一九〇四年(明治三十七年)

中田重治

キリストなきキリスト教

キリストなきキリスト教とは、生けるキリストを説かざるキリスト教である。かかる教えには死せるキリストがあるけれども、死してよみがえり、天に昇り、そして今もなお信者のとりなしをするキリストをば説いていない。されば「信ずる者を救わんとの神の力」として見ることができない。キリストなきキリスト教は、活力なき理屈いっぺんの教えである。異端を説く者が人をしてなるほどと思わしめても、実際その人の魂を救うことができないのはこれがためである。

聖書に帰れ

今の信仰界は得手勝手なことを言っている。何を根拠として正しい信仰を得ようか。数年間「キリストに帰れ」との叫び声が激しかったが、今は「聖書に帰れ」と叫ぶようになっている。聖書にさえ帰るならば、信仰は使徒時代のごとき信仰になるのである。(十月十日)