エバン・ロバーツ氏との会話のメモ

エバン・ロバーツ

勝利者誌 一九一一年 第三巻 一月号 掲載

敵に対する戦いには五つの重大な要素があります。(1)敵に気づくこと(二コリント二・十一、ルカ四・一~十三)、(2)敵を認識すること(マタイ十六・二三、一テサロニケ二・十八)、(3)敵を評価すること(ルカ十四・三一、エペソ六・十二)、(4)敵に対する武器(二コリント十・四、ルカ十・十九)、(5)敵を滅ぼすこと(ヘブル二・十四、一ヨハネ三・八)です。人は「気づく」かもしれませんが、依然として認識に失敗するかもしれません。例えば、ボーア戦争で一人の英国人兵士が草原に行き、遠くに何かを見たとします。彼はしばし考えます!「あれはボーア人だろうか?」。彼は眺め――「ちがう」と言って自分の道を進みます。すると、岩陰から弾が飛んできて彼を殺します。彼は敵の存在に気づきましたが、「認識」することに失敗したせいで命を失ったのです。

暗闇の勢力に関する真理の価値を真に把握する瞬間、あなたは外からのいかなる勧めも必要としなくなります。あなたはこの真理の価値を知らなければなりません。さもないと、敵があなたの視界を曇らせるでしょう。あなたはおぼろげに「敵に気づいている」だけかもしれません。敵に何ができるのか、あなたは知らなければなりません。経験を通してのみ、あなたは学ぶことができます。あなたは「悪魔は邪悪である」と言って、あたりをうろつきます――まるで悪魔には何の目的もないかのようです――何の目的も達成されません。人々は悪魔のことを道をぶらついて方々で悪戯をする何の目的もない不良少年のように考えています。悪魔は常に目的を達成するために働いています。いかに暗闇の力が一点を目指して戦うのか、私は経験から学びました――彼らは決して目的がないわけではないのです。

二つのものをとても注意深く見張らなければなりません――知性と霊です。特に、知性が受け入れる思いです。取り除くべき思いもありますし、そこに残すべき思いもあります。疑わしい思いは調べた上でどうするか決めなければなりません。燃える矢が知性の中に思いとして打ち込まれるかもしれません。それゆえ、あなたは知性を保護しなければなりません。なぜなら、思いや印象があなたの知らないうちにやって来て、あなたはそれらを無意識のうちに受け入れてしまうかもしれないからです。人々は自分の知性の中にある思いを調べようとしません。それは内省ではないかと恐れるからです。それはそのとおりなのですが、正しい内省と悪い内省があるのです。悪魔は半面の真理を与え、魂に自分の結論を引き出させます。

思いだけでなく霊も見張らなければなりません。人々は悪魔と戦いません。悪魔を知らないからです。聖書は言います、「立ちなさい」、「立ち向かいなさい」、「抵抗しなさい」、「格闘しなさい」と。罪とサタンの違いは何か、と私はかつて聞かれたことがあります。私たちが戦うべき二つの悪の源があります。人類の中にある悪と、人類に影響を及ぼす堕落した天使たちの中にある悪です。内側の悪と外側の悪です。「信仰の中で堅くこの者に抵抗しなさい」。「抵抗する相手は自分自身であって悪魔ではない」と考えるなら、どうしてあなたは抵抗できるでしょう?疑念を抱いているものや存在しないと思っているものに、どうしてあなたは立ち向かえるでしょう?あなたは知らなければなりません。悪魔が存在する事実を理解させること、そして、悪魔のわざを信者に悟らせることが重要です。

「敵についてあまり話しすぎてはいけない」と言って、この真理に反対する人々がいます。そのような人たちには次の質問をした方がよいでしょう。「悪魔とその働きについて、あなたはどのような印象をお持ちですか?」。「(1)あなたは悪魔に関してすべてをご存じでしょうか?」。あなたは「いいえ」と答えるかもしれません。「(2)すべてを知る必要はあるでしょうか?」。おそらく、あなたは「知れば知るほどよい」と言うでしょう。「(3)あなたは悪魔について何かご存じですか?」。あなたは「はい」と答えます。「(4)何か知る必要はありますか?」。再びあなたは「はい」と認めます。「(5)それなら、何かを知ることとすべてを知ることとの間のどこで人は知ることをやめなければならないのでしょう」。しかし、あなたは「人は知識を加えることをやめてはならない」(二ペテロ一・五)と言います。それでは、なぜあなたは反対するのでしょう?

クリスチャンたちが人々を悪魔の力から解放して悪魔の持ち物に触れる時、敵は自分の諸々の働きを使って彼らに汚名を着せようとします。それらの働きを神の僕たちのせいにしようとするのです。過去のリバイバルでは、しばしば人々は保護施設に追いやられました。人々を保護施設から連れ出すリバイバルが来なければなりません!「強い人を縛ること」から生じるリバイバルは、飲酒代を引き下げ、国家の財政支出を緩和し、人々を公的介護施設や保護施設から解放するでしょう。これが真理のなしうることであり、悪魔はこれをよく知っているのです。

あなたは間違っていることについて「それは罪である」と言うかもしれませんが、敵がその背後にいるかもしれないことを認識する必要があります。罪は「持ち物」であるとも言えるでしょう。その「持ち物」の「所有者」について考慮しなければならないのです。その「持ち物」はまた、あなたがサタンの手から得たいと欲している何かかもしれません。

人々のためだけでなく物事のためにも祈らなければなりません。本は人ではなく「物」です。その本は間違っているかもしれませんし、その著者は死んでいるかもしれません。しかし、その本を葬る必要性を見るなら、その本に反対して祈ります。たとえ祈りによってその本を葬ることはできなくても、少なくともその悪い影響を無効にすることはできます。

あなたの戦いの目的は敵を滅ぼすことです。戦いに妥協があってはなりません(ヨシュア九・三~二二)。これが目的です。「それは、死を通して彼が死の力を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼすためです」。悪魔の目的は滅ぼすことです(創世記三・一~七)。彼はあなたを滅ぼそうとしています。あなたは祈りと神の御言葉という武器を用いて、彼を滅ぼすことを求めなければなりません(エペソ六・十~十八)。

祈りと行動のために肝心な点は、いかに人々に悪の力の存在を気づかせるかです。なぜなら、気づくなら、人々は彼らに対して守りを固めるようになるからです。「目を覚まして祈りなさい」(マタイ二六・四一)。悪魔は悪魔であることを、人々は気づくようにならなければなりません。

私たちはまた、敵が他の人々を攻撃できる以上、私たちも攻撃できることを理解しなければなりません。私たちは自分に対する敵の働きを認識できなくてはなりません。あなたはまた別の危険に遭遇し、「敵は他の人々以上に自分を攻撃している!」と思うかもしれません。また、次のような間違った考えが広まっています。すなわち、「悪魔が行うことは悪魔的に見えるはずであり、神がなさることはすべて神々しく見えるはずである」という考えです(これは神聖なものに関する人々の観念によるものです)。しかし、これはそうではありません(二コリント十一・十四~十五)。暗闇の勢力からの絶対的保護を保証している聖書の箇所はあるでしょうか?「冷静に目を覚ましていなさい。あなたたちの敵である悪魔が、吠え猛るライオンのように食い尽くす獲物を求めてうろついているからです。信仰の中で悪魔に抵抗しなさい。世にいるあなたの兄弟たちも同じ苦難にあっていることを知りなさい」(一ペテロ五・八~九)。

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