第七章 栄光から栄光へ

ジェシー・ペン-ルイス

主はモーセに仰せられた。「山へ行き、わたしのところに上れ」。
そこでモーセは神の山に登った。……すると雲が山をおおった。
そして主の栄光がシナイ山の上にとどまった。
(出エジプト記二四・十二、十五~十六)

エホバご自身がイスラエルをエジプトから連れ出されました。エホバは、「昼は雲の柱の中で、夜は火の柱の中で」[1]ご自身の臨在を現されました。イスラエル人は一歩一歩荒野を導かれ、エジプトを出て三ヶ月目にシナイ山に到着しました。そして、その山の前で宿営しました[2]

この場所で神は、ご自身が贖った民にご自身の律法を与え、ご自身の忠実な僕をご自身とのより緊密な親しい交わりに召すことを意図されました。

モーセはホレブ山で神に会った時、恐れて顔を隠しました[3]。しかしその時以降、モーセはその従順な歩みにより、また神に完全に拠り頼むことにより、神をいっそうよく知るよう整えられました。彼は「力から力へと」進みました。内気でしりごみしていた男は、大胆で恐れることを知らない、目に見えない神の忠実な僕に変えられました。モーセは目に見えない神と日に日に交わりました。これと同じように、信仰と従順により、私たちは現在の神の御旨を知り、いっそう豊かな交わりのために整えられます。

神は柴の中の燃える炎としてモーセに現れました[4]。その日からシナイに到着するまでの間、神が個人的にご自身をモーセに啓示されたという記録はありません。モーセはパロとの戦いの後、つぶやくイスラエル人と一緒にシナイに向かって旅しましたが、その間の神と僕との交わりは「主はモーセに語られた」という言葉で描写されています。

しかしシナイ山に到着した時、「モーセは神のみもとに上って行き、主は山から彼を呼ばれ」ました(出エジプト記十九・三)。おそらくモーセは、民に関する主の御心を知るために、雲の柱の中におられる主を求めたのでしょう。民は今、シナイに集まっています。この時から忠実な僕は、神とのより親密な交わりに一歩一歩導かれていきました。ついに、彼は栄光と焼き尽くす火の中に入ることを許されました。そして、彼はその中から再び出てきて、天の光で輝く顔で人々の間を歩み、地上で最も柔和な人として知られるようになりました。

最初に主がモーセをシナイに呼ばれた時、主はモーセに短いメッセージを与えてイスラエルのもとに帰されました。そのメッセージは、神がイスラエルをご自身の民として扱う上での基本的な条件を示していました。

モーセは、「私たちは主が仰せられたことをみな行います」[5]というイスラエルの返事を携えて主のもとに戻りました。それからモーセは、「三日目のために用意するように」という指示を受けました。主は、三日目にシナイ山に降りて来て、民全体の目の前でモーセに語る、と仰せられました。

厳重な準備の後、三日目にモーセは民を神との会見に臨ませました。彼らが山のふもとに立った時、主が火の中で降りて来られたので、全山が激しく震えました。角笛の音がいよいよ高くなりました。モーセは語り、神は声を出して彼に答えられました。神は山の頂にモーセを召されました。

山に登る途中、モーセは再びふもとに戻されました。それは、イスラエルが主を見ようと押し破って来て、多くの者が滅びることのないよう、彼らに厳しく命じさせるためでした。モーセはもう一度山に登り、頂の濃い暗闇に達しました。その光景があまりにも恐ろしかったので、モーセは「私は恐れて、震える」と言いました(ヘブル十二・二一)。

これが、ホレブで優しく恵み深くモーセの恐れに耳を傾けてくださった神と同じ神なのでしょうか?どうして、モーセは自由に神と語れたのでしょう?

