四.信仰はどのように働くのか

チャールズ・プライス

それから、彼は前に進み出て神の計画を民の前に示した。この民は四十年前に同じ主に信頼するべきだった民だった。霊的勝利は、一般的に言って、信仰の諸々の原則の働きによって勝ち取られる。この信仰の諸々の原則の働きは、科学者たちの知性にとって、まったく徹底的に無力なものである。

理性がまたもや入り込んでこう言ったかもしれない。「聞きなさい、ヨシュアよ。あなたたちが箱をかついで都の周りを行進すればこの城壁は崩れる、と信じるのは、何とまったく馬鹿げたことであり、言いようのないほど愚かしいことでしょう。思い切りラッパを吹いて叫べば、息を切らす以上のことをなせる、と信じるのは愚かなことではないでしょうか?そんなことをしても、この難攻不落な石の障壁はびくともしないでしょう」。

しかし、ヨシュアの信仰心は反論した。彼はこう答えたかもしれない。「有限な思考による理屈を私に話さないでくれ。永遠の無限なる神が語られたのだ。この御方と共に、私はこの都の周りを行進しよう。私が行進すれば、神は城壁を崩してくださる」。

そこで、信仰による断言を前にして、理性は道を譲った。そして、七日が速やかに過ぎ去った。この勝利の群れの口からはいかなる言葉も発せられなかったが、遂に天の御使いたちが別の雲を見る時がやってきた。崩れ落ちる石造りの建造物の破片から立ち昇る埃の雲である。その雲のどこかに永遠なる神の御腕が隠されていることを、ヨシュアは知っていた。その御名はエホバ・ニシである。

あなたはこれまで自分の人生のエリコの前に立ったことがあるだろうか?無理難題がその難攻不落な城壁と共に、あなたの前に現れたことはあるだろうか?自然の成り行きでは到底克服できず、理性が「あなたは降伏した方がいい――諦めた方がいい――避けられないものと戦っても無駄である」と叫ぶ、諸々の困難にあなたは直面したことがあるだろうか?理性が自分に判決を下すのを、あなたは許していたかもしれない。自分が失ったものを求めて、あなたは空しく荒野の中をさまよってきたのではないだろうか?

あなたがまず、今日あなたを打ち負かした事柄を征服しない限り、明日、他の事柄で勝利を得ることはない。あなたがカナンで敗北してきたなら、神はアラビアの城塞都市をあなたに取らせることは決してない。まずカナンの問題に戻って、最初にその問題に決着をつけなければならない。

それは不可能だと言ってはならない。不可能そうに思われるものによって、あなたの魂を打ち負かされてはならない。信じる人には何でもできる。信仰は従順を生み、従順は信仰が輝かしい勝利と共に歩む道を築く。従順には効力があるが、信仰は従順を活気づける霊感である。

それゆえ、われわれは自分のエリコに直面しなければならない。われわれ自身の孤独な魂の中で、われわれは不可能に思われるものを見つめつつ、恐ろしいことを考えて立ちつくす。石壁の影の下の月明りの静けさの中で、神の御子はあなたに現れてくださっただろうか?おそらく、あなたが自分の静かな部屋の中で彼の御言葉のページをめくっていた時、重荷を負っているあなたの魂の上に、乾いた地の上に降る雨のような祝福が降り注いだだろう。あなたは主の軍勢の将の幻を見ただろうか?彼はあなたの味方だろうか、それとも敵だろうか?何という問いか!彼は常に、常に、常に、あなたの味方である。あなたに勇気はあるだろうか?力はあるだろうか?信仰はあるだろうか?彼は常に、永遠に、あなたの益のために働いておられるのである。

彼の御手の接触をあなたが感じる時、その御手には釘跡があることにあなたは気づく。同情のこもった、それでいて力で脈打っている彼の御声のリズムに、あなたは耳を傾ける。「この計画を一緒に立てよう」と彼は仰せられる。「あなたは一人ではこれをすることができません。この目的を果たすことはあなた自身にはできません。私たちは一緒にエリコを攻め取りましょう」。それがそこにあるのをあなたは知っている――それは罪のエリコである――不信仰の都、難攻不落のように思われる要塞の都、キリスト者であるあなたの行程と恵みによるあなたの成長を邪魔するものである。それゆえ、あなたは神と語らなければならない。

救い主の御声が霊の耳に語りかけるのをやめるやいなや、理性は嘲笑って言う、「それは馬鹿げたことではないだろうか?愚かなことではないだろうか?そんなことがどうして可能なのか?」。しかし、あなたはラッパを上げて自分の口にあてる。そして、喜びと平和と栄光の連隊があなたの魂の野原中を行進し始める。あなたは勝利を勝ち取っていないが、それでも勝ち取っている。問題は解決されていないが、あなたは叫んでいる。問題が解決されることをあなたは知っているからである。困難はまだ除かれていないが、それでもあなたは幸福のあまり、喜びで飛び跳ねることができる。「信仰は勝利である」。これがあなたの心の中の鐘を鳴らす。それは、ヨシュアの心の中でそうだったのと同じである。「信仰は勝利を勝ち取る」と天の聖歌隊は、彼に歌ったのと同じように、あなたにも歌う。オルガンは「進め、クリスチャンの兵士たちよ」と鳴り響く。そして、信仰の将軍は行進する魂の大隊の先頭で闊歩する。

あなたは奉仕する天使たちを信じていないかもしれないが、私は信じている。天使たちが信仰の人のもとに来て、疑い・恐れ・不信仰という困難をすべて一掃したのを、あなたは信じていないかもしれないが、私は信じている。だから、あなたは一緒に計画を立てなければならない。あなたとイエス――イエスとあなたで計画を立てなければならない。あなたの道は彼の道になった。あなたの計画は彼の計画になった。彼の御声があなたを鼓舞して従順に導く。そして、あなたは壁が崩れることを初日の行進の時にすでに確信している。その確信は、七日目の終わりに太陽が西の山々に沈む際、壁が崩れた時にあなたが持っているのと同じ確信である。

壁が崩壊する前にあげる期待の叫びと壁が崩れた後にあげる勝利の叫びとの間に、あまり大きな違いはない。「信仰は望んでいる事柄の実体であり、見えないものの証拠です」。だから、あなたは共に行進する。あなたとイエス、イエスとあなたは共に行進する。絶対的従順という岩道かもしれない道に沿って、たとえ彼は目に見えなくても、あなたは彼の傍らを歩く――すると、ある日、それは起きる。不可能なことが成し遂げられる。困難は克服される。諸々の障害は征服される。それらの障害は道から除かれる。自然は超自然の前にかがむ。有限なものは彼を主として認める。

あなたのエリコの壁は崩れ落ちた。それはあなたが叫んだからだけではない――あなたがその周りを歩いたからだけではない――永遠なる神がそれと共に何かを行ってくださったからである。自分の心の中であなたは次のことを知っていた。世人の目には見えないその土煙は、主の全能の御腕を包む覆いにほかならなかったのである。それゆえ、いにしえのヨブのように、あなたはそれまでの全生涯にはなかったほど豊かな自分の霊的財産の前に座して言う、「世に打ち勝つ勝利、それは私たちの信仰です」と。

こうして、その時エリコの壁は崩れた。そして信仰により、今日、われわれと人の手が造ったのではない都との間にそびえ立つ諸々の大きな高台は、地面に崩れ落ちる。そして、われわれに対する障害は何もないことを証明するのである。