エバン・ロバーツとの談話

悪霊どもに対してキリストの権威を用いることに関する光

エバン・ロバーツ

勝利者誌 一九一二年 第四巻 一月号 掲載

エバン・ロバーツ そうです。無知のせいで悪鬼に取り憑かれてしまった人でも、キリストの権威を取り、それを暗闇の勢力に対して行使し、自分に服させることができます。

質問 しかし、その人はまず自分が欺かれていることを知る必要があるのではないでしょうか?

エバン・ロバーツ いいえ、その必要はありません。権威が及ぶのは自分が意識している範囲に限られます。しかし、自分が欺かれていることをその人が知っていると仮定しましょう。その人は権威を取って命じることができます。悪霊どもが出て行かない場合、それはその取り憑かれている人の中に悪霊どものための立場があるせいです。その人は他の人々の中にいる悪霊どもに対して命じることができます。なぜなら、これは彼の意識野にあるからです。その人が権威を行使する妨げは何もありません。

質問 それでは、人は自分自身を解放することはできないのですか?

エバン・ロバーツ できます。しかし、そもそも、その人は自分が解放を必要とすることを知っているのですか?

質問 自分が悪鬼に取り憑かれていることを知っている人がいたとします。その人は自分の内にいる悪霊どもに対して権威を行使することはできますか?

エバン・ロバーツ できます。自分の内にいる悪鬼どもに対して権威を行使することができます。悪鬼どもがどこにいても関係ありません。

質問 他の人々がその人のためにこの権威を行使する方が効果があるのではないですか?

エバン・ロバーツ その人が自分自身の霊に対して真実であるかぎり、そんなことはありません。このように悪鬼に取り憑かれた人が高度に霊的な人だったとしましょう。その人は悪霊どもに去るよう命じますが、「私は他の人々の中にいる悪霊どもに対して持つのと同じ感触を自分自身の内には感じない」と言います。その理由は、悪霊どもが出て行くのは命令によるのではなく、知識によるからです。キリストが地上に来られた時、聖霊の偽物は何もありませんでした。偽物は聖霊の来臨と共に始まったのです。

質問 これは思いもよらないことでしたが、真実です。

エバン・ロバーツ 聖霊を受けることの効力の一つは、御霊によってバプテスマされた人々は自分がパースン――聖霊――と接触するようになったことを意識するようになることです。次に、悪魔はこのパースンを真似することによって彼らを攻撃します。悪魔は神の臨在を真似することにより、また、奇跡的な導きの偽物により、彼らを真理から逸らします。すると、彼らは内側の霊の導きを消してしまい、外側の超自然的な物事に従うようになります。こうして、彼らは自分自身にも神にも従わなくなってしまうのです。

質問 今週、大きな超自然的顕現に関する記録が私のところに送られてきました。私はその記録を読み通して、それらの顕現がすべて外面的であることに気がつきました――悪霊どもがやって来た証拠は、すべてが外面的であることです。

エバン・ロバーツ そうです。悪霊どもは人をその人の外側のものに引き寄せます。人の霊や知性から体に、内側から外側に引き寄せるのです。神に焦点づけられる代わりに、悪霊どもはその人を外周に、肉体「感覚」に引き寄せます。

質問 私はまさにそのような一人の働き人を知っています。これらの疑わしい顕現は彼女の霊に反するものです。しかし、彼女はそれらが純粋なものであるかのように見える証拠を次から次へと持ち出してきます。

エバン・ロバーツ そうかもしれません。しかし、偽物はとても巧妙なのです。魂を解放するのは難しい働きです。なぜなら、これらの偽物はとても現実的に見えるからです。人々はこれらの偽物の中に引き込まれてしまいます。人々がそれらを願っているからです。人々はそれらを欲しているのです。

質問 これはサタンの邪悪な霊どもに対して権威を行使することに関する重大な真理です。

エバン・ロバーツ 「私の心の中に不法があるなら」権威を行使することはできません。ある人が自分の過ちを知っていてそれを覆い隠すなら、神はそのような人たちの権威を承認されません。しかし、「憑依」が無知によるものであり、その人の意志や願いに反するものである場合、神はその人がキリストの権威を用いるのを尊んでくださいます。

質問 しかし、彼らが自分たちに関する真実を悟り、それでもそれに従わない場合、彼らには何か権威があるのでしょうか?

