第十二章 健全な回心者を有する教会

セス・C・リース

人々は「使徒たちの教えと交わりの中に堅く居続けた」と描写されている。健康な母親は健康な子供たちを産み、霊的に強い教会は強くて活発な回心者たちを有するようになる。何事も、良い始まりには無限の価値がある。特に宗教的経験の場合にそうである。霊的な生まれの良さ、というものがある。弱々しい教会は、かりに回心者を得たとしても、弱々しい回心者しか得られない。罪人たちに罪を認めさせて、おそらく、祈りの場所にもたらすだけの命や力はあるかもしれない。しかし、彼らを先に進ませて勝利の地点にもたらす信仰と祈りには欠けているのである。

教会の霊的活力を大いに増し加えて強めないリバイバルは皮相的である。いわゆるリバイバルの働きの多くは浅はかすぎて、その特別な奉仕が終わると、数千名にのぼった「回心者たち」は四ヶ月もすると居場所がわからなくなってしまう。彼らの姿を祈りの集会に見いだすことはできない。組会にもいない。日曜の説教集会にも出席しない。彼らの宗教上の存在を示す唯一の証拠は、教会名簿にある名前だけである。百日間の合同集会が、著名な伝道者の指導の下、われわれの大都市の一つで開かれた。数百の人が記帳し、宗教的な告白をしたが、二、三ヶ月で姿が見えなくなってしまった。実に、「この特別集会の後、私たちの教会は以前よりも悪くなってしまった」と牧師たち自身が告白しているのである。別の伝道者がある都市に行き、昔ながらの火のような福音を宣べ伝え始めた。彼の「壇上の振る舞い」は粗野で不愉快なものだった。きわめて無骨で荒削りな真理そのものが語り出され、その縁や角を丸めることはほとんどできないほどであった。牧師ですら不快に思ったのである。しかし、その伝道者は神を畏れつつ継続した。すると、主はご自分の真理を証しして、力と認罪を人々の上に送られ、ついには三百二十五名の人が救われたことを告白して、その教会に仮入会したのである。六ヶ月後、このうちの二百七十五名が正式に教会に受け入れられたのであった。

テサロニケにはたくましい回心者たちがいたことが記されている。パウロは彼らについてこう述べている、「私たちの福音があなたたちのところに来たのは、言葉によるだけでなく、力にもよりました。あなたたちは大きな苦しみの中で、聖霊による喜びをもって、御言葉を受け入れました」。彼らはたくましい回心者だったので、まだ完全には潔められていなかったにもかかわらず、「信じる者すべての模範」となり、彼らの「神に向かう信仰」は「広まった」のである。この活力の秘訣は何だったのか?パウロは、彼自身聖霊に満たされている人だったが、「聖書を開いて提示しつつ、彼らと論じ」ることにより、彼らの間で務めを開始した。彼には感動的な逸話の蓄えはなかった。また、胸が張り裂けるような死の床の光景を説いて、人々の心を掻き立てることもしなかった。罪を認めさせる力を持つ福音を宣べ伝えたのである。この宣べ伝えは大いに良心を掻き立てて、罪人の目の前に多くの罪を効果的に示した。そのため、人々は熱心に、赦しを求めて神を呼び求めたのである。この結果を生じさせたのは、パウロの「個人的魅力」や雄弁さではなかった。彼が宣べ伝えたのは「体の病」のためだった、と彼は述べている。彼は言う、「私があなたたちと共にいた時、私は弱く、大いに恐れおののいていました。私の話は、人の知恵による麗しい言葉によったのではなく、御霊と力の現れによるものでした。それは、あなたたちの信仰が人の知恵ではなく、神の力によって立つようになるためでした」。「パウロの先天的能力や後天的能力は強力である」という意見をパウロは否定する。彼は注意深く、「御霊と力の現れによって」宣べ伝えた、と述べている。まさにそのおかげで、彼の回心者たちは「神の力によって立った」のである。

かりにペンテコステの教会に「奉仕者集会」のようなものがあったとするなら、それに参加する人々はきっと、ただ状況を嘆き悲しんだり、論文を読んだり、祝祷を述べたりするためだけに集まったりはしなかっただろう。敬虔さの衰退を重大な問題に感じただろう。これは非常に重大な問題であって、軽々しく扱えるものではなかったのである。後退した兄弟を「強い」者たちが回復しなければならない。神によって定められた効果的な諸々の方法が用いられなければならない。初代教会の構成員が、後退に対する解決法や予防法として教会の働きを提案する光景を、われわれは思い浮かべることができない。「回心者を教会の中にとどめておくために、彼らを宣教の働きや、日曜学校のクラスや、聖歌隊のメンバーに加えなければならない」等という考えは思いもよらないことだった。おそらく、回心者たちは支えてもらう必要性を感じていなかっただろう。間違いなく、彼らは「よそには行けない」と思っていた。なぜなら、ペンテコステの日、「喜んで御言葉を受け入れた者はバプテスマされた」からである。今日のいわゆる「回心者」のあまりにも多くは、教会に加わるよう誘導されており、ほとんど強制されている。彼らが真の教会の働きにほとんど関心を寄せず、重力の法則と本来の帰属意識により、たちまち離れ去ってしまうのも無理はない。

霊的に良い誕生をすることは、回心者が自分が神から生まれたことに関して、自分自身の証しだけでなく、御霊による明確な申し分の無い証しを持つことを意味する。この恵みの予備的働きが心の中で済んだ後、「高き所から力を与えられる」まで「とどまる」よう教わって励まされるなら、その人は使徒たちの信仰、教理、交わりの中に堅く居続けるであろう。聖霊のバプテスマこそ、後退から守る唯一の安全策である。ある人は言った、「神がわれわれを義とされるのはわれわれを聖化するためであり、神がわれわれを聖化されるのはわれわれを義とし続けるためである」。潔められた生活を送っていない人で、義しい生活を送っている人はほとんどいない。いわゆるクリスチャンたちが「罪を犯しては悔い改める」のをわれわれはかなり耳にする。このように話す人々の間で多くの罪が犯されているのは間違いない。しかし、心からの悔い改めが大いになされているとは信じられない。罪の悔い改めは、「罪人のままでいよう」という隠れた意図を持たずに罪を放棄することを意味する。このような心構えを、神は赦しの前に要求されるのである。神は罪人の心や生活の中の罪に耐えられないのと同じように、クリスチャンの心や生活の中の罪にも耐えられない。かりにだれかに対して慈悲が与えられたとするなら、それは罪の赦しの何たるかを経験的に知らない人に対してであるにちがいない。しかし、罪が見いだされる所ではどこでも、神は罪を憎んでおられ、罪を犯したり保持したりすることを一瞬たりとも許されない。したがって、このように毎日罪を放棄して悔い改める人々の数はとても少ない、とわれわれは信じる。絶望して諦めるか、自分を罪から守る恵みを求めて獲得するかのいずれしかないのである。

「彼らは祈りの中に堅く居続けた」。ペンテコステの教会は、祈る人と祈らない人とに分かれていなかった。その構成員は全員祈る人々だった。彼らにとって祈りは確固たる習慣になっていたので、彼らは祈りの中に堅く居続けたのである。彼らは祈りの集会に出席するよう、ケーキや、コーヒーや、「短い気の利いたもてなし」で誘われたりはしなかった。ああ、彼らは祈りの長さに関してなんの規則も設けなかったのである。孤独な人である方が山上で真夜中に祈られた祈りが、常に彼らの模範だった。彼らは「奮起して神にすがった」のである。彼らは祈りの中に居続ける方法、「祈りの中で目を覚まして」いる方法を心得ていた。バクスターは自分の書斎の壁に祈りの呼吸でしみをつけた。初代教会の構成員の一人だったエパフラスは「常に力を尽くして祈った」。ペンテコステの教会の構成員はみなこれと同じように振る舞う。もしわれわれの父祖たちが今日の多数の教会員のように祈りの力を少ししか知らなかったなら、われわれの偉大な宗教団体の幾つかは決して存在していなかっただろう。もし彼らが、神を呼び求める前に、祈り以外のあらゆる手段に頼るという実行――今日ではこれがごく普通だが――に耽っていたなら、大きな宗派は決して生じていなかっただろう。

ある人が老女の聖徒に、「雄弁な説教で聴衆を喜ばせてくれた新しい奉仕者のことをどう思いますか?」と尋ねた。彼女は、「わかりません。その人が祈るのを聞いたことがありませんから」と答えた。ペンテコステの教会はすべてを神に持ち出した。神が彼らの間違いをすべて正し、彼らの性格を擁護し、彼らの財産を守らなければならない。「何事も思い煩ってはなりません。ただ、何事も祈りによって(中略)あなたたちの求めを神に知ってもらいなさい」が、彼らの耳に常に鳴り響く勧めだった。彼らは祈りの雰囲気の中に生き、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と祈りつつ死んだのである。

今日、道徳的な英雄や女傑からなる種族が大いに必要である――押し寄せる俗化の潮流や妥協の精神に抵抗できる男女、そして、賄賂で買収されて真理を捨て去らない男女が必要である。

もし聖霊が人々に罪を認めさせることを許されるなら、そして、人々が自分自身や、自分の感情や、伝道者の言葉や、牧者の意見に頼る代わりに、救いの証しのために神を見上げるよう教わるなら、神は人々に天から答えてくださり、人々はそれ以上の証拠をもはや望まなくなるだろう。そして、彼らは「堅く立って、動かされることなく、常に主の働きに励み」続けるであろう。アーメン。