血による宥め(四)

イザヤ五三章におけるカルバリの人

D. M. パントン

「勝利者」誌 一九一四年 第六巻 十二月号 掲載。D.M.パントンによる、キリストの勝利の贖いに関するこの素晴らしい一連の記事はパンフレットの形で得ることができます。

イザヤ五三章に関する以下のメッセージを、私たちの読者に心からお勧めします。それが心と思いの中に完全に吸収されるまで、何度も何度も読んで祈ってください。身代わりの福音からの昨今の背教の時代に、これらの小冊子が何百万もの人々に届けられるよう、私たちは願っています。

律法は屠られた小羊の絵図を全世界の前に示した。今、預言者たちが、その実体にさらに迫って、いけにえにされた人を啓示するのを、私たちは見いだす。彼らの預言のまさに核心であるこの人は、屠り場に引いて行かれる小羊のような人である。イスラエルは時としてエホバの僕と呼ばれている。しかし、この箇所のように「わたしの義なる僕」(イザヤ五三・十二)と呼ばれたことは決してない。またゼカリヤ三・八では、「わたしの僕であるその枝」はメシヤであることは明らかである。それゆえ、初期のユダヤ教のラビたちはみな、時――霊感を受けた預言者たちが、書き記された御言葉によって啓示した神の御心の時がいつなのか――も含めて解釈した。タルグムにさえ、「見よ、わたしの僕であるメシヤを」(イザヤ五二・十三)とある。一七〇〇年間、ユダヤ人はイザヤの絵図の中にメシヤを見てきた。そして、キリスト教会からの耐え難い圧迫の下で、彼らは初めて(紀元一一五〇年頃)その時までシナゴーグで一般的だった解釈を放棄したのだった。また、血による贖いをよく知っているユダヤ人なら、身代わりの受難者なる方に、なんら知的困難を覚えることはなかった。教会もまた十八世紀にわたって、この肖像が誰か特定していた。純粋な預言や血による贖いを疑う二、三の者たちだけが、その肖像の中にメシヤの御顔以外の別の人の顔を見いだしたのである。しかしこの十五の節(イザヤ五二・十三~五三章)が書き記されたのは、皆が同意しているように、少なくともキリストの数世紀前であり、彼の生涯に触発されたものではありえない。その生涯がその肖像を触発したのではなく、その肖像は(奇跡的な霊感によって)その生涯を予見するものだったのである。二千五百年の間、シナゴーグと教会はエホバの僕のことをメシヤであると同定してきたのである。

イザヤによるキリストの肖像

しかし、神は私たちを疑問の中に決して置き去りにされなかった。この肖像は十五の節から成り、三節ずつから成る五つの区分に分かれている。この五つの区分のどれも、聖霊は直接的にキリストに当てはめておられる。第一区分(イザヤ五二・十三~十五)についてパウロは、無知な諸国民に遣わされた僕のメッセージのことを、異邦人に伝えられたキリストに関する良い知らせであるとしている。第二区分(イザヤ五三・一~三)に関してヨハネは、イスラエルがイエスを拒否したことにより、不信仰に関する預言者の不滅の叫びが直接的に成就されたと見ている(ヨハネ十二・三八)。第三区分(イザヤ五三・四~六)に関してマタイは、キリストの癒しの奇跡の中に、私たちの病を担って私たちの病のために尽くしてくださる僕を見ている(マタイ八・十七)。第四区分(イザヤ五三・七~九)に関して、聖霊に満ちていたピリポは、聖霊の直接的命令の下で語り、その僕は誰なのかについての宦官の質問に、「彼にイエスを宣べ伝えることによって」(使徒八・三二)答えた。第五区分(イザヤ五三・十~十二)に関してマルコは、その二人の強盗こそエホバの僕が共に数えられるべき者たちだったことを示した(マルコ十五・二八)。どの区分でも、私たちの主が被られた苦難が挙げられており、こうして、その写真を言わば十字架の五つの傷で刺し貫く。この預言はあまりにも特別なものなので、もしそれがイエス・キリストにおいて成就したのでなければ、それを成就するために、別のカルバリや、神の御座への別の昇天が必要になるだろう。それゆえ、予言された身代わりの苦難と血による贖いから逃れることは決してできない。また、それがそのように成就されることはありえない。なぜなら五回、聖霊はすでにこの肖像はイエスであると断定しておられるからである。

