血による宥め(三)

D. M. パントン

「勝利者」誌 一九一四年 第六巻 十・十一月号 掲載。

カルバリで、ごく細かな点に至るまで、無数の小羊のいけにえは終局に達する。

1.――過越の小羊は第一の月の十日に取られなければならなかった。「その(第一の)月の日に、各自は小羊一頭を取らなければならない」(出エジプト十二・三)。その月にイエスは十字架につけられた。またヨハネは彼がエルサレムに入られた日を私たちに告げる。「イエスは過越の六日前にベタニヤに来られた」。そして「その翌日」――つまり過越の五日前に――「イエスはエルサレムに来られた」(ヨハネ十二・一、十二)。さて、過越の祭りは十五日だった。それゆえ――十五引く五で――私たちの主がエルサレムに着いたのは、まさに小羊が取られる日である、ニサンの月の十日だったのである。

2.――小羊はつながれる日に買われなければならなかった。家長はみな小羊一頭を取らなければならなかった。もし持っていなければ買わなければならなかった(出エジプト十二・三)。ベタニヤでの夕食が終わるやいなや、「その時、ユダは祭司長たちの所に行き、言った、『彼をあなたたちに渡したら、私に何をくれますか?』」(マタイ二六・十四)。九日の晩の六時はすでに過ぎていた。イエスは十日に買われたのである。預言されていたのと全く同じ額で買われたのである。「彼らは私の賃金として銀三十枚を量った」(ゼカリヤ十一・十二)。そして、この金は最終的にしかるべき人々に支払われた。「違反のためのささげ物からの金と、罪のためのささげ物からの金は、主の家に納められず、祭司たちのものとなった」(二列王八・十六)。それでユダは「銀三十枚を返して(中略)祭司長たちは(それらを)取って言った、『これを宮の蔵に入れるのはよくない』」(マタイ二七・三)。

3.――小羊は屠り場の中に四日間つないだままにされなければならなかった。「あなたたちはその同じ月の十四日まで、それを保っておかなければならない」(出エジプト十二・六)。十日から十四日までユダは買われた小羊を見張り続けた。それをいけにえとするためである。「彼らは銀三十枚を量って彼に与えた。そしてその時から、彼は彼を彼らに渡す機会をうかがった」。毎日(これには安息日も含まれたと思われる)昼はエルサレムですごし――安息日には旅をしなかった(ルカ十四・五〇、使徒一・十二)――夜はベタニヤですごした。十日からベタニヤの晩餐のときまで、イエスは殺すために付け狙われたのである。「彼女は葬りのために、わたしの体に前もって油を塗ってくれたのです」(マルコ十四・八)――戴冠のためではなく、いけにえのためだったのである。

4.――小羊は特別な出生・特徴・行動のものでなければならなかった。(1)それは初子でなければならなかった(出エジプト十三・二)。もし「彼女は初めての子を産んだ」(ルカ二・七)とあるとおりでなければ、イエスは小羊になれなかったのである。(2)それにはいかなる傷もあってはならなかった(申命記十七・一)。「あなたたちの小羊に傷があってはならない」(出エジプト十二・五)。そのゆえ、ピラトは「私は彼になんの過ちも見いださない」(ヨハネ十八・三八)と宣告したのである。また小羊を検査する祭司であるカヤパは、彼に不利な証言を偽りであると宣告した。*(3)預言者たちはメシヤのことを、彼は死ぬ日に黙している小羊のように立つと予告した(イザヤ五三・七)。「そしてイエスは彼に一言もお答えにならなかった」(マタイ二七・十四)。

* おそらく、磔殺に関する詳細に関して、大祭司による贖いの公の宣言ほど素晴らしいものはない。「カヤパはその年の大祭司だったので、『一人の人が民のために死んで、全国民が滅びないのは、あなたたちにとって益である』と言ったのである」。権威の座から発せられた、しかも、贖いの日に小羊をささげるイスラエルの公の頭首によって発せられた、驚くべき宣言である。そのため、聖霊は「ところで、彼はこれを自分から言ったのではなく」(ヨハネ十一・五〇)と付け加えておられる。モーセ律法の祭司職が、崩壊の苦しみの中で、その最後の預言的発言を発したのであり、贖いについて述べてこときれたのでる。

5.――小羊は特定の日に、集団の全会衆によって屠られなければならなかった。「彼らは第一の月の十四日に過越のいけにえを屠った」(二歴代三五・一)――食べたのではない。「イスラエルの全会衆は、二晩の間にそれを屠らなければならない」(出エジプト十二・六)。磔殺は十四日だった。なぜなら、「それは過越の準備の日だった」(ヨハネ十九・十四)からである。二晩の間とは第時から第時までのことである、とヨセフスは述べている。「さて第六時から暗闇が全地を覆った」――世がかつて経験した最も恐るべき日没である――「第九時まで。そして第九時頃に(中略)イエスは彼の霊を渡された」(マタイ二七・四五、五〇)。その月、その日、その時刻に、神の小羊は屠られたのである。「私たちの過越であるキリストが、いけにえとしてささげられたからです」(一コリント五・七)。さらにイスラエルの諸部族は、予型的に、祭司が教会を象徴する節では、諸国民を象徴する。「全会衆」とは、したがって、全人類である。それゆえ、十字架の所にセム人(セム)――ユダヤ人、アーリア人(ヤペテ)――ローマ人、クシ人(ハム)――実際に十字架を運んだキプリア人がいたのだった。啓示された三つの区分からなる全人類が、その死を幇助・扇動したのである。同じようにまた、ローマ人の百卒長が、ドイツ人の部隊の手により、スペイン人のピラトの命令の下で、自ら膨大なユダヤ人群衆によって威圧されて、イエスを十字架につけたのである。世界最高の民政的権威――地上で唯一の神聖な宗教的権威――であるイスラエルが(ネロの下での人口調査によると)エルサレム周辺に三百万人集まった――支配者たち、民衆、祭司たち、兵士たち、かたくなな犯罪者たちまでもが、主のそばに集まった――反対の声は一つもなく、「集団の全会衆」が小羊をいけにえとしてささげたのである。

