第四章

G. H. ペンバー

今日、二つの重要な任務が私たちに与えられている。私たちは従うことと治めることを学ばなければならない。人はみな、この二つの学課の訓練をしばしば受ける。みなが従わなければならず、みながなんらかの形で治めなければならない。この二つの事柄――すなわち、神から下って来た合法的権威に喜んで服従することと、自分たちに委ねられた権力がなんであれ、それを行使するにあたって完全に自制すること――これが人の負うべき全責任である。第一の義務は迅速に喜んで果たさなければならない。第二の義務はしっかりと、しかし、配下の者たちに対するきわめて優しい心遣いをもって果たさなければならない。治めるよう召される時はいつでも、神からしてもらいたいように私たちもしなければならない。

さて、か弱い被造物が果たす一つの役割は、明らかに、これに関する訓練の機会を私たちに与えることである。また、たとえ権益や愛着が関係していたとしても、「力は正義なり」という利己的な処世訓を是認する姿勢を取らないことを明らかにする機会を私たちに与えることである。このような機会は万人に与えられている。他方、動物たちが目の前にいなければ、権力の誘惑の下で行動を試される可能性のなかった多くの人々がいる。猫や鳥を飼っている子供、ロバを飼っている少年、犬や馬を飼っている労働者は、正義、優しさ、自制といった学課を各自学んでいるにちがいない。科学者もまた、知覚を持つ他の被造物の要求を認めて、「すべての知識の木から実をもぎ取るのは合法的ではない」と告白しなければならない。

しかし、これらの真理を認めている人は僅かであり、無数の残虐な行いが――しばしば考えなしに――日毎に、否、毎時行われているのである。これはおそらく取るに足りない事と思われているのであろう。しかし、今から後、「あなたが量る量りで、あなたも量られるであろう」という御言葉は人に対する取り扱いだけでなく、獣に対する私たちの取り扱いにもあてはまることが確実にわかるようになるだろう。正義のはかりは公平でなければならない。それゆえ、あらゆる不要な行き過ぎた残虐さもまた、もしそれが習慣になるなら、再聴取を受けることになるだろう。なぜなら、かの日――

「裁く方が座に着く時、
 隠れた行いはすべて裁かれ
 復讐されずにすむものはなにもない。」

からである。