私たちの主は疑いの最後の拠り所を自ら取り除かれた。彼はエマオへの途上、「聖書全体にわたり」――旧約聖書全体にわたり――「ご自身についての事柄」(ルカ二四・二七)を解き明かされた。また、カルバリへの途上、イザヤ五三章をご自身についての事柄の中に含めて、きわめて悲惨ではないにしても(イザヤ五三・十)、確かにきわめて痛ましい句をご自身に結び付けられた。「わたしはあなたたちに言う、『彼は不法な者たちの中に数えられた』と書かれていることは、わたしにおいて実現されなければならない。わたしに関わることにはある目的があるからである」(ルカ二二・三七)。旧約聖書の型や預言はみな、キリストという海の中に流れ込んで消え失せる川々である。このように、私たちの主はイザヤの預言がまさに一言一句成就されることを予期しておられたのである。彼は自分がエホバの苦難の僕であることを明らかにされた。彼は、その中に知恵と知識との宝がすべて隠されている方であり、その言葉は「霊」であり「命」である方であり、真理、肉において現わされた神である方だが、その方が「イザヤはわたしについて語ったのである」と述べておられるのである。

キリストの身代わりの苦難

さて、福音全体にとって次のことが決定的に重要である。「旧約聖書がかつて自らを凌駕して到達した、この最も深くて最も高遠な中心的発言」の中にメシヤは、律法授与者、教師、征服者、王としてではなく、至高の、孤独な、恐るべき永遠の受難者として現れる。彼の悲しみのような悲しみに並ぶものはなく、その内容に似ているものはなにもない。「とても高く上げられた」――神に対するイザヤ独特の表現である(イザヤ六・一、五七・十五)――御座に座しておられる神のビジョンの直後――私たちは突如として、驚き恐れる目撃者たちの一団に直面する(ルカ二三・四八)。彼らは「だれよりも損なわれた彼の顔立ちに驚いた」(イザヤ五二・十四)。顔に血の汗を流し、顔をいばらで引き裂かれ、顔面を殴られ(ルカ二二・六四)、顔につばきを吐きかけられ(マタイ二六・六七)、髭を顔から抜かれ(イザヤ五〇・六)、死の苦しみで顔は震え、ついには暗闇がそれを全く覆った――これほどみすぼらしい悲惨な姿はないし、これほど恐ろしく傷つけられた顔立ちもない。しかしなぜか?厳しい二律背反が私たちを貫く。彼には罪がないことを否定するか、さもなければ、彼の苦難の身代わりとしての性質を認めるしかない。彼は神によってカインやコラのように正当に打たれたと評価するか、あるいは、彼は「暴虐を行わず、彼の口には偽りがなかった」こと、彼の悲惨なみすぼらしさや痛ましい悲しみは私たちのためだったことを認めるしかない。

