第一章 死からいのちへ

ジェシー・ペン-ルイス

彼女はその子をモーセ(「引き出された」、欄外)と名づけた。
彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言ったからである。
(出エジプト記三・十)

モーセの誕生とそれにまつわる出来事は、神の救いの道を予表します。神の救いは、人を暗闇の力から神の愛する御子の王国の中に移します[1]

「パロは自分のすべての民に命じて言った。『生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない』」(出エジプト記一・二二)。モーセが生まれる前に、死の宣告が彼に下されました。しかし、両親は信仰によって、彼を丸三ヶ月間隠すことができました。もはやそれができなくなった時、母親は無力な赤ん坊をパピルスのかごの中に入れ、自分が信頼する神の守りに赤ん坊を委ねて、川岸の葦の茂みの中に置きました。ここでパロの娘が赤ん坊を見つけました。赤ん坊は救われ、王の子どもとして育てられました。

ヨケベトが自分の赤ん坊を世話した方法の物語を読む時、神がどのように御旨にしたがってすべての働きをなさるのか、はっきりとわかります。かごのアイデアを母親に授け、自分の宝物を川に流すよう彼女を促したのは、神でした。神は、彼女の可愛らしい赤ん坊を死から救って彼女に戻し、ご自身のために世話をさせました。こうして、神は母親の信仰に報われたのです。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私があなたの賃金を払いましょう」(出エジプト記二・九)。この言葉はまるで、神が、パロの娘の口を通して、母親に語っておられるかのようでした。

この物語は、自分の手で息子を祭壇の上に置いたアブラハムを思い起こさせます。「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることができる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です」[2]。ヨケベトもまた、神は赤ん坊を死から救うことができると考えて、自分の手で赤ん坊を水の中に流しました。そして、神は確かに赤ん坊を死から救われました。

これは、神が私たちに与えてくださった、贖いを予表する素晴らしい物語ではないでしょうか?死の宣告が私たち全員に下されました。しかし、神の聖なる御子であるイエスは「すべての人のために死を味わわれ」[3]ました。彼は、神の予知により、すべての信者が入る「かご」になられました。私たちは十字架上で彼の中に植えつけられ、キリストの中でモーセのように死の水から引き出されました。私たちは「死者の中から生かされた」[4]者として、新しいいのちに引き出されました。そして、子たる身分を授ける霊[5]を受けて、主なる神、全能者の息子、娘になりました。

ステパノは、モーセの誕生に関する短い歴史の中で、「彼は神の目に美しかった」と述べています(使徒七・二〇)。贖い主は、破滅から救われて、彼ご自身にあって新創造とされた魂を御覧になる時、「わが愛する者よ、あなたのすべては美しい」[6]と仰せられます。

この新しいいのちの開始を経験的に知ること。私たちがどれだけ「顔と顔を合わせて」神と交われるかは、これにかかっています。(私たちはこの交わりを知りたいと願っています。)

十字架のメッセージにおける「キリストの第一原理」を、私たちは本当に理解しているでしょうか?

赤ん坊のモーセは、かごの中に入れられて、川に流されました。それと同じように、罪人として死の宣告の下にあった私たちは、十字架上でイエス・キリストの中に入れられました。ですから私たちは、神が私たちを御覧になるのと同じように、自分を見るべきです。私たちはキリストの中に植えつけられ、彼と共に十字架につけられました。私たちは滅びから贖われ、「かご」であるキリスト・イエスの中で、古いいのちから新しいいのちへ移されました。それは、私たちがいのちの新しさの中を歩むためです。

