みな新らし

笹尾鉄三郎

「かつて肉によりてキリストを知りしが、今より後はかくのごとく知ることをせじ。人もしキリストにあらば新たに造られたる者なり。古きはすでに過ぎ去り、見よ、新しくなりたり」(コリント後五・16、17)。

昔アテネの人々は、ただ新らしいことを告げ、あるいは聞くことにのみその日を送っていたが(使徒十七・21)、これは肉欲より出た初物食いである。我らはこのような意味においてではなく、霊において真にみな新しき恵みを味わうことができる。ただしその秘訣は、

霊によってキリストを知り

キリストにあることである。多くの信者は肉によってキリストを知るのみであるから、真にみな新しくなることができずに、やはり多くの古い残り物を持っている。肉によってキリストを知るとは、物質的に神の恵みを味わい知ることと、ただ頭において理想的にキリストを描き、また感情によって恵みを経験することを指すのである。これは一種の偶像信者である。生けるキリストは人間の想像や感情で造り出すものではなく、我らが全くへりくだり、打ち倒れ、静まって神を待ち望む時、聖霊によってわが霊に黙示される御方である(ガラテヤ一・16)。このようにキリストを知り、キリストにある者は、一切がみな新しくなるのである。

(一)新生(ヨハネ三・3、ヨハネ第一書五・1)。感謝すべき奇跡である。かくてこの内なる人は日々新たになる(コリント後四・16)。そしてこの新生においてはいっそう新たになる。

(二)新しい生ける道(へブル十・19)。目をあげて見ると、神と我らとの間にあった隔ての幕は、イエスの御体の裂かれたことによって取り除かれ、彼の血によって我らのために新しい生ける道が開かれた。全て献身をもって服従し、信仰をもってイエスにすがる者は、至聖所に入り、神と共に住まうことができる。

(三)聖霊によって新たにされる(テトス三・5)。これは新生の恵みと異なる第三の恵みである。信者でもなお古い性質を持つため、同じく古い罪を繰り返している者の多いゆえ、神は我らに聖霊すなわち火のバプテスマを与えたもうのである。これによって我らは根本的に全く新しい人となる。新年になっても元日早々古い人がのそのそ這い出し、古い忌まわしい思いや言葉や行為を繰り返すようでは黙目である。至聖所は開かれ、新しい道があっても、古い人は入ることができない。仮に入った所で、聖と愛の神と一致和合して住むことはできない。兄弟姉妹よ、あなたは真に聖霊によって新たにされたか。人間の新決心も新方針も無益であるが、聖霊がわが内に入り来たもう時、驚くべき変化が来るのである。

(四)新しい生命に歩む(ローマ六・4)。我らはキリストと共に死に、また彼と共に甦らされた者である。すなわち罪と世に対しては死んだ者、神に対してのみ生ける者である。だから前の生涯の続きのようなものは少しもないはずである。前にはただ自分と自分の愛する者のために生きたが、今は神のためまた人のため生きる者である。これは実に新しい、美しく、楽しい生涯である。

(五)新しい戒め(ヨハネ十三・34)。旧約の律法は実に我を責めるがごとく、束縛するがごとくであった。律法の下に我は常に我が罪を嘆き、神の怒りを恐れていた。そして少しもその律法を実行する力がなく、ますます神と生命と光とから遠ざかるのみであった。しかし十字架の主がその言うべからざる愛を示し、「われ汝らを愛するごとく汝ら互いに相愛すべし」との戒めを与えられた時、私は覚えず感奮興起し、喜んで主の御命令に従い、主の愛したもう子供のためにはどんな犠牲をもする心となった。ヨハネは「主の戒めは難しからず」と申している(ヨハネ第一書五・3)。パウロは自分の生涯の秘訣を示して、「キリストの愛われを励ませり」と言った(コリント後五・14)。これは我らの新動機である。

(六)新しい奉仕(ローマ七・6)。心に進まないことでも叱責を恐れて義務的に働くことは実に苦しいことである。主はそのような働きを我らに求めたまわない。我らは儀文の古さによらず、霊の新しさによって仕えるのである。父なる神および御子イエスと同心となって(ヨハネ第一書五・3)御用を勤めるのは、奴隷でなく自主である。ここに全き自由と喜びがある。

(七)新たなる力(イザヤ四十・31)。「エホバを待ち望む者は新たなる力を得ん。また鷲のごとく翼を張りて上らん。走れども疲れず、歩めどもうまざるべし」。この甦りの聖力によって、来たらんとする馳場を走ろう。

(八)いよいよ新たになる(コロサイ三・10)。ただ一度新たになるのみでなく、我らは信仰によって主を見上げる時、栄えに栄えいや増して遂に主と同じ形に変わるのである(コリント後三・18)。

(九)新天新地(ペテロ後三・13)。今の天地の廃れる時が来る。しかし我らは新しい地を望み待っている。これを望む我らは汚れなく傷なきよう備えるべきである。

(十)新しい歌(詩四十・3)。エホバは新しい歌をわが口に入れたもうた。天に行っても我らはこれを歌う。これはモーゼの歌、小羊の歌である(黙示十五・3)。