第八章 「顔と顔を合わせて」

ジェシー・ペン-ルイス

モーセが天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入口に立った。
主はモーセと語られた。
主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。
(出エジプト記三三・九、十一)

モーセが山の頂にいる間、宿営で事件が起きました。その事件がきっかけで、モーセは自分を完全に神に明け渡すことになりました。その明け渡しは、彼の生涯の中で最高のものでした。その事件とモーセの明け渡しとの関連はよくわかりませんが、その重大な危機の後、「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」と聖書は告げています。

民は神との交わりに関してモーセに頼っていました。しかし、そのモーセが戻ってこないのを見て、民はアロンのもとに集まって叫びました。「さあ、私たちに先立って行く神を造ってください。私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者がどうなったのか、私たちにはわからないから」(出エジプト記三二・一)。民はエジプトの習慣の強い影響を受けていました。エジプト人は礼拝のために外面的な神々の象徴を持っていたので、イスラエルは自分たちにも外面的な象徴が必要だと考えました。アロンは弱く、また民を恐れたため、民の叫びに屈して、目に見える神の代替物を彼らに与えました。そして民は、エホバを礼拝するという名目の下、心ではエジプトに向かい、行いでは罪を犯しました。

山の上で、神は宿営で起きていることをモーセに告げて言われました、「今はただ、わたしのするままにせよ。わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼすためだ。しかし、わたしはあなたを大いなる国民としよう」(出エジプト記三二・十)。しかし、モーセは神を知っていました。彼は信仰の力を見ていました。彼は、民のために偉大な御業をなさった主の、あわれみ深い御心を確信していました。彼は大胆な信仰により神に御言葉を示し、「あなたが誓われたことを思い出してください」と言いました。モーセは力強く神を説得しました。

エホバは、「わたしはあなたを大いなる国民としよう」と言われました。しかし、モーセはイスラエルを犠牲にして得られる栄光を欲しませんでした。彼の願いは、民を約束の地に連れて行くことでした。彼は民のために嘆願し、苦しみました。彼の心は、民に嗣業をつがせたいという切なる願いでいっぱいでした。

他の人々のために祈ることは、深い願いで燃やされて、その人々のために自分を注ぎ出すことです。

主は苦労してイスラエルを勝ち取り、カナンへの旅路の間も彼らを守られました。モーセにとって、自分と自分の家族が栄光を受けるかわりに、その尊い民が損失を被るなどという考えは、一瞬たりとも容認できませんでした。彼は「神の御顔に嘆願し」(出エジプト記三二・十一、欄外)、主に御言葉を思い起こさせました。その結果、「主はその民に下すと仰せられたわざわいを思い直され」[1]ました。それから、モーセは主の臨在を離れ、山のふもとに向かいました。彼は、神の裁きが民の罪の上に下る前に、早急になすべきことがあることを知っていました。

モーセは山頂の聖なる臨在の静けさの中から出て、宿営に下りました。彼は罪に対して憤り、金の子牛を取って、それを焼き、粉々に砕きました。アロンはモーセに弁解して、「民はつい出来心で過ちを犯してしまったのです」と言いました。出来心だろうとなんだろうと、モーセには関係ありませんでした。聖なる神の臨在の中から戻ってきたモーセにとって、生ける神から異教の偶像に転じたイスラエルの罪と恥は一目瞭然でした。そのため、彼は言い訳を聞きませんでした。

その夜は、モーセにとってなんという夜だったことでしょう!彼はその日起きた出来事を熟考しました。彼はよくよく考えて祈った末に、罪を犯した民を助けたい一心で、途方もない決断に導かれました。それまでのすべての苦労にもかかわらず、イスラエルが嗣業を失って、神の臨在を取り去られるという考えに、モーセは耐えられませんでした。

翌朝になってモーセは民に言いました。「あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は主のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のために贖うことができるでしょう」(出エジプト記三二・三〇)。モーセは山に戻り、まっすぐ一歩一歩登って行きました。ついに彼は主の臨在に到達し、大胆に願いました。「今、もし、彼らの罪を赦されますならば……。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたが記されたあなたの書物から、私の名を消し去ってください」(出エジプト記三二・三二)。