6.――小羊の骨は一本も砕かれてはならなかった。「その骨を一本も砕いてはならない」(出エジプト十二・四六)。*サマリヤ人のいけにえはユダヤ人の儀式が今も生き残っているものだが、彼らは小羊の四肢を十字架の横木の上にのせて、木のくしで貫く。つまり、彼らは小羊を十字架に固定するのである――十字架につけるのである。ゴルゴタは絶壁の土塁であると言われてきた。石打ちの刑を宣告された犯罪者らはそこから投げ落とされたのである。もし私たちの主がそうされていたなら、彼は小羊にはなりえなかった。どのように神はそのために備えをされたのだろうか。タルムードによると、宮の破壊の四十年前に――つまり、あの磔殺の前年に――ローマ人はユダヤ人から極刑――石打ち――を科す権力を剥奪したという。それゆえ、私たちの主はローマ式の死を被られたのである。「ユダヤ人はピラトに言った、『私たちが人を殺すのは、許されていません』。これは、イエスがどんな死に方で死のうとしておられるかを示して語られた言葉が成就されるためだった」(ヨハネ十八・三一、三二)。しかし、骨を砕くおそれがまだ残っていた。木にかけられたユダヤ人について、律法はその日のうちに葬ることを命じていた。したがって、足を折ることによってのみ、葬りを可能とする死が確実なものになったのである。しかし、全世界の罪を担った御霊はすでに飛び去っておられた。「彼らがイエスの所に来ると、彼がすでに死んでおられたのを見たので、彼の足を折らなかった(中略)それは、『彼の骨は一つも砕かれない』という聖書が成就するためであった」(ヨハネ十九・三六)。**

* 小羊を焼かずに食べたり、水で煮たりしてもならなかった。ただ「火で焼」かなければならなかった(出エジプト十二・九)。御怒りを和らげたり、「わたしは渇く!」と叫ばれた方の苦しみを軽減したりするものが、一切あってはならなかったのである。
** もしこれが、遥かに巨大な、しかしまだ昇っていない太陽の光を反射する月でないとしたら――この多くの詳細はなんと無意味で、馬鹿げたものですらあったことだろう――エホバから発したものとは到底思えなかったことだろう。それは、神の小羊が現れる時、それが誰なのかを特定する一つの手段だったのである。代々にわたって次のことを証明する一つの証拠だったのである。すなわち、屠られた小羊が御座の中央におられるようになる遥か昔から、御父は屠られた小羊を御心に抱いておられたのである。「これらは来たるべき事柄のであって、(これらの祭儀的影を投じる)その本体はキリストにあります」(コロサイ二・十七)。

7.――小羊の血だけが死の御使いから一家を守ることができた。上方のかもいに塗られた血――血による以外だれも天に上れないからである――と、右の門柱に塗られた血と左の門柱に塗られた血――血による以外だれも救いに入れないからである――と、敷居の鉢の中の血――救われた戸口はみな、このように十字架の四つの点で証印を押されるからである。*十字架につけられた方が、救われた各々の人と滅ぼす御使いとの間にかかっておられる。しかし、なぜ血が救うのか?罪が入り込む所に、死も入り込むからである。罪と死は永遠に組み合わさっている。どの家でも、したがって、小羊が死ぬか息子が死ぬかのいずれかだったのである。死が、すべての敷居を越えて、罪に続かなければならない。しかし、死がひとたび入り込んだ所には、死はもはや入り込まない。神の律法は同じ罪に対して二度打つことはない。小羊が中で死んでいたがゆえに、滅ぼす御使いは通り過ぎた。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ一・二九)。彼が打たれたがゆえに、私は打たれない。彼の死は私の命である。「今や彼の血によって義とされているのですから、私たちは彼を通して神の激怒から救われます」(ローマ五・九)。これ以上に明確な証拠があるだろうか?オークランドの二人の殺人者に、フランク・ホワイトの「幕屋の中のキリスト」の写しを、監獄付きの教誨士であるヒル司祭が貸したところ、彼らはそれを二人の看守と看守長と一緒に徹夜で学び、夜明けに彼と出会った時、「イエスは神の小羊です!」と叫んだ。その後、救われた改悛者として処刑台へと歩いて行ったのである。

* 出エジプト十二・二二で「鉢」と訳されている言葉――エジプト語では「敷居」と訳されている――は、士師十九・二七と二列十二・九では敷居と訳されている。七十人訳でもそうであり、「鉢の中の血」ではなく「戸口のそばの血」となっている。したがって、小羊が屠られたこの敷居を再び渡る背教者は、契約の血を俗なものと見なして足の下に踏みにじるのである(へブル十・二九)。復活の「朝まで、あなたたちのだれも、家の戸口の外に出てはならない」(出エジプト十二・二二)。