しかし、神はこの点について決着をつけておられる。十二回、彼の苦難は身代わり・宥めのためにほかならなかったことがここに宣言されている。(1)「彼は私たちの病を負われた」。(2)「彼は私たちの悲しみを担われた」。(3)「彼は私たちの違反のために傷つけられた」。(4)「彼は私たちの罪科のために砕かれた」。(5)「私たちの平安のために懲らしめが彼に臨んだ」。(6)「彼の打たれた傷によって、私たちは癒された」。(7)「主は、私たちすべての者の罪科を、彼に負わされた」。(8)「私の民の違反のために彼は打たれた」。(9)「あなたは彼の魂を罪のためのささげ物とされる」。(10)「彼は彼らの罪科を担う」。(11)「彼は多くの人のあの罪を担う」。(12)「彼は違反した者たちのためにとりなしをした」。なぜなら、彼が傷つけられたのは、私たちの違反によってではなく、私たちの違反のためだったからである。私たちの罪科が彼を砕いたのではなく、彼は私たちの罪科のゆえに砕かれたのである。「彼の打たれた傷」によって――むちひもではなく、先端が鉄のローマのむちによってつけられた生々しい傷跡によって――「私たちは癒された」のである。なぜなら、「彼は私たちの罪を、ご自身の体において、木の上で担われた」(一ペテロ二・二四)からである。*

* モーセの律法は四十回を超えるむち打ちを禁じていた。ローマの法律にはそのようなあわれみ深い制限はなかったが、厳しいむち打ちでユダヤ人たちを満足させて極刑を避けることをピラトが願ったため、「私たちの平安のための懲らしめ」が血肉に耐えられる限界にまで至ったにちがいない。両手を柱に縛り付けられ、背中はむき出しの状態で、巨体のローマ人がむちを振り下ろした。ひと打ち毎に血が流れたのである。

このように、この偉大な反対命題が常に啓示される。「私たちはみな羊のようにさまよい」。みなが神への道を見失った。みなが罪を犯して、それがすべて呪わしい重荷として戻って来た。差別なく、例外なく、みなである。「そして、主は私たちすべての者の罪科を彼に負わされた」。おびただしい罪、その結果である大きな咎、したがって避けようのない重い刑罰をみな――神は、想像もつかないような罪科という黒雲の中で担い、その後、地獄の嵐をキリストの頭上で――「激突させて」――砕かれたのである。それは、すべての人が――自分自身を除外する人は別として――「全世界のための宥め」(一ヨハネ二・二)である方によって救われるためである。

成就された肖像画

私たちは今、四千年間このように予示されていた実際の事実に到達する。聖霊はきわめて注意深く、私たちの主の苦難における特定の肉体的事実を強調して、キリストの苦しみの源(と私には思われる)を示された。聖霊は私たちの注意を特にその血に引いておられる。「彼の汗が」――これが一つ目の肉体的事実である――「血の大きな滴のようになって、地にしたたり落ちた」(ルカ二二・四四)。「のように」とは、それらが汗と混ざった血の塊であって、それゆえ純粋な血ではなかったからである。その夜の空気は冷たく(というのは、宮では火が灯されていたからである)、彼の敵どもはまだ彼を手荒く捕らえていなかった。さらに、私たちの主は(犠牲のいけにえに必要とされるように)肉体的に完全であり、きわめて健全な生活のおかげで全身壮健だったし、また人生の盛りにあった。これほど急速に衰弱しきった兆候が表れたのには、彼の肉体構成以外にもっともな理由があったにちがいない。「わたしのは」――私たちの主みずからこう述べて、血の汗の非肉体的原因を説明しておられる――「ひどく悲しく、死ぬばかりである」(マタイ二六・三八)。恐るべき魂の葛藤のせいで、血の汗が生じたのである。「過度の恐れと悲しみにより、体は衰弱して麻痺しかけたのである。他方、苦しみと葛藤が途方もない力でのしかかった。前者の下で精神活動は弱まり、また、皮膚血管の収縮のせいで、もし発汗していたとするなら、体はこごえて委縮していたはずである。後者の下で、心臓は激しく鼓動して、熱い大量の汗を――極端な場合は血の汗を――皮膚の毛穴から流れさせたのである」(W.ストロウト医学博士)。

