聖職の使命

笹尾鉄三郎

「なんじ年若きをもて人に軽んぜらるな。かえって言にも、行状にも、愛にも、信仰にも、潔めにも、信者の模範となれ。わが到るまで、読むこと、勧むること、教うる事に心を用いよ。なんじ長老たちの按手を受け、預言によりて賜りたる賜物をなおざりにすな。なんじ心を傾けてこれらのことをもっぱら務めよ。汝の進歩明らかならんためなり。なんじ己とおのれの教えとを慎みてこれらのことに怠るな。かくなして己と聞く者とを救うべし」(テモテ前四・十二~十六)。

按手式は実に厳粛なことである。私は今朝もこの厳粛な式のことを思って、聖前に戦慄している。今日この式にあずからんとする兄弟たちよ。あなたがたはこの後いっそうその責任が重くなることを覚悟されよ。

さて、ここに四つの点がある。

一、十二節

品性と生涯において人の模範となるべきことである。テモテ前書六章十一節で、パウロはテモテを「神の人よ」と呼んだ。モーセもエリヤもかく呼ばれた。あなたがたも神を代表すべき者であって、神の人と呼ばれるべき者である。世の人は神を知らず、これによってあなたがたを見る。されば言葉と行いと愛と信仰と聖潔とにおいて信者の模範となるべきである。

二、十四節

按手式は空しい様式ではない。これによって神の賜物を受けるのである。テモテ後書一章六節に「このゆえに、わが按手によりて汝の内に得たる神の賜物をますますさかんにせんことを勧む」とある。あなた方はこれによって聖霊を受け、一生の間その賜物をおろそかにせず、これを崇めておのが使命を果たさねばならぬ。

三、十三、十五節

専心一意に朗読と勤勉と教訓に努めよ。格別に聖書を読むことを務められよ。この朗読とは原語にては黙想する意味もある。聖書を注意深く読み、静かにそれについて黙想するとき、静かな細き御声を聞くことができる。かくして伝道者の資格が備わり、出ていって専心伝道することができる。

四、十六節

常に慎み深くあれ。これはまた人にも関係する。使命を果たすために恐れおののきてこれを尽くせ。「われ神の前また生ける者と死にたる者とを裁かんとしたもうキリスト・イエスの前にて、その現れと御国とを思いて厳かに汝に命ず。なんじ御言を宣べ伝えよ。機を得るも機を得ざるも常に励め。寛容と教えとを尽くして責め、戒め、勧めよ。されど汝は何事にも慎み、苦しみを忍び、伝道者の業をなし、汝の務めを全うせよ」(テモテ後四・一、二、五)。

常にキリストを己が前に置き、時を得るも得ざるも励みて道を宣べ伝えよ。伝道の働きには必ず苦しみが伴う。人々には誤解され、心において体において種々なる苦痛をなめねばならない。世にありては最も貧乏くじである。されどあなた方の前途には義の冠が備えられてある。これを望んで今しばしこの世の苦痛、艱難に耐え、熱心にその職分を尽くされよ。「ただ聖霊いずれの町にても我に証しして、縄目と艱難と我を待てりと告げたもう。されど我わが走るべき道のりと、主イエスより受けし務め、すなわち神の恵みの福音を