これはすべて、聖書全体を通して様々な形で何度も繰り返されるメッセージです。神は、カルバリの意味を前もって示すために、歴史や型を用いられました。

ノアの日に起きた洪水[7]は、神の呪いの下にある旧創造が裁かれて死に至ることを予表します。箱船の中で守られた人々は、新しい世界と新しい生活へ移されました。

イスラエルはヨルダン川を渡ることにより、砂漠の生活から出て、カナンの地の新しい生活に入りました。その際、「すべての人々が渡り終える」まで、「契約の箱」が川の真ん中にとどまりました[8]。これも予表であって、同じメッセージを伝えます。これらの事例や他の事例はみな、カルバリを指し示します。カルバリにおいて、死の水が神の御子に押し迫りました。そして、呪われた者である私たちは彼と共に死にました。

パロの娘が赤ん坊を見てあわれに思った時、彼女は彼をモーセと名づけました。この名は、「引き出された」、あるいは「水から救われた」を意味します。そして、「引き出された」が、その後のモーセの全生涯の特徴でした。彼は死の水から引き出されて、王の子として訓練を受けました。彼が成長した時、彼は神によってこの世の住まいや環境から引き出され、ただ神と共に過ごす砂漠の生活に移されました。その後、彼は隠遁生活から引き出されて、イスラエルをエジプトから連れ出す神の器になりました。彼は後に、宿営での多忙な働きから引き出されて、神の山に導かれました。それは、彼が神と親しく交わるためでした。そして最後は、世から引き出されて、永遠なる方のふところへ完全に移されました。

すでに見ましたが、赤ん坊のモーセはしばらくの間、以前の家、以前の保護のもとに戻されました。これは私たちも同じです。私たちは死から出ていのちに入り、神の子どもになりました。しかし、しばらくの間、私たちは以前の環境の中に残されます。それは、私たちが赤ん坊であって、自分の高い召命を知り、神の相続人として必要な訓練を受ける時がまだ来ていないからです。御父は、ご自身の赤子たちが乳離れするのを待たれます。神はイスラエルについて、「わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた」(ホセア十一・三)と仰せられました。神の時に、そして神ご自身の優しい取りはからいにより、人は乳離れして、一人で歩くことを教わらなければなりません。たとえそれが、多くの涙を意味するとしてもです。ついに彼は、すすり泣く幼児のように、神の御旨の中に沈んで安息します。彼は言います、「まことに私は、自分の魂を和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私の魂は乳離れした子のように御前におります」(詩篇一三一・二)。

その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった」(出エジプト記二・十)。モーセは母親の手から取り上げられ、異邦人の顧みの下に置かれました。そして、異邦人がモーセを自分の息子として育てました。それから彼は、約四十年間、パロの宮殿にとどまりました。この期間の終わり頃のモーセについて、「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも力がありました」(使徒七・二二)と聖書は述べています。「相続人は、全財産の持ち主なのに、子どものうちは奴隷と少しも違わず、父の定めた日までは、後見人や管理者の下にあります」(ガラテヤ四・一~二)。神の子どもたちの多くは、訓練の長い年月にいらだちます。彼らはそれが何のためかわかりません。彼らは、「エジプト人のあらゆる知恵」による「教育」にうんざりして、神の奉仕の中に飛び込むことを願います。しかし、私たちの模範である御子は、三十年間ナザレの村で待った後、三年半の短い奉仕のために出て行かれました。

まだ「後見人や管理者の下にある」人々は、どのように神を待ち、どのように神の御旨の中に安息するのか、ひたすら学ぶ必要があります。環境は神が案配されたものであり、神の召しに適うよう私たちを整えるものです。このことを覚えましょう。神は、その恵みの経綸における私たちの召しを心に留めておられます。私たちの人生に対する神の御旨を知るまで、じっと待ちましょう。さもないと、私たちは短気を起こして、神によって許された事柄――神のぶどう園でのなにか特別な奉仕のために私たちを整える事柄――を放棄してしまうでしょう。


訳者による注

[1] コロサイ一・十三
[2] ヘブル十一・十九
[3] ヘブル二・九
[4] ローマ六・十三
[5] ローマ八・十五
[6] 雅歌四・七
[7] 創世記六~八章
[8] ヨシュア三・十七