モーセがパロの宮殿でエジプトの快楽や富を放棄する決断を下したのは、彼が報いとして与えられるものから目を離さなかったからです[2]。しかし今、彼はイスラエルのために、事実上その報いをすべて犠牲にすることを申し出ました。エジプトでモーセは、究極的な報いを獲得することを望んで、十字架の道を選びました。しかしその後、神との親しい交わりを通して、彼は神聖な犠牲的精神に導かれました。そして、自分の利益を求める心は彼の中からすっかり消え失せました。

「交わりは協力以上のものである」と言われています。交わりは、霊と霊、心と心の混ざり合いです。ですから、言葉は不要です。なぜなら、両者は一つだからです。

モーセの言葉を理解するには、その背後にあるキリストの精神を知り、それにあずかる必要があります。なぜなら、モーセの言葉は強烈な自己否定の精神から出ているからです。ほとんどの人は、そのような強烈な自己否定を知りません。しかし、キリストの教会のためにキリストの苦難にあずかっている人々なら、モーセの言葉の意味を理解できます。なぜなら彼らは、主との交わりを通して、自分たちの魂を死に至るまでも注ぎ出すことを学んだからです。彼らが自分たちの魂を注ぎ出すのは、主の贖いにあずかるためではなく、犠牲の法則を満たすためです。犠牲の法則が満たされる時、他の人々にいのちが流れます。

主イエス・キリストにあって啓示された神の御心から推察すると、エホバは嘆願する僕をご覧になって深く感動されたにちがいありません。なぜなら、永遠の過去において、小羊は人々の罪の贖いのために、ご自身を御父に献げられたからです。世の基が据えられる前から、小羊はすでにほふられていました[3]

罪のための供え物の意義をイスラエルに教える計画を、エホバはモーセに示されました。エホバは、神の御子を前もってこの世に示すために、その型をモーセに示されました。神の御子は、すべての型の成就者として、カルバリと呼ばれる場所で供え物になることが定められていました。神の御子は、全世界の罪のための、完全で十分ななだめの供え物です[4]

神はモーセに、青銅の祭壇に関する指示を与え、贖いが絶対に必要であることを示されました。それによると、雄牛とやぎの血によってイスラエルの罪はおおわれます。その時モーセは、なぜ自分たちがほふられた小羊の血によってエジプトで滅ぼす者から守られたのか、はっきりと理解しました。モーセは神の立場から罪を見て、贖いの必要性を見ました。この啓示はモーセの魂の奥底にまで達したので、イスラエルの重大な罪にもかかわらず、「神は自分を受け入れて民を赦してくださる」と彼は考えました。

モーセはあらゆることで自分とイスラエルを同一視し、イスラエルと共に苦しむことを決意しました。モーセは、自分が神のひとり子を予表していることを、全く知りませんでした。神のひとり子は、人の姿を取って現れ、ご自身を罪人と同一視されました。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです」(二コリント五・二一)。

この神の人は聖霊で満たされていたので、主の立場からイスラエルを見て、言いようのないあわれみを覚えました。事実、彼にとって、この世はもはや以前と同じではありませんでした。なぜなら、彼は神の御心に引き寄せられて、それと一つにされたからです。その結果、彼は必然的に主の御思いにあずかり、罪を憎む一方で罪人に同情するようになったのです。

主はモーセの嘆願に答えて、「今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け」と言われました。モーセの申し出は主に受け入れられませんでしたが、その願いは聞き届けられて、イスラエルは主に棄てられることを免れました。とはいえ、後で彼らの罪が裁かれることは避けられませんでした。

この時から、モーセはいっそう親しくエホバと交わることを許されるようになりました。それまで、彼は主に呼ばれた時だけ山に登りました。しかし今、彼は自由に「会見の天幕」の中の神の臨在に近づくことができます。「会見の天幕」はその目的のために設けられ、宿営の外に張られました(出エジプト記三三・七)。モーセが天幕に出て行く時、雲の柱が降りて来て、天幕の入口に立ちました。人々はこの素晴らしい光景を見ることができました。一方天幕の中では、主が「モーセと語られ」、「人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られ」ました。「彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない」(民数記十二・八)。

私たちはこの時点で、神とその「友」の会見の光景を垣間見ます。その光景はモーセの内なる生活を私たちに開いて見せます。彼の内なる生活は、神との合一に向かって絶えず発展していきました。

それまで、モーセが主の臨在の中に入って主と会談してきたのは、民のためでした。ホレブでは、召命を受けるためでした。シナイでは、まず第一に、様々な律法を学ぶためであり、次に、山頂に四十日間とどまって、神が住まわれる幕屋の型の啓示を受けるためでした。

しかしここで、私たちは覆いを取り除かれて、神とモーセの親しい交友を見ます。民のために自分を明け渡したあの大いなる自己放棄の後、モーセは主と親しく交わることを許されるようになりました。今やモーセの願いはただ一つだけです。「今どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができます」(出エジプト記三三・十三)。モーセはあらゆる障害を乗り越えて神のもとに行きました。「わたし自身があなたと一緒に行こう」(三三・十四)という主の約束に勇気づけられて彼は言いました、「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」[5]。私たちは主イエスの御言葉からモーセの願いを理解することができます。神の御子は地上におられた時、永遠の昔から神の御心の中にあった願いを弟子たちに明かして言われました、「わたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。……父よ。お願いします。あなたがわたしに与えてくださった者たちをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。それは、彼らがわたしの栄光を見るためです」(ヨハネ十七・二二~二四)。

エホバはモーセに答えて言われました、「人はわたしを見て、なお生きていることはできない」[6]。それからエホバは御計画――追放された罪人が神に連れ戻される計画――の予型を示されました。私たち呪われた罪人は、主を見てなお生きていることはできません。しかし、裂かれた岩(キリスト)の中に隠される時、私たちは神の栄光を見ることができます。時が満ちた時、主イエスは罪人のために死なれました。それは、私たちが主の中で死んで、主が用意してくださったところに行くためでした。今や私たちは、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を見ます。キリストは神の栄光の輝きであり、神の本質の完全な現れです[7]

「会見の天幕」での会談の後、モーセは再び山の頂に立つよう命じられました。主は雲の中で降りて来られ、モーセとともにそこに立って、主の名によって宣言されました。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に」[8]。主はこのようにご自身の性格と恵みをモーセに啓示されたので、彼は急いで地にひざまずき、伏し拝みました。

モーセは再び、山頂で四十日四十夜過ごしました。後にモーセは、この二回目の神との長期の交わりで何があったのか、イスラエルに話しました。「私は四十日四十夜、主の前にひれ伏して、パンも食べず、水も飲まなかった。……それは、あなたがたが犯したすべての罪のためであり……その時、私はアロンのためにも、とりなしをした」(申命記九・十八~二〇)。

モーセは、民のために犠牲になるという途方もない申し出をした後、民のために四十日間とりなしました。モーセが宿営に戻った時、その顔は主の栄光を反映して輝いていました。しかし、モーセはそれに気づいていませんでした。その栄光があまりにもこの世のものとは異なっていたので、アロンと民はモーセに近づくのを恐れました。しかし、モーセは前と同じように、彼らを呼び寄せて、彼らと語りました。けれども、主を知らない人は、主の光の反映にさえ耐えられません。そこで、人々と語る時、モーセは顔を覆う必要がありました。モーセとその仲間たちとを隔てていたのは、実のところ、主の臨在だったのです。今や彼の課題は、自分と会う人々を安心させることです。なぜなら、結局のところ、モーセはただの人間にすぎないからです。

モーセは人々に対して覆いで隠されましたが、神に対しては隠されませんでした。なぜなら、モーセが行って主と語る時、覆いは取り除かれ、モーセが出てきて人々の間を行き来する時、再び覆いがつけられたからです。他の人々から分離されなければ、モーセはエホバと親しく交わることができませんでした。モーセはなんと孤独で孤立していたことでしょう!これが「顔と顔を合わせた」神との交わりの意味です。神の側から見ると、それは「顔覆いを取り除かれて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく」生活です。しかし、この神との親しい交わりの結果、知らず知らずのうちに、また必然的に、他の人々に対して覆いで隠され、地上の物事から分離されます。また、ごく普通の生活という覆いの下にも隠されます。「人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようも、殺されない」、「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この計り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮しません。途方にくれますが、行きづまりません。……イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき体において明らかに示されるためです」(二コリント六・九、四・七~十一)。

この時から、神の御旨を民に伝えることがモーセの主要な働きになりました。聖書は告げます、「モーセという人は、地上のだれにもまさって柔和であった」(民数記十二・三)。これが天的ないのちのしるしであり、神との親しい交わりの結果です。神の聖なる御子であるイエスは、ご自身について、「私は柔和で、へりくだっている」[9]と言われました。主のいのちにあずかり、主と同じ姿に変えられていくにつれて、私たちは神の目に尊い柔和さと穏やかな霊を現すようになります。

「顔と顔を合わせて」神を見たこの人から、後に何度も柔和さが輝き渡りました。モーセはイスラエルのためにすでに大きな犠牲を払っていましたが、彼の悲しみと試練はますます大きくなっていきました。彼は四方八方から試みを受けました。彼は神の辛抱強さにあずかることを学んで、民と共に最後まで耐え忍ばなければなりませんでした。

試みに次ぐ試みの中、天的な霊が輝き渡りました。モーセが自分の栄光を全く求めなかったことは、ヨシュアに対する彼の対応からわかります。モーセのためを思ってねたみを起こしたヨシュアに、モーセは言いました。「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者になればいいのに」(民数記十一・二九)。ミリヤムとアロンがモーセを非難した時、モーセは黙っていました(民数記十二章)。これも小羊の精神を示しています。

モーセはイスラエルのためにあらゆることをしました。それにもかかわらず、モーセの恐れていたことが起きました。イスラエルが良き地の手前で荒野に引き返してしまったのです。私たちはこの時のモーセの苦しみをなにも知らされていません。モーセがイスラエルと一緒にいたのに、ある人々は別の指導者を立ててエジプトに戻ろうとしました。その時、神は再び民を打ち、モーセを選びの民の始祖にすることを提案されました。もしモーセが神の提案を受け入れていたら、彼はその後、強情な国民を担ってうんざりするような年月を過ごす必要はなかったでしょう。しかし、再びモーセは自分の益を全く顧みずに、イスラエルと運命を共にすることを選びました。

イスラエルは約四十年間荒野をさまよいました。多くの試みを経た指導者も彼らに同行しました。その期間の終わり頃、モーセにとって状況はさらに悪化しました。それはイスラエルのためでした。広大な恐ろしい荒野と、民の絶え間ないつぶやきや不信仰にうんざりして、モーセは軽率な言葉を口にしてしまったのです。神は「岩に命じよ」と言われました。しかし、モーセは心の苦々しさから、神と共に静かに歩むことをうっかり忘れてしまいました。彼は岩を二度打ち、こうして神に従うことに失敗しました。神はモーセの不従順を一つたりとも見過ごせませんでした。なぜなら、モーセは民の前で義を象徴していたからです。モーセであれ、イスラエルであれ、罪は裁かれなければなりません。モーセは「顔と顔を合わせて」神を知る特権を持っていましたが、特権が大きければ大きいほど、不信の罪は重くなります。主はモーセに判決を下して言われました、「あなたはわたしに対して不信の罪を犯し、わたしの神聖さをイスラエル人の中に現さなかった。それゆえあなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地をはるかに眺めることはできるが、その地に入って行くことはできない」(申命記三二・五一~五二)。

「見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです」(ローマ十一・二二)。高ぶった思いを抱かずに、むしろ恐れましょう。

再びモーセは山(ピスガ山)に登り、そこで約束の地を見渡しました。彼はそこで死に、神ご自身によって葬られました。モーセが死んだ時は百二十歳でしたが、その目はかすまず、気力も衰えていませんでした。荒野での苦難と悲しみの年月にもかかわらず、モーセが消耗しなかったのは、神が彼の力だったからです。


訳者による注

[1] 出エジプト記三二・十四
[2] ヘブル十一・二六
[3] 黙示録十三・八(原文)
[4] 一ヨハネ二・二
[5] 出エジプト記三三・十八
[6] 出エジプト記三三・二〇
[7] ヘブル一・三
[8] 出エジプト記三四・六~七
[9] マタイ十一・二九