(かれ)弟子(でし)もまた()り、(これ)()(しん)ず。 9(かれ)らは聖書(せいしょ)(しる)したる、死人(しにん)(うち)よりその(よみが)へり(たま)ふべきことを(いま)(さと)らざりしなり。 10(つひ)二人(ふたり)弟子(でし)おのが(いへ)にかへれり。
11()れどマリヤは(はか)(そと)()ちて()()りしが、()きつつ(かが)みて(はか)(うち)()るに、 12イエスの屍體(しかばね)()かれし(ところ)に、(しろ)(ころも)をきたる二人(ふたり)御使(みつかひ)(かうべ)(かた)にひとり(あし)(かた)にひとり()しゐたり。 13(しか)してマリヤに()ふ『をんなよ、(なに)()くか』マリヤ()ふ『(たれ)かわが(しゅ)取去(とりさ)れり、何處(いづこ)()きしか(われ)しらず』 14かく()ひて(うしろ)振反(ふりかへ)れば、イエスの()居給(ゐたま)ふを()る、されどイエスたるを()らず。 15イエス()(たま)ふ『をんなよ、(なに)()く、(たれ)(たづ)ぬるか』マリヤは園守(そのもり)ならんと(おも)ひて()ふ『(きみ)よ、(なんぢ)もし(かれ)取去(とりさ)りしならば、何處(いづこ)()きしかを()げよ、われ引取(ひきと)るべし』 16イエス『マリヤよ』と()(たま)ふ。マリヤ振反(ふりかへ)りて『ラボニ』(()けば()よ)と()ふ。 17イエス()(たま)ふ『われに()るな、(われ)いまだ(ちち)(もと)(のぼ)らぬ(ゆゑ)なり。()兄弟(きゃうだい)たちに()きて「(われ)はわが(ちち)すなはち(なんぢ)らの(ちち)、わが(かみ)すなはち(なんぢ)らの(かみ)(のぼ)る」といへ』 18マグダラのマリヤ()きて弟子(でし)たちに『われは(しゅ)()たり』と()げ、また()々の(こと)()(たま)ひしと()げたり。
19この()すなはち一週(ひとまはり)のはじめの()(ゆふべ)弟子(でし)たちユダヤ(びと)(おそ)るるに()りて、()るところの()()ぢおきしに、イエスきたり(かれ)らの(なか)()ちて()ひたまふ『平安(へいあん)なんぢらに()れ』 20()()ひてその()(わき)とを()せたまふ、弟子(でし)たち(しゅ)()(よろこ)べり。 21イエスまた()ひたまふ『平安(へいあん)なんぢらに()れ、(ちち)(われ)(つかは)(たま)へるごとく、(われ)(また)なんぢらを(つかは)す』 22()()ひて、(いき)()きかけ()ひたまふ『(せい)(れい)をうけよ。 23なんじら(たれ)(つみ)(ゆる)すとも()(つみ)ゆるされ、(たれ)(つみ)(とど)むるとも()(つみ)とどめらるべし』
24イエス(きた)(たま)ひしとき、十二(じふに)弟子(でし)一人(ひとり)デドモと(とな)ふるトマスともに()らざりしかば、 25(ほか)弟子(でし)これに()ふ『われら(しゅ)()たり』トマスいふ『(われ)はその()(くぎ)(あと)()、わが(ゆび)(くぎ)(あと)にさし()れ、わが()をその(わき)差入(さしい)るるにあらずば(しん)ぜじ』
26八日(やうか)ののち弟子(でし)たちまた(いへ)にをり、トマスも(とも)()りて()()ぢおきしに、イエス(きた)り、(かれ)らの(なか)()ちて()ひたまふ『平安(へいあん)なんぢらに()れ』 27またトマスに()(たま)ふ『なんぢの(ゆび)をここに()べて、わが()()よ、(なんぢ)()をのべて、()(わき)にさしいれよ、(しん)ぜぬ(もの)とならで(しん)ずる(もの)となれ』 28トマス(こた)へて()ふ『わが(しゅ)よ、わが(かみ)よ』 29イエス()(たま)ふ『なんぢ(われ)()しによりて(しん)じたり、()ずして(しん)ずる(もの)幸福(さいはひ)なり』
30この(ふみ)(しる)さざる(ほか)(おほ)くの(しるし)を、イエス弟子(でし)たちの(まへ)にて(おこな)(たま)へり。 31されど(これ)()(こと)(しる)ししは、(なんぢ)()をしてイエスの(かみ)()キリストたることを(しん)ぜしめ、(しん)じて御名(みな)により生命(いのち)()しめんが(ため)なり。

第二十一章

