根と木

エバン・ロバーツ

黙想

彼は主の前に若木のように育った」(イザヤ五三・二)

勝利者誌 一九一〇年 第二巻 三月号 掲載

見よ、永遠の実を結ぶ「若木」を。見よ、地獄と罪の嵐にむかって立ち、もちこたえる根を。見よ、あなたのために永遠に実を結ぶ「若木」を。見よ、永遠の地の木を!見よ、比類無き木を!この木は永遠の春に属し、春と夏が一緒になっています。毎月この木は実を結びます。四季が交互に訪れ、今日は夏、明日は冬、明後日は秋、明明後日は春。天の国の実――神聖な木。ああ、永遠にあなたを食して暮らしたい!

この木は実を結びます。しかし、ああ、ユダはどうか――ユダは主の「楽しみの木――主の喜びの木」でした(イザヤ五・七、改訂訳)。主はこれに「公平を望まれたのに、見よ、しいたげ、正義を望まれたのに、見よ、叫び」――しいたげられた者の叫びです。しかし、キリストは尊い、実を結ぶ木であり――しいたげではなく公平をもたらされます(イザヤ十一・四)。彼は公平な裁きを下されます。御父は「さばきのことをすべて御子におゆだねになり」ました(ヨハネ五・二二)。

イスラエル――主が選ばれたぶどう園――は乾いた土地になり、この乾いた土地から根が出ました。神聖な農夫は自分のぶどう園に失望されましたが、ここに乾いた土地を征服しさえする根があります。「悲しみの人で苦しみを知っていた」。「民の中にわたしにつく者はだれもいなかった」――乾いた土地です!「わたしは慰める者を探したが、みつからなかった」――乾いた土地です。「彼の兄弟たちは彼を信じなかった」――乾いた土地です!「この人は大工の息子ではないか?」――乾いた土地です!この国は堕落して乾いた土地になってしまいました!預言はやみ――ああ、イスラエルは乾いた土地になってしまいました。

「民の中にわたしにつく者はだれもいなかった」と主は言われました。ヨハネはどうでしょう?「ヘロデはヨハネの首をはねた」――乾いた土地です!十二使徒はどうでしょう?キリストは十二人を召される前、三十歳でした。「根」なるキリストは、そのだいぶ前に強い「木」になっていました。この十二人はこの「土地」に水をやるために来たのではなく、成長したこの「木」の保護を受けるために来たのです。ナタナエルはどうでしょう?彼はイスラエル人であり――今いちじくの木の下に立っていますが、これから後、成長したこの「木」によって守られます。ペテロはどうでしょう?「主はペテロを見た」――この木から露が落ちました。主を一人残して「十二人は逃げた」――依然として乾いた土地です!ああ!ゲッセマネの園の孤独の深さよ。十字架の孤独と、それに先立つ孤独な人生よ。

ラザロ、マルタ、マリヤ――この人たちはこの根に水を与え、この木によって守られた人たちです。ラザロは墓から呼び起こされました――これは木なる方の実です。「わたしはわたしの父の働きを行わなければなりません」――これもまた木なる方の実です。「彼を十字架につけよ」――これがユダの実です――かつては神の喜びの木だったのです。「彼は行き巡って良いことを行われました」――この方はキリスト、神聖な木です。「人々を改宗させて地獄の子にする」――これがユダの実であり、今や愛される木ではなく、「乾いた土地」です。

「そして人々は彼のもとにあらゆる病人を連れてきた。様々な病や苦しみにあっている人、悪魔に取り憑かれている人、心を病んでいる人、麻痺している人である。彼は彼らを癒された」。大群衆は成長して「木」になったこの木の保護を受けました。数千人の人が養われました――これは木なる方の実です。ああ、比類無き木よ!御父はこの木について「わたしの喜ぶわたしの愛する子」と言われました。「彼は主の前に若木のように、乾いた土地から出る根のように育った」。

エバン・ロバーツ