第七章 性的差別のない教会

セス・C・リース

理想的なペンテコステの教会には、性の上下の区別はない。聖霊が注ぎ出された時、女たちも男たちと同様に敬われた。「この人々はみな、女たちと共に、一つ心で祈りと願い求めの中に居続けた」。「わたしはすべての肉の上にわたしの霊を注ぐ。すると、あなたの息子たちや娘たちは預言する」。「その日には、わたしの僕たちやはしためたちの上にわたしの霊を注ぐ」。御霊によるこの聖なるバプテスマを施される時、男たちだけでなく女たちも預言する。総会や公会議による統治について、聖書は何も述べていない。

元々、女は男の助け手であっただけでなく、対等な者だったのである。「彼ら二人は一体となる」。罪により、女は呪われ、地位が低下した。そしてついには、暗黒の異教国では、女は男の奴隷になった。多くの異教国では、女は使役される獣である。女は奴隷とされ、卑しくされ、虐待されて、動物よりも低くされている。「異教の地では、私は女でいるよりはロバでいたい」とは、ムーディー氏もよく言ったものである。なぜなら、異教の国々では、男たちは自分の妻よりも自分のロバを何倍も重んじているからである。

しかし、神の恵みと福音の光が広がるにつれて、女の地位は向上する。そしてついには、ペンテコステの時、第二のエバである女は夫の傍らに立って、御霊のバプテスマという至福の祝福にあずかるのである。

人類全体としては、「男たちの間より女たちの間に、新約聖書的な真の敬虔さが多く見られる」と確信をもって言うことができる。ペンテコステの日から今に至るまで、聖霊のリバイバルが起きる時は常に、聖なる女たちが母親の役割を果たして、生まれ出た回心者たちを世話して力と活力のある者にしてきた。多くのエリザベス・フライ、メアリー・フレッチャー、シビル・ジョーンズが、その聖なる務めをもってこの世に祝福を与えてきた。この聖徒たちの愛の生涯が放つ香しい効力に、この世は決して打ち勝てない。

男たちの嫉妬、偏見、頑固さ、威張ることを好むケチな精神のせいで、教会は女性を公に認めてこなかった。聖霊をよく知っている教会なら、女性の公の務めに反対したりはしない。男ではなかなか敵わない明瞭さ、力、効力をもって、福音を宣べ伝えることができる多くの女性をわれわれは知っている。

姉妹たちよ、われらの主の栄光の福音を宣べ伝えるために、聖霊があなたたちを満たし、召し、油塗られますように。