エバン・ロバーツ 悪鬼にかなり深く取り憑かれている一人の人について考えましょう。その人は罪を知りつつ放置していたせいで取り憑かれたのではないとします。そのような人たちはキリストの権威を用いて、それから結果を得ることができます。しかし、人が罪を知りつつその中に生活している場合、そのような人が権威を用いようとしても、その結果は「スケワの息子たち」と同じような結果になるでしょう。

質問 私は一人の働き人を知っています。彼女には他の人々の解放のために祈る力があるのですが、彼女自身解放される大きな必要があります。

エバン・ロバーツ それはただ、「権威」は真理の代わりではない、という理由によります。真理が必要な場合、血を要求しても真理の代わりにはなりません。

質問 これは重要です。権威は命じるためであり、真理は解放のためであり、血は清めるためです。

エバン・ロバーツ ある人が悪鬼に取り憑かれているとしましょう。一人の働き人が「これは悪鬼のようだ」と言い、言って「命じ」ますが、何の結果も得られません。その人が必要としているのは「追い出すこと」だけでなく、その根拠を示す真理なのです。キリストに命じられて出かけて行った七十人は、権威を帯びて遣わされる前に、訓練を受けてどのように診断するか知っていました。彼らは悪霊どものしるしを見抜くことを私たちの救い主から教わっていたにちがいありません。

あなたが権威について話す時、それは第一にキリストの権威を用いることを意味します。信者たちは、罪を故意に犯していないなら、この権威をいつでも用いることができます。しかし、悪霊どもに対する権威を持つことと、あらゆることで悪霊どもを従わせることとは、全く別の事柄なのです。

質問 他方には限られた権威しかありません。

エバン・ロバーツ 限られているのは無知のせいです。

質問 霊的生活のどの段階でも、たとえば救われたばかりでも、人は暗闇の勢力に対するキリストの権威を取る権利がある、と私たちは認めてもよろしいでしょうか?ある人があなたに、「私にその権威があると、どうすればわかるのでしょう?」と尋ねたらどうしますか。

エバン・ロバーツ 信仰によって権威を取り、それを用いなさい。それに疑念を抱いてはなりません。これは純粋に「信仰の」取引です。まず第一に、権威を求め、それを取り、それを信じなさい。働き人たちの間に不信仰を引き起こしかねないものは、彼らが結果を得ないことです。次に、彼らに欠けているのは権威ではなく真理です。悪鬼憑きの事例が生じ、その人はそれを対処する方法を一つしか知らないとします。すなわち、「命じる」ことしか知らないとします。しかし、その人はその効き目を見ることができません。次にどうするでしょう?その人は悪霊が出て行かないのはそこに悪霊のための立場があるからであることを知らなければなりません。

質問 その人に関するかぎり――その人がその立場を知り、それを拒否する瞬間、その立場はなくなるのですか?

エバン・ロバーツ その瞬間、この「権威」が作用するとはかぎりません。しかし、この権威には潜在的価値があり、いつ作用し始めてもおかしくありません。

質問 これらの真理を用い始めてから数ヶ月後に、それらが効力を現すのを私は見ました。

エバン・ロバーツ 数ヶ月前に実行した真理が、後になって効力を現すことがしばしばあります。人が悪鬼に取り憑かれていて、あなたは何度も命じるのですが、結果を得られません。それなら、キリストのすべての権威を働かせましょう。あなたが「命じる」その時、状況は困難で希望がないように見えます。しかし、次のことを理解しなさい、 すなわち、「私はお前に命じる。この人から出て行って、二度と入ってはならない」とあなたが悪霊に言う時、その言葉は有効になるのです。悪霊が去らなくても、あなたはこの言葉を撤回してはなりません。たとえ心の中であったとしても撤回してはなりません。あなたは「この言葉は将来効力を現す」と見なさなければなりません。この言葉は完全に作用しています。それは取り消されないかぎり有効です。あなたが一度この言葉を発し、それを取り消さない以上、この言葉は有効です。あなたは命令の中に力があるかぎり、その命令を何度も繰り返すことができます。しかし、その命令がたんなる「繰り返し」になったら直ちに、その命令をそのままにしなさい。

キリストが霊どもに人々から出て行くよう命じられた時、霊どもは静かには出て行きませんでした。いかなる勝利であれ、それが完全で絶対的なものになることを、彼らは欲しませんでした。その勝利がどれほど大きいか、どれほど小さいかは問題ではありません。彼らは勝利の中から幾ばくかのものを欲します――勝利の一パーセントを欲します。あなたが九十九パーセント得る時、彼らは一パーセント欲します。勝利にケチをつけるものなら何でも欲しがるのです。

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