キリスト教から出た仏教
仏教を大別すれば、小乗仏教と大乗仏教の二つとなる。小乗は釈迦の説いたものであると言っているが、大乗非仏説は昔から言い伝えられたものである。仏説でないはずである。あれはもともとキリスト教から出たものである。本来の仏教は無神論である。大乗仏教になってから有神的になってきた。それもそのはずである。あれは使徒トマスが印度にキリスト教を伝えてからのちにできたものである。あの菩薩といわれた馬鳴でも竜樹でも、紀元一世紀後の人々である。しかもトマスが伝道した印度の西北に生まれた人である。大乗起信論も阿弥陀経も法華経も一世紀以後の作である。すなわちキリスト教が破竹の勢いをもって印度に伝わってから以後のものである。仏教家はあの人々もこれらの経文も一世紀少し前であると力説するけれども、欧州の学者はこれに同意しない。みなキリスト教が起こってから以後のものであると確信している。ことに仏教の真髄ともいうべき法華経のごときは、ことばこそ仏語であれ、その思想はキリスト教から脱化したるものであることが争うべからざる事実である。寂滅を説く初代仏教から生命や光明を説く法華経のごときものが生まれ出るものではない。紀元一世紀以後に、突然あんなものが飛び出したことについては、何かに刺激せられ、何かを注入せられたに違いない。これが新来のキリスト教であった。もちろんこれには仏教従来の臭味がある。また塵挨もかかっている。しかしこれを取り去り、これを洗って見れば、現われ出るものは初代キリスト教のおもかげである。ことに日本仏教は大乗仏教であるから、それを見ることができる。比較宗教学上類似の点がたくさんあることは、なんぴとしも承知している。われらは類似の点があるから起こりは同一であるとは言わない。大和民族とイスラエル人と歴史的に関係あるゆえをもって神道とユダヤ教と似ている意味において、キリスト教と仏教がよってきたるところが同じであるというものである。欧米にキリスト教の衣を着たる異教があるように、東洋には仏教の衣を着たるキリスト教がある。天主教にギリシャ、ローマに行なわれたる偶像教のにおいがついているように、日本のある仏教にはキリスト教が混入している。ことに僧の空海(弘法大師)らが唐に渡って当時流行しておった景教ととなえられたるキリスト教を研究して来てから、大いにキリスト教が日本の仏教に混じって、本家本元の印度にある仏教とは似ても似つかぬものになってしまった。またあの蓮華は本来仏教のものではない。あれはエジプトから来たもので、復生を表わしたものである。本来キリスト教のものであったものを、仏教が横取りしたのである。また阿弥陀とは、阿と弥と陀で無量寿であるといっているが、あれはスリヤ語のアミダであって、立つという意味であり、洗礼ということばである。アミダからアーメンなる語ができたのだ。されば阿弥陀とはアーメンの仏である。
かく言うと、ある人はそれではキリスト教でなくとも、従来の仏教でもよいではないかというかもしれない。仏教はキリスト教の陰である。いつまで陰を追うたとて本物をつかめるものでない。本物はキリスト教である。仏教はにせ紙幣である。されば真紙幣と似ているはずである。にせとわかったら、これを捨て本札を取るべきである。キリスト教は真紙幣である。それでなくては天国まで適用しない。「われは律法と預言者を捨つるために来たれりと思うなかれ。われ来たりてこれを捨つるにあらず、成就せんためなり」(マタイ五・一七)。これはある意味において、他宗教にもあてはめることができる。真に救いを求めて仏教などを信仰している人は、キリスト教に改宗しなければとうてい本当の安心をうることができない。さればわれらは「このほか別に救いあることなし」(使徒四・一二)と絶叫するのである。(三月二一日)
臭気のある信仰者
「彼は、はや臭し」(ヨハネ一一・三九)