最初の頃、主はとてもあわれみ深く、ご自身を私たちに啓示してくださいます。そして、私たちの耐える力に応じて、私たちを導かれます。そしてついに、私たちは主の聖さをいくらか知るようになり、自分が焼き尽くす火である方と関わっていることを、敬虔な畏れとおののきとをもって学ぶようになります。

私たちの多くはホレブで主と会い、燃える炎として私たちの内に住んでおられる主の啓示を受けました。私たちは従順と信仰によって主と共に歩む一方で、解放のメッセージを携えて束縛の中にある人々のもとに行きました。危難の時に、私たちは主に信頼することを学びました。私たちは勝利の歌を歌い[6]、その後の試みの中で、自分のいのちの苦い水を天からのいのちの甘い水に変える「木」の力を経験しました[7]

アマレクとの戦いで、私たちは神の高く上げられた御手の力を学びました[8]。また私たちは、神が私たちを恵みから恵みへと導かれた時、忠実に神と共に働きました。しかし、私たちはどれほど、山で「顔と顔を合わせて」神と交わることを望んできたことでしょう!どれほど、「わたしと共に来て、頂から見渡せ」という神の召しを切望してきたことでしょう!

モーセと同じように、私たちにもシナイの恐るべき威光の中で主が啓示される時が来ます。その時、私たちはイスラエルが震えたように震えるだけでなく、主の義、罪の極度の罪深さ、私たちを贖ってくださった神の聖さを知ります。

イスラエルがエジプトにいた時、エホバの戒めは彼らに知らされませんでした。イスラエルが連れ出された時、彼らは自分たちを贖ってくださった方を全く知りませんでした。彼らはエジプトの習慣、義や不正に関するしまりのない考えを持ったまま、エジプトを出ました。イスラエルが束縛から解放されて、エジプトの古い生活から分離されるまで、神は彼らにご自身を啓示されませんでしたし、神の御名を担う人が送るべき義しい生活についても啓示されませんでした。それは、モーセにとっても、民にとっても、大いなる啓示でした。

民は震えて遠く離れて立ちましたが、「モーセは神のおられる暗闇に近づいて」行きました(出エジプト記二〇・二一)。ヘブル人への手紙十二・十八~二四にはこう記されています。「あなたがたは、(シナイ山の)黒雲、暗闇、あらしに近づいているのではありません。シオンの山、仲保者イエス、注ぎの血に近づいているのです」。霊的生活のどの段階でも、私たちは主の血によって大胆に至聖所に入ることができます。私たちは、血の注ぎを受けて邪悪な良心を清められ、信仰のまったき確信を持って主に近づくことができます。しかし、私たちが「顔と顔を合わせて」神を知る前に、神は私たちを濃い暗闇の中に引き寄せられます。その暗闇はエジプト人に臨んだ暗闇ではありません。その暗闇は、そこから神が義なる者として語り、私たちの生活を裁かれる暗闇です。それにより、私たちの生活は隅々まで矯正され、神の御旨にかなうものとされます。

モーセは神の戒めを持ってイスラエルのもとに戻りました。契約が結ばれて民に血が注がれた後、アロンと二人の息子、それにイスラエルの七十人の長老は、モーセと一緒に山に登って、イスラエルの神を仰ぎ見ることを許されました。「御足の下には明るいサファイヤを敷いたようなものがあり、青空のような透明さであった。……彼らは神を見、しかも飲み食いした」(出エジプト記二四・十~十一)。この「透明さ」は、主が以前モーセにご自身の律法を与えた時の暗闇と全く対照的です。この対比は、長老たちが山に登る前に、モーセが麓で民と契約の書に注いだ血の効力を示しているのではないでしょうか?少なくとも、恵みの福音によればそうです。神はご自身の子どもたちの生活を裁かなければなりません。神はその取り扱いにおいて、ご自身の子どもたちをさらなる暗闇の中に導かれるかもしれません。しかし、聖霊により適用されるイエスの血を通して、暗闇は過ぎ去り、彼らは妨げるものがなにもない天の透明な光の中に出てきます。

