主を迎える準備

笹尾鉄三郎

「もし行きて汝らのために所を備えば、またきたりて汝らを我がもとに迎えん。我が居るところに汝らも居らんためなり」(ヨハネ十四・三)。

「ガリラヤの人々よ、何ゆえ天を仰ぎて立つか。汝らを離れて天に挙げられたまいしこのイエスは、汝らが天に昇り行くを見たるそのごとくまた来たりたまわん」(使徒一・十一)。

「キリストもまた多くの人の罪を負わんがために一たび献げられ、また罪を負うことなく、おのれを待ち望む者に再び現われて救いを得させたもうべし」(へプル九・二八)。

我らの主イエスは再び来たりたもう。主御自身と天使と使徒との証しをここにあげた。先に主は自らを低くして僕の形をとって一度地上に下りたもうたが、今度再臨したもう時には、権威と栄光とをもって臨みたもうのである。主の再臨が教会に対し、信者に対し、未信者に対し、どのような関係にあるか等について種々の方面から学ぶべきであるが、今一度この短い説教で述べることはできない。だが、ここできわめて大切な一つの面について諸君に申し上げたい。すなわち、再臨に対する我らの準備である。主の再臨に対する我らの準備として、聖書で五つのことが教えられている。

第一は、新たに生まれることである。我らはすべて己が犯した罪を悔い改め、この世と肉と悪魔とに全く背を向け、我らのために死んで甦りたもうた主を信ずる時、罪赦されて新しい人とされる。これが再臨の主に対する第一歩である。さて罪を悔い改めることについて、多くの人は神の前で懺悔しさえするなら人の前はどうでもいいように思うのである。しかし、神は悔い改めにふさわしい実を求めたもう。我らは神の前ですべての罪を悔い改めるのと同時に、人の前でもまた成すべきことを成さねばならない。以前盗んだものは返し、借りた分は返却し、争っているなら和睦をし、詫びねばならない所はことごとく詫びることが大切である。このことが明白にならないうちはその人の悔い改めが実を結んだとは言えないから、決して明確な新生の恵みを握ることはできない。どうか各自省みて、自分は確かに新生しているか否かを調べられよ。「人あらたに生まれずば、神の国を見ることあたわず」(ヨハネ三・三)。

第二は、潔められるべきこと。ただ犯した罪が赦されるのみならず、我らの内の肉の性質が血潮により全く潔められて聖霊に満たされることは第二の準備である。「もし潔からずぱ、主を見ることあたわず」(へプル十二・十四)。

第三は、常に主にとどまること。我らは毎日の生涯において、時々刻々主にあって歩み、すべてのことで主の御旨に絶対の服従をして進むべきである。「されば若子よ、主に居れ。これ主の現れたもう時に臆することなく、その来たりたもう時に恥づることなからんためなり」(ヨハネ第一書二・二八)。

第四は、主の来たりたもうを待ち望むこと。多くの人は主の再臨を知っていても、その現れたもうことに対しては誠に冷淡である。聖書に何とあるか。「彼はおのれを望む者に再び現われて救いを施すべし」とある。あなたは主の再臨を真に待ち焦がれているか。主があなたに「幸いなる望み」(テトス二・十三)となっているか。「今よりのち義の冠わがために備われり……すべてその現れを慕う者にも賜うべし」(テモテ後四・八)。おお、この冠はあなたのものか。果たして主の現れを愛慕しているであろうか。「主はいつかは来たりたもうでしょう」くらいに思っていはしないか。「いつ帰って来るかわからないから、家のことはよろしく頼むぞ」と言い残して旅立った夫の留守に、妻なる人が「なーに、いつ帰るかわかりもしないのに」などと言って、冷淡にも夫の帰りを待ち詫びもせず、かえって種々の交際を始め、世俗の楽を事としているとしたら、あなたはこの女をどう思われるか。また夫が帰った時、この不貞な妻をどうすると思うか。主イエスはこの世を去りたもう時、「このゆえに汝らも備えおれ。人の子は思わぬ時に来たればなり」(マタイ二四・四四)と言い残したもうた。おお、あなたはこの主が早く天に所を備えたもうて速やかに来たらんことを楽しみ待っているか。あるいはあなたの心に「実はもう少し主が遅れて下さらねば都合が悪い」と思う所がないであろうか。友よ、君の備えはどうか。

第五は、我らの信仰が試みられ、鍛練されるべきことである。「汝らの信仰の試しは、朽つる金の火に試さるるよりも貴くして、イエス・キリストの現われたもうとき誉れと光栄と尊貴とを得べきなり」(ペテロ前一・七)とある。信仰を試みられるとは、試みに陥ることではない。種々の試みに会い、これに打ち勝って進むことである。神はこのように我らを鍛練し、どうにかして信任できる者にしようと願っておられる。主イエスはこのようにして信仰を鍛練された完全な花嫁、聖くてしみも傷もない花嫁を娶ろうと欲したもう。「わが兄弟よ、汝ら様々の試みに会うとき、ひたすらこれを喜びとせよ」(ヤコプ一・二)。

愛する兄弟姉妹よ、以上の五つのことを一つ一つ身に当てはめ、聖霊の光の下で正直に自らを調べられよ。かくて主が今来たりたもうとも、その御前に喜んで舞い出ることのできるよう準備されよ。アーメン。