臭いものは四日間墓中にいたラザロのみでない。信者中に臭い者はたくさんある。酒臭い信者、たばこ臭い信者、おしろい臭い信者、肉のにおいのする信者などがある。あれはみな復活の恵みにあずからないからである。「ゆえにわれらその死に合うバプテスマによりて、彼とともに葬むらるるは、キリスト父の栄えによりて死よりよみがえされしごとく、われらも新しきいのちに歩むべきためなり」(ロマ六・四)。新たに生まれていない信者を信者らしくふるまわしむるは、山猿を舞台に立たしむるようなものである。真に救われきよめられたる者には、こんな臭気があるべきではない。よし、もしなにかのにおいがあるとすれば「彼を知るのにおい」(二コリント二・一四)である。「救わるる者についても滅ぶる者についても、われら神のためにはキリストのこうばしきにおいなり」(一五節)。ホーリネスの教会には臭気のある信者は大禁物である。なんらかの方法をもって隔離するか、さもなくば全き悔い改めに導き、面目を一新したる信者となすべきである。(三月二八日)
諸教会の弱点
近ごろ、名士と会見した時にその人のいわく、諸教会では「東洋宣教会が成功するのは諸教会が説かざる聖潔だの再臨だのを説きだして、諸教会が説かざるのに乗じてその弱点につけ込み、諸教会の信者を盗むのである」と評していると。これは実に味わうべきことばである。諸教会が聖書を土台としておるなれば、純福音を説くべきはずではないか。説かずにいるのは自己を侮辱しているのである。しかるに、われらは説いたからとてわれらを目して弱点につけ込んだとはなにごとであるか。われらは宗教界の火事場泥棒ではない。正々堂々、昔ながらの聖書的キリスト教を真正面から説いておるのである。再臨や聖潔を説かずにいたのが自己の弱点であると気づいたならば、どしどし説けばよいではないか。新店の繁盛をねたむ固ろう商人のごとき気分はまことによろしくない。
ここに一言弁解すべきは、他教会の信者を盗むという一事である。取る者よりも取られるほうがどうかしていると世間が見ておるだろうが、東洋宣教会員の大多数は、はえ抜きの者であることは、少しく内情を知っている者は熟知のことである。しかし男らしく言明しておく。今後われらは他教会の中に切り込んでいく。もしその教会が純福音に反対し、その信者を迫害するようなことがあれば、われらはなんらかの方法をもって、その人々を保護していく覚悟である。われらの究極の目的は、人々をしてキリストに結びつけしむることである。これがためには泥棒の名も甘受する。(一〇月三日)
日本におけるキリスト再臨の信仰
わが国において、再臨を説き始めたのは明治二十年ごろであるとおぼゆる。ブラックストン氏の「イエスは来たる」という本は、キリスト千年期前再臨説という名で出版せられたのはそのころである。訳者は本多監督の弟君で西館武雄という人で、それに尽力したる人はメソジスト教会の宣教師スワルツ氏であった。しかるにいま同派の中に、この真理を力説する人の少ないのは不思議である。日清戦争前後に、この教理を熱心に説いたのは、プレマス派の人々と、笹尾兄や河辺兄たちの「小さき群れ」ととなうる一団であった。そのころは多数の信者は、再臨の信仰をば潮笑の材料にしていたようであった。しかし外国宣教師の中で、ことに婦人宣教師の大多数は各派を通じて信仰し来たったものである。されば再臨の信仰は今日まで表だって広く高唱せられなかったけれども、各派を通じてこの信仰は根深く植えつけられていたのである。今度われわれは各地に集会を開いてみて、いよいよその事実なるを認むるのである。使徒信経を重んずるすべての教会は、これを信ずるのは当然のことである。これを個人の信仰にしているところもあり、その団体の信条の中に入れているものもある。東洋宣教会のごときすなわちそれである。
この信仰を有している人はだいたい左のことにおいて一致している。 一、聖書をことごとく神のことばとして信じていること。これを信仰の土台としていること 二、キリストは神の子なること。聖霊をもちろん三位一体の一位として信ずること 三、キリストの花嫁なる純教会は、各国民、また各派を通じてあるところの神妙なる団体なること 四、キリストは自己の教会をば、やがて空中まで来たり携え上げたもうこと 五、現世はだんだん道徳的に悪くなっておると信ずること。人間の努力によりてこの世は根本的に平和になるとは信ぜざること 六、キリストの空中再臨後、この世は混沌たる状態に変わり、その時にせキリストが現われ、ついにキリストの地上再臨によりて彼は滅ぼされること 七、キリストの地上再臨によりて、全世界は改まりて千年王国となり、神政政治が実現し、そののち大審判があって新天新地に移ること
同じ再臨信者でも、一から十まで一致しているわけではない。しかし右にあげたるところはその一致の要点である。(一一月一四日)