イスラエルの長老たちは「遠く離れて」神を見ました。この幻は、モーセが知るべき「顔と顔を合わせた」交わりではありません。「神が光の中におられるように、光の中を歩む」(一ヨハネ一・七)ことは確かに祝福です。しかし、私たちはもっと近くに引き寄せられて、光そのものである神の中に導いてもらえるのです。それはちょうど、神を仰ぎ見る特権を授かった人々の中からモーセが呼び出されて、聖なる神を個人的に知るよう召されたのと同じです。エホバは、「山へ行き、わたしのところに上り、そこにおれ」と仰せられました(出エジプト記二四・十二)。

モーセは直ちにその召しに従いました。彼は一人で頂の雲の中に入りました。その雲は、今や濃い暗闇ではなく、栄光でした。なぜなら、「主の栄光がシナイ山の上にとどまった」[9]からです。傍観者にとって、それは「焼き尽くす火」でした。四十日四十夜、モーセはこの焼き尽くす火のそば近く、あるいはその中にとどまりました。

モーセは六日間黙ったまま、神が語られるのを待ちました。その後、神は彼に幕屋の型を啓示されました。その幕屋は、神がご自身の民のただ中に住むためのものでした。

この物語は実際の経験と驚くほどよく一致します!神がおられる暗闇の中で、私たちは神の裁きを学びます。また、「幕の内側の」栄光の中で、私たちは生活の模範を示されます。暗闇と裁きと血の注ぎの後、私たちは山に登り、神の幻を見ます。その山上で神の光が私たちの生活の中に射し込みます。また、私たちは主の臨在の中で食べ飲みし、互いに交わりを持ち、すべての罪を清めるイエスの血にあずかります[10]。しかし、雲の中に入って行って、焼き尽くす火の中に住むよう召される時、私たちは一人です。たった一人で、私たちはいと高き方の秘密の場所に入り、「顔と顔を合わせて」彼を知ります。

六日間の沈黙。神は七日目に、じっと待っていた僕に語られました。これは創造の六日間を思い起こさせます。創造において、神が「……あれ」と語られると、そのものが存在するようになりました。そして七日目に、神はなさっていたわざをすべて休まれました。

それと同じように、六日間、雲が山とモーセを覆いました。神は、ご自身の僕が「穏やかな静けさ」に達するのを待っておられました。神は「穏やかな静けさ」の中でご自身とその御旨を啓示されます。この静けさの中、宿営の思い出やせわしさはすべて過ぎ去り、心や思いの中の被造物的活動は完全に静まりました。モーセはこの静けさの中、イスラエルの必要や友人たちの要求といった重荷をすっかり下ろしました。

七日目に(七という数字は完成を表します)、神は満足されました。民に啓示を伝える人の用意は整いました。山の上でモーセに示された型は、そのまま民に与えられました。なぜなら、モーセの心は静かに澄み渡り、他のあらゆる事柄から解放されていたからです。彼はただ受け取るだけでした。それから、彼は宿営に遣わされて、「山の上で見せられた」型を他の人々に知らせました。

神は今日も啓示を伝える人を必要としておられます。神が求めておられるのは、モーセのように神を知ることを求める人、全く空っぽにされて主に引き寄せられることを願う人、神から与えられた務めからさえも進んで離れる人です。そのような人は、神の霊的な宮を建造するための型を携えて出てきて、神から与えられた確信をもって「主はこう仰せられる」と告げることができます。


訳者による注

[1] 出エジプト記十三・二一
[2] 出エジプト記十九・一~二
[3] 出エジプト記三・六
[4] 出エジプト記三・二
[5] 出エジプト記十九・八
[6] 出エジプト記十五・一~二一
[7] 出エジプト記十五・二二~二七。ここの「木」はキリストの十字架を予表する。
[8] 出エジプト記十七・八~十六
[9] 出エジプト記二四・十六
[10] 一ヨハネ一・七