このメッセージは、英国のレスターで開催された大会中に持たれた働き人たちのための集会でエバン・ロバーツが語った言葉を、J.C.ウィリアムズが書き留めたものです。
質問に答えて、エバン・ロバーツ氏は次のように述べました。
使徒パウロの内にあった神の命は、彼によって回心した人たちよりも成長していました。彼は他の人よりも多く「死に」、多く「苦しみ」ました。そして、苦しむことは神を知る上で重要な要素です。私たちは苦しみからしりごみしてしまいますが、こうして成長することから退いてしまうのです。いくつもの嵐が来なければなりません。もし神を知りたいなら、私たちは苦しまなければなりません。もし私たちがさらに苦しむなら、私たちの諸々の理屈は地に落ちて、私たちはさらに多く知るようになるでしょう。「彼はあなたたちを聖霊と他の何かでバプテスマされます」。私たちはこの他の何かからしりごみしてしまうのです。私たちには苦しむための力が必要です――兄弟たちのために命を捨てる力が必要です。私たちは力を求めて叫びますが、神は「あなたは喜んで苦しみますか?」と言われます。教会の偉人たちはみな苦しみました。もしあなたが苦しみを通ったことがないなら、あなたは理屈でいっぱいであり、それが分裂を生じさせるでしょう。それらの理屈は火を通らなければなりません。私たちにはもっと苦しみが必要であり、私たちの知識はすべて火の中に入れられて試されなければなりません。
これらすべての人たちについて言うと、大事なのは彼らが実際何を必要としているのか見いだすことです。さもないと、たとえ祈っても、決して手応えを得られず、「突破」できないでしょう。なぜなら、あなたは間違った道にいるからです。祈りに答えがない場合、その理由を探し出しなさい。まさにそこから祈りの働きが始まります。自分の霊の上にあることを祈るのはとても容易です。しかし、答えられない祈りの原因を追跡調査することは全く別の話です。
この集会は確かな手応えと共に始まりました。集会の始まりの祈りに注目されたでしょうか――あんなにも力強い、力強い手応えが祈りの中にあったのです。その後、制限されて息苦しい雰囲気になり、重苦しくなってしまいました。なぜでしょう?霊の中で神と協力するすべを私たちが理解していなかったからです。思いによる導きと霊による導きの違いを私たちはわきまえる必要があります。私たちの中には無知のせいで、あるいは無意識の内に抵抗して、神と協力しなかった人たちがいます。もし私たちが前進していたなら、私たちは祈りの中でさらに勝利を得ていたでしょう。
あなたのすべての問題を祈りの中で神のみもとに持って行きなさい。しかし、これが問題です――私たちは自分は知っていると思っていますが、実は知らないのです。あなたが必要としているものは何でも、それを神のみもとに持って行き、その必要を満たしてくださるよう神に求めなさい。