1この(のち)、イエス(また)テベリヤの海邊(うみべ)にて(おのれ)弟子(でし)たちに(あらは)(たま)ふ、その(あらは)(たま)ひしこと()のごとし。 2シモン・ペテロ、デドモと(とな)ふるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの()(およ)びほかの弟子(でし)二人(ふたり)もともに()りしに、 3シモン・ペテロ『われ漁獵(すなどり)にゆく』と()へば、(かれ)ら『われらも(とも)()かん』と()ひ、(みな)いでて(ふね)()りしが、その()(なに)をも()ざりき。 4夜明(よあけ)(ころ)イエス(きし)()(たま)ふに、弟子(でし)たち()のイエスなるを()らず。 5イエス()(たま)ふ『()どもよ、()(もの)ありしか』(かれ)ら『なし』と(こた)ふ。 6イエス()ひたまふ『(ふね)(みぎ)のかたに(あみ)をおろせ、()らば()(もの)あらん』(すなは)(あみ)(おろ)したるに、(うを)おびただしくして、(あみ)()()ぐること(あた)はざりしかば、 7イエスの(あい)(たま)ひし弟子(でし)、ペテロに()ふ『(しゅ)なり』シモン・ペテロ『(しゅ)なり』と()きて、(はだか)なりしを上衣(うはぎ)をまとひて(うみ)()びいれり。 8(ほか)弟子(でし)たちは(をか)(はな)るること(とほ)からず、(わづか)五十間(ごじっけん)ばかりなりしかば、(うを)()りたる(あみ)小舟(こぶね)にて()(きた)り、 9(をか)(のぼ)りて()れば、炭火(すみび)ありてその(うへ)(さかな)あり、(また)パンあり。 10イエス()(たま)ふ『なんぢらの(いま)とりたる(さかな)(すこ)()ちきたれ』 11シモン・ペテロ(ふね)()きて(あみ)(をか)()()げしに、(ひゃく)()(じふ)(さん)()(おほい)なる(うを)滿()ちたり、()(おほ)かりしが(あみ)()けざりき。 12イエス()(たま)ふ『きたりて(しょく)せよ』弟子(でし)たちその(しゅ)なるを()れば『なんぢは(たれ)ぞ』と()へて()(もの)もなし。 13イエス(すす)みてパンをとり(かれ)らに(あた)へ、(さかな)をも(しか)なし(たま)ふ。 14イエス死人(しにん)(うち)より(よみが)へりてのち、弟子(でし)たちに(あらは)(たま)ひし(こと)、これにて三度(みたび)なり。
15かくて(しょく)したる(のち)、イエス、シモン・ペテロに()(たま)ふ『ヨハネの()シモンよ、(なんぢ)この(もの)どもに(まさ)りて(われ)(あい)するか』ペテロいふ『(しゅ)よ、(しか)り、わが(なんぢ)(あい)する(こと)は、なんぢ()(たま)ふ』イエス()(たま)ふ『わが羔羊(こひつじ)(やしな)へ』 16また二度(ふたたび)いひ(たま)ふ『ヨハネの()シモンよ、(われ)(あい)するか』ペテロ()ふ『(しゅ)よ、(しか)り、わが(なんぢ)(あい)する(こと)は、なんぢ、()(たま)ふ』イエス()(たま)ふ『わが(ひつじ)()へ』 17三度(みたび)いひ(たま)ふ『ヨハネの()シモンよ、(われ)(あい)するか』ペテロ三度(みたび)『われを(あい)するか』と()(たま)ふを(うれ)ひて()ふ『(しゅ)よ、()りたまはぬ(ところ)なし、わが(なんぢ)(あい)する(こと)は、なんぢ()りたまふ』イエス()(たま)ふ『わが(ひつじ)をやしなへ。 18まことに(まこと)になんぢに()ぐ、なんぢ(わか)かりし(とき)(みづか)(おび)して(ほっ)する(ところ)(あゆ)めり、されど()いては()()べて(ほか)(ひと)(おび)せられ、(なんぢ)(ほっ)せぬ(ところ)()れゆかれん』 19これペテロが如何(いか)なる()にて(かみ)榮光(えいくわう)(あらは)すかを(しめ)して()(たま)ひしなり。()()ひて(のち)かれに()(たま)ふ『われに(したが)へ』 20ペテロ振反(ふりかへ)りて、イエスの(あい)したまひし弟子(でし)(したが)ふを()る。これはさきに夕餐(ゆふげ)のとき御胸(みむね)()りかかりて『(しゅ)よ、(なんぢ)()(もの)(たれ)か』と()ひし弟子(でし)なり。 21ペテロこの(ひと)()てイエスに()ふ『(しゅ)よ、この(ひと)如何(いか)に』 22イエス()(たま)ふ『よしや(われ)、かれが(われ)(きた)るまで(とどま)るを(ほっ)すとも、(なんぢ)になにの關係(かかはり)あらんや、(なんぢ)(われ)(したが)へ』 23ここに兄弟(きゃうだい)たちの(うち)に、この弟子(でし)()なずと()(はなし)つたはりたり。されどイエスは()なずと()(たま)ひしにあらず『よしや(われ)、かれが(われ)(きた)るまで(とどま)るを(ほっ)すとも、(なんぢ)になにの關係(かかはり)あらんや』と()(たま)ひしなり。
24これらの(こと)につきて、(あかし)をなし、(また)これを(しる)しし(もの)は、この弟子(でし)なり、我等(われら)はその(あかし)(まこと)なるを()る。 25イエスの(おこな)(たま)ひし(こと)は、この(ほか)なほ(おほ)し、もし(ひと)(ひと)(しる)さば、(われ)おもふに世界(せかい)もその(しる)すところの(ふみ)()するに()へざらん。