このメッセージは勝利者誌 一九〇九年 第一巻 五月号 に掲載されたカニンガム・パイク教授の「エバン・ロバーツ印象記 一九〇九年四月」の中から、当時療養中だったエバン・ロバーツの言葉を抜粋したものです。
任務を休んだ後、任務を担うことにより生じた疲れを癒すために休養する必要があります。
罪や自己からだけでなく、あらゆるストレスからも離れて休養することを学びなさい。不安を拒みなさい。神の中に沈み込みなさい。神の中に隠れなさい。あせってはいけません。私たちは忍耐を学ばなければなりません。忍耐、忍耐です。自分自身を知りなさい。悪の攻撃、攻撃の由来、攻撃に打ち勝つ方法を理解しなさい。しばしば、魂は知識に欠けるがゆえに束縛されてしまいます。暗闇を一掃し、圧迫を払いのけるには、真理、特にローマ六・十一の真理が必要です。
私たちが前進する時、新たな罪が露わになっても困惑してはなりません。その罪は以前から存在していたのですが、私たちが光の中へと進むにつれて、ますます多くの罪が示されるようになるのです。薄明かりの中ではきれいに見えたものも、昼間は汚く見えるかもしれません。それは私たちを驚かせるかもしれませんが、神を驚かせることはありません。神は、それがそこにあったことを最初からご存じだったのです。私たちがそれに耐えられるようになる時、それは私たちに示されます。それが見つかったからといって、立ち止まってはなりません。それは贖われ、キリストの十字架に釘づけられています。光の中へと進み続けなさい。
魂は犯した罪の有罪宣告をすぐに受けるとはかぎりません。しばらくの間、それを自覚しないかもしれません。生活の中に罪が現存しても、それに気づかないかもしれないのです。私たちはそのような人たちのために祈らなければなりません。そうするなら、祈りによって彼らは罪を自覚するようになり、次に、その罪を放棄するかどうかを巡って戦いが始まることになります。
祈りは普遍的かもしれませんし、局地的かもしれません。世界的なリバイバルのための祈りを「目標の祈り」と称することができるでしょう。しかし、それだけでは十分ではありません。多くの祈りによって道を備えなければならないのです。私たちは普遍的な祈りを祈った後、現実に立ち返らなければなりません。そして、現状と私たちの目指す目標との間に立ちはだかるすべての項目について、包括的かつ詳細に取り扱わなければなりません。
私たちは現実を見るだけでなく、理想も見なければなりません。そして、私たちの祈りは一方から他方に至るまでのすべての領域を網羅しなければなりません。
祈りは積極的であるだけでなく消極的でもなければならず、建設的であるだけでなく破壊的でもなければなりません。
積極的な目標を達成するには、その前に障害を除かなければならないことがしばしばあります。ガラクタが壁の建設者の働きを妨げるかもしれません。サタンも神の働きに先立って邪魔をし、それにつきまとって妨害し、その後について来て偵察・破壊しようとします。ですから、私たちは神が各段階で働いてくださるよう祈るだけでなく、サタンとその策略に対抗して各段階で祈らなければなりません。
祈りは百倍の祝福をもたらします。
祈りにより、神は
私たちに先立って行かれ、 私たちと共に行かれ、 私たちの後について来られて、
私たちを襲撃から守ってくださいます。
集会中、もし状況が悪化したら、悪の勢力に対抗して祈り、彼らに抵抗し、彼らに対抗して祈り、神に彼らを打ち破ってくださるよう求めなさい。強風が霧を吹き払うように、神の力が下って大気を清めることがしばしばあります。
私たちは、個人的な目的のためであれ、局地的な目的のためであれ、世界的な目的のためであれ、自分たちの上に置かれた負担にしたがって祈るべきです。サタンは私たちを祈りから遠ざけようとします。祈る気になるのを待っていてはいけません。負担を受けることが目標を達成するのではなく、負担から解かれることが目標を達成します。もし祈るように、あるいは奉仕するように負担を受けるなら、勝利に至るまで急いで祈り抜きなさい。あるいは、その奉仕を効果的に急いで終わらせなさい。そうして、負担から解かれなさい。そうするなら、あなたは自由になり、次の負担、さらに次の負担を受けることができます。こうして、命と力の流れが流れ続けるのです。
エバン・ロバーツ(カニンガム・パイク記)