ゲッセマネの苦しみの原因

では、何が突然イエスを竜巻のように襲って、額から血を流させるほどの恐るべき動悸を生じさせたのか?(1)それはやましい良心のせいではなかった。というのは、この時、「わたしは父のもとに行く。わたしはもはや、あなたたちと多くを語るまい。この世の支配者が来るからである。彼はわたしの中になにも持っていない」(ヨハネ十四・三〇)と言われたからである。宇宙で最も罪科を犯した目の探るまなざしでも、小羊の中になんの汚点も見いだせず、キリストの中になんの悪も見いだせなかったのである。(2)それは無力な恐れのせいではなかった。「わたしがわたしの父にお願いして、御使いの十二軍団以上を今すぐ遣わしていただくことができないとでも思うのか?」(マタイ二六・五三)。(3)それは死に対する恐れのせいではなかった。というのは、イエスは何度も何度も――崖のふちで、湖で、宮で――死に立ち向かわれたからである。恐れの痕跡はなかった。また、他の人々を死からよみがえらせた方、ご自身の復活について常に述べておられた方が、死のゆえに血の汗を流すなどということはない。また(4)それは人から拒絶されたことに対する悲しみのせいでもなかった。というのは、「あなたたちは幸いである」――と彼みずから言われたからである――「人々があなたたちを非難する時。喜び、歓喜しなさい」(マタイ五・十一)。血が流れたのは、御使いが彼を力づけた後のことである。なぜなら、血を流したのは弱さや恐れのためではなく、御使いによって計り知れないほど激化した魂の葛藤による苦しみのためだったからである。その理由を彼みずから私たちに告げてくださった。ゲッセマネの園に入るとき、彼は御父の御言葉を引用して、「わたしは羊飼いを打つ」(マタイ二六・三一)と言われた。ゲッセマネで主は私たちすべての者の罪科を彼に負わせ始められた。「あなたの激怒がわたしの上に重くのしかかり、あなたの激しい激怒がわたしの上を行った」(詩篇八八・七、十六)。御父との交わりがなくなったことにキリストが突然気づいた時――彼が人類最大の犯罪者という咎を負って進み出られた時――全く無垢な感受性によりこの罪の重荷に恐れひるんで、悲しみで気が狂わんほどの「衝撃」を受けられた時、彼はこの杯――「彼の激しい憤りのぶどう酒の杯」(黙示録十六・十九)――を自分から取り去ってくださいと懇願された。贖いが始まったのである*……。

* 人類の諸々の罪を告白して主に担ってもらうことは、彼の務めの黎明期から可能だった。というのは、小羊という身分で彼はバプテスマされたからである――つまり、彼は罪の重荷を負って汚れている者の立場を取られたのである。それゆえ、彼の務めの間、彼は「私たちの病を負った」(マタイ八・十七)と述べられている。それにもかかわらず、贖い――これは罪を担うことだけでなく、罪を宥めるものでもある――は、ゲッセマネで命の血が流れ始めるまで、始まりえなかったのである。
そして、深く激しい彼の受難の急流が彼の上に流れ落ちる。
そして、違反の川々が彼の人魂を圧倒する。
知られざる罪、思いもよらぬ罪、昼の罪、夜の罪、
漆黒の外の暗闇の罪が、彼のこのうえなく清い視野に押し迫る。
東の門で最初にケルブが剣を閃かせた時から、
主の来臨の前に書き記されることになる最後の時までの罪が。

