リバイバルと祈り

エバン・ロバーツが働き人たちに語った話のメモ

エバン・ロバーツ

「勝利者」誌 1910年 第2巻 1月号 初出

リバイバルは最終目標ではありません。それは一つの目標かもしれませんが、最終目標ではありません。「主よ、世界的なリバイバルを送って下さい!」は一つの「目標の祈り」です。最終目標に到達するには、いわば数千の祈りがこの嘆願に続かなければならないのです。暗闇と無知を祈りによって征服し、すべての障害物を祈りによって取り除かなければなりません。

祈りだけでなく、行動も必要です!人々が行うべきことを神は行って下さいません。神はヨブを攻撃するために御使いを送ることをされませんでした。悪魔はその働きを上手にすることができました。

リバイバルのために祈ることは重大な責任です。世界的なリバイバルが始まるやいなや、悪魔は直ちに彼の偽物を携えて駆け込んで来るでしょう!リバイバルが訪れても、暗闇の軍勢を祈りによって叩き返す方法をあなたが理解していないなら、あなたは前よりも困窮することになるでしょう。サタンの軍勢がはびこるようになるからです。

神がリバイバルで動かれる時、神はまず、祈りによる命と力の小さな中心を形成されます。次に、この中心から神は外側に向かって働かれます。神のための道を備えるために、いかにしてこの中心のグループを清めるかが問題です。

多くの種類の祈りがあります。いわゆる、「仕事」の祈りがあります。あなたが神に「注ぎ出す」時、それはおもに礼拝であるかもしれません。この流れは止むかもしれません。次にあなたは「仕事」の祈りに取りかかります。すなわち、何の「流れ」も「注ぎ出し」もありませんが、あなたは熟慮の上で神と取引をします。魂が成熟する時、「神のみもとに行く」という姿勢は妨げになるかもしれません。あなたは「祈るには離れた所に行かなければならない」と思うかもしれませんが、これすら一つの妨げになりえます。なぜなら、祈りの生活とは、すべてを祈りに変えて一日中祈りの言葉を注ぎ出すものでなければならないからです。

祈るべき事がわかっている時、祈るのはとても簡単です。しかし、一つの「負担」が来る時、あなたはそれが何のためかわからないかもしれません。この負担は数時間続くかもしれません。次に光が来て、負担は去ります。神のみもとに行く機会を待って、時間を浪費してはなりません。もしあなたがキリストに結合されているなら、あなたは神の中にいます(コロサイ3:3)。ですから、今いる所で祈りなさい。この類の祈りは、思いが浮かぶとき、その思いをすべて祈りに変えることを意味します。あなたが祈るために退く時、あなたは「注ぎ出す」力を失っているかもしれません。なぜなら、あなたは一日中すべてを祈りに変えるべきだったからです。

祈りは必ず行動に先立たなければなりません。さもないと、悪魔があなたの機先を制するでしょう。

思想――あるいは思考――は健全な知性の単純な働きに由来します。しかし、「提案」は悪霊からかもしれません。人が悪霊からの提案を神からであると信じて受け入れる時、一般的に言って、欺きの霊どもはその人の知性の中に立場を得ることになります。これが最初の接触となり、この地点から欺きの霊は神とその「導き」等を真似することにより、さらに働きを進めます。悪霊が立場を得る時、悪霊はそれを保持するために覆い隠します。そして、その人の注意を何か他の事柄、例えば生活上の何らかの抑圧や無力さの原因に向かわせます。

何らかの器官を別の力に委ねて使わせることは、悪魔に地位を与える受動性です。神の意図は、あなたがすべての器官、特にあなたの意志を用いることです。神はあなたの内に働いて願いを起こす所まで働かれます。しかし、神はあなたの代わりに「願う」ことはできないのです!神はあなたの内に働いてあなたが願う所まで働かれます。次に、あなたの「願う」行為を通して――神はあなたを力づけて「行わせて」下さるのです(ピリピ2:13)。

エバン・ロバーツ