Ⅰ.御霊は十字架に導く

アンドリュー・マーレー

「キリストは永遠の御霊により、傷のない御自身を神にささげられました。」(ヘブル九・一四、改訂訳)

キリストの十字架はキリストの霊の最も高度な現れです。十字架はキリストの主要な特徴であり、彼を天地万物から区別します。十字架は永遠にわたって御座の仲保者としての栄光を彼に与えます。キリストを十字架に導かれた御霊を真に知るようにならないかぎり、私たちは十字架を知ることはできませんし、キリストを知ることもできません。

キリストを十字架に導かれた御霊の何たるかを私たちが見いだすとき、私たちはそれがどのように十字架の御霊という偉大な主題の一部にすぎないのかがわかるようになりますし、どのようにペンテコステの聖霊はなおも十字架の御霊であるのかがわかるようになります!御霊はキリストを十字架に導き上られたように、十字架から贖われた私たちへと流れ、御力を与えてくださいます。その時、私たちはさらに次のことを見いだします。すなわち、御霊はキリストを十字架に導き、十字架は聖霊の賜物をもたらしましたが、それと同じように、御霊は常に十字架に立ち返るのです。なぜなら、御霊だけが十字架の意義を啓示することができ、十字架の交わりを伝えることができるからです。御霊はキリストを十字架に導き、十字架はキリストと私たちを御霊の傾注に導き、御霊は私たちを十字架に連れ戻されるのです!

私たちの命である十字架

「十字架の意義は十字架を負うことと贖いに尽きる」とは聖書は教えていません。また、「私たちが十字架の完了した御業に信頼する時、十字架に対して私たちが取るべき唯一の姿勢は、十字架に対する自分の立場を感謝しつつ確信することである」とは聖書は教えていません。いいえ、聖書が私たちに教えているのは、「最高に親密な霊的交わりによって、十字架は私たちの命とならなければならない」ということです。私たちはキリストと共に十字架につけられた者として生きなければなりません。また、私たちは肉を十字架につけてしまった者、「肉は十字架につけられた」と毎時見なすことによってのみ肉を征服できる者として歩まなければなりません。私たちは日々十字架を担い、十字架を誇るべきです。なぜなら、私たちがこの世に対して持つべき姿勢は常に、この世に対して十字架につけられた者、この世は自分たちに対して十字架に付けられたことを知覚している者のそれでなければならないからです。ですから、十字架の御霊は真のクリスチャン生活を形成して特徴づける唯一のものであり、これが私たちの持つべきイエスと同じ心構えであるからには、なにゆえ十字架の御霊が力だったのかを私たちは知りたいと思います。キリストが私たちのために命を勝ち取ることができたのは、ただこの力によりました。また、私たちが彼の命を所有して楽しむことができるのは、ただこの力によります。

第一に、イエス・キリストが歩まれた道の真価は、苦難の大きさや死への実際的明け渡しによるものではなく、彼の原動力の性質によります。そして、この性質は彼の最後の時に臨んだ何か奇異なものではなく、彼の地上生涯の全行程を通して彼の原動力となって彼を鼓舞したものでした。この御霊が信者の生活の活動原理となるとき初めて、「キリストと共に十字架につけられた」という思想は真の意義を持つようになります。私たちの主は、御自身の内にあったこの心と、いかなる代価を払ってもそれを遂行する力を、どこから得られたのでしょう?その答えはこの御言葉にあります、「キリストは永遠の御霊により、傷のない御自身を神にささげられました」。

この永遠の御霊は誕生の時からキリストの内におられ、「私は私の父の事柄に従事しなければなりません」と言うことを彼に教えました。この御言葉は十字架の従順の種を内包しています。この永遠の御霊は彼をバプテスマに導き、自分を低くして一人の罪人としての取り扱いを受けるよう導かれました。この御霊により彼はそのとき新たにバプテスマされ、十字架の死にふさわしい者とされました。バプテスマは彼を十字架の死へと分離しました。この御霊により彼は荒野に導かれ、そこで抵抗し、勝利を得、奮闘を開始されました。この奮闘はカルバリで終わりました。この御霊を通して彼は一歩一歩導かれ、自分の忍ぶべきあらゆる苦難について語り、それらに直面して耐え忍ばれました。預言者たちの書に「キリストの霊があらかじめキリストの苦難について証しされたのです」とあるように、永遠の御霊を通してすべては成就され、完成されました。肉体の中に住まわれる神の御霊は、必然的に勝利のうちに十字架へ導かれます

十字架は御霊の思い、御霊の要求と御業の最も完全な現れです。神が人を獲得して罪から解放するには、その人を屠る以外に道はありません。宇宙広しといえども、罪の力から解放されうる道は、罪に対して完全に死んで、個人的に罪から分離される以外にありません。神が要求されることを御霊は行われます!御霊は人なるキリスト・イエスの内に働かれました。キリストはしみのない聖なる方です。それでも、御自身と私たちが一つになるために、そして、命の道における私たちの先駆者として、キリストは罪に対して死ぬ必要がありました。彼は今、キリストの霊として、その御業を御自身の各肢体の内で行っておられます。

十字架の霊

御霊に満たされることを願う私たちはみな、ここにとどまって礼拝しましょう。御霊は十字架の死に導かれます。これこそ、キリストを墓からよみがえらせる前、御霊がキリストにあって私たちのためになさった最も高度な御業でした。それと同じように、御霊が信者のためになしうる最も高度な御業は、信者を十字架の完全な交わりに導くことです。ここで休止して礼拝し、その意味を理解するために祈りましょう。御霊がキリストを十字架の道に導かれたように、あなたは御霊に真に明け渡して、十字架に導かれたでしょうか?御霊の豊かさを求めつつ、御霊の唯一の御旨に心から完全に合意したでしょうか?その御旨とは、キリストの中でそうだったように、御霊があなたの中でも磔殺の御霊となることです。キリストにとってそうだったように、あなたにとってもこれが栄光への唯一確実な道なのです。