兵士の槍

聖霊が特別に繰り返し強調して記録しておられる二つ目の肉体的事実について(ヨハネ十九・三四)。「兵士の一人が」――心臓の近くを斜めに突いて――「彼の脇を槍で突き刺すと、直ちに血と水が流れ出た」(ヨハネ十九・三四)――ただ重力の力によって、血の塊とおびただしい水状の液体が流れ出たのである。それらは明らかに別のものであり、少し離れた所にいたヨハネにもはっきりと見えるほどだった。私たちの主がゲッセマネを離れた瞬間、彼の全き平静さと、御父との交わりが回復した。というのは(彼がまさにその時について述べられたように)「あなたたちが散らされて、わたしを独り残す時が来ようとしており、そしてすでに来ている。しかし、わたしは独りではない。父がわたしと共におられるからである」(ヨハネ十六・三二)。しかし、十字架上で三時間――その間、彼は死にゆく強盗を慰め、ご自分の母をヨハネに委ね、絶えざる交わりの中で祈られた――経過した後、突然、超自然的な暗闇が臨んだ。再び、神の御顔は見えなくなった。三時間のあいだ私たちの主は、恐るべき静寂に包まれて、祈りも叫びも発せられなかった。ついに、恐るべきことに再び神から捨てられたことを示して、彼は「わが神、わが神、どうしてあなたはわたしを見捨てられたのですか?」と叫ばれた。そして、とうとう激しい動悸で心臓が破裂したのである*(死ぬまでに一、二分、意識があっただろう)。衰弱のせいではなく、心臓破裂のせいで死に瀕していた彼は、突然大声で叫んで、ご自分の霊を渡された。大祭司が昔いけにえを屠るときにそうしたように、渡されたのである。「この方は永遠の御霊を通して傷のないご自身を神にささげられました」(ヘブル九・十四)。苦しみが集中した特別な二つの時間帯―― 一つは一時間、もう一つは三時間続き、どちらも恐るべき肉体的兆候を引き起こした――が、神聖な贖いを構成しており、罪を担って焼き尽くすことを永遠に成就したのである。いけにえは、罪と一体化されると直ちに、まず屠られて、次に火で焼かれた。こうして、自らを死と地獄に渡したのである。ゲッセマネではその小刀がその働きを開始した。カルバリでは火が主から臨んで、その全焼のささげ物を焼き尽くした。ゲッセマネでキリストの意志は最終的にその小刀に服した。カルバリでその呪いが降りかかった。**死と地獄が、一度限り永遠に、人類の素晴らしい身代わりである方の上に降りかかったのである。最終的に、九時頃、イエスは「成就した」と叫ばれた――夕日がその光輝のかぎりを尽くして再び輝き出た――そして、いけにえなる方の苦しみは永遠に終わったのである。

* 「このような心臓破裂では、通常、即死することになる。また、この臓器を通して循環している血液が心膜(心臓を包む嚢)に浸透することになる。その血液は、このように血管外遊出すると、他のケースでは滅多にないが、その成分に分離する。つまり、血清と呼ばれる薄色の水状の液体と、凝血塊と呼ばれる深紅の柔らかい凝固物とに分離する。凝血塊もしくは赤い凝固物は血液の主成分をほぼすべて含んでおり、血清もしくは薄黄色の液体はおもに水から成っている」(W.ストラウト医学博士)。私たちの主がご自身の命を捨てられたのは、強制されたからではないことは確かである。「だれかが」――神も含めて――「それをわたしから取り去るのではなく、わたしがそれを自分から捨てるのです」。また、それは事実上、自殺ではなかった。なぜなら、彼は創造主からそうするよう明確な命令を受けておられたからである――「この命令をわたしはわたしの父から受けたのである」(ヨハネ十・十八)。しかし、十字架上の六時間後のこの死が、超自然的な自ら負ったものだったのか、それとも、即死することが不可避な状態に自発的に服することによって引き起こされた通常の死だったのか、私にはよくわからない。どちらも聖書的に思われるので、私は両者を組み合わせた。両者は必ずしも互いに相いれないものではないからである。私たちの主は、自然死を遂げる前に、あるいは、死ぬ行為の中で、いけにえをささげる大祭司として、ご自身の霊を渡されたのである(マタイ二七・五〇)。
** 破られた律法の呪いを、それを一度も破ったことのない方の上に臨ませる唯一の方法は、彼の死に方によるものだった。というのは、「木にかけられる者は呪われる」(ガラテヤ三・十三)からである。したがって、釘付けの瞬間に、呪いの恐るべき炉がキリストの上で燃え始めたのであり、この呪いの背後にはエホバがおられたのである