「導く者がいない」(イザヤ五一・十八)。助け手は大勢います!導く者は道を知っていなければなりません――知らなければ導けません。経験と知識があってはじめて、導くことができます。正しく導くには、「指導者」は御座のビジョンを見ていなければならず、十字架を知っていなければなりません。そして、「万物を遙かに超越して」天上から教会全体を見なければなりません。また、地に対して盲目になり、自己や国や宗派に対して公平でなければなりません。
ただ神だけが安全に導くことができます。神は道を知っておられます。「あなたとあなたの助け手たちに平安がありますように」――あなたの導き手たち、ではありません。他の者たちは助けることはできますが、手を引く者はだれもいません。神は導いて荒野を通り抜けさせ、海や砂漠を通り抜けさせてくださいます。神は信じて満足している民を約束の土地へと導かれます――他の者たちは荒野で死ななければなりません。従順な民、信実な民は約束の土地を所有しますが、不従順はその道を閉ざします。モーセはシナイ山の頂に登ることを許されましたが、カナンに入ることは許されませんでした。
聖霊は導いて荒野を通り抜けさせてくださるだけでなく、荒野の中へと導かれます(マタイ四・一~十一)。聖霊はまた、適切な時に導いてくださいます――ピリポと宦官がそうでした(使徒八・二〇)。聖霊は私たちを導いて故郷を離れさせます――アブラハムがそうでした(ヘブル十一・八)。聖霊は私たちを寂しい場所に導かれます――パトモスの聖ヨハネがそうであり、こうして彼は黙示録を受けました。聖霊は私たちを未知の土地に導かれます――モーセがそうであり、こうして私たちを導く者、解放者として整えられます。聖霊は私たちを故郷に導かれます――ガダラの人がそうであり、こうしてその人を伝道者とします。聖霊は私たちを困難な土地に導かれます――イスラエルを紅海に導いた時のようにであり、それは彼の威光を現すためです。聖霊は私たちをカルバリのような十字架に導かれ、そこで彼の義、彼の愛と彼の勝利を啓示されます。
エバン・ロバーツ