十四.結論

チャールズ・プライス

こうしてわれわれは本書の結論に達した。しかし決して、活動・獲得する信仰の輝かしい可能性の終わりに達したわけではない。どの本にも結論がなければならない――しかし信仰にはいかなる結論もありえない。信仰は時の中で始まるかもしれない――しかしその効力は、永遠という円天井の回廊中に迎えられるのである。

だから私は霊の中で、私が経験したピスガ山に登り、不思議そうな目でヨルダンの向こうの永遠・無限の領域を見つめる。私には彼ら――強固な信仰の持ち主たち、十字架の英雄たち――が行進しているのが見える。彼らは勝利のうちに行進しており、勝利者の歌を歌っている。

夜は過ぎ去った――永遠の日が昇った。彼らはもはや、占領すべき何らかのエリコの城壁の周りを歩いてはいない――ある都の城壁の内を勝利のうちに行進している。その都の建設者・作成者は神である。彼らはもはや、その城壁を崩すためにラッパを吹いてはいない――むしろ喜びという黄金のラッパを吹いている。なぜなら壁はすべて崩れて、征服すべき壁のある都は無いからである。勝利者の歌は彼らのものである。勝利の賛歌は彼らのものである。

信仰の英雄たちが、みなそこにいる。アブラハム・イサク・ヤコブ、ダニエル・エゼキエル・ヨエル――ヘブル人への手紙一一章の開かれたページから、その名が宝石のように煌いているすべての偉人たちがそこにいる。

信仰の中で生きて死んだ人たちが、みなそこにいる。ペテロ・ヤコブ・パウロ・シラス・テモテ、それに十字架の記憶が新鮮で救い主の御手の接触が忘れられていなかった時代に福音の知らせで世界に火をつけた人々がそこにいる。

宗教改革の偉人たちが、みなそこにいる。ルター・ティンダル・ラティマー、ノックス・カルビン・ホイットフィールドが、古代の族長たちと声を合わせて、モーセと小羊の歌を歌っている。

われわれの祖先たちの中の信仰の勝者たちがそこにいる。ウェスレー・スポルジョン・ブース、それにフィラデルフィアの教会で礼拝した数百万の人々――彼らの衣はこの世によって汚されなかった――がそこにいる。

信仰を失った世の騒音や喧騒から霊の耳を離すと、彼らの歌、賛美、叫び、詠唱が聞こえるような気がする。そこでは、ガラスの海の水が天上の賛美歌を囁いている。地上で始まったこの歌は、天でも決して終わらない。永遠は長い時である。その間、あらゆる世代の贖われた者たちは、天使たちを驚かせる「信仰は勝利でした……信仰は勝利でした……世に打ち勝つ勝利でした」という歌を歌うことができる。

この本は終わりを迎えなければならない。しかし、信仰に終わりはない!もしあなたが、彼処で決して終わることのない勝利の歌にあずかってそれを享受したいなら、この下界にいる間、決して次のことを忘れてはならない。「世に打ち勝つ勝利、それは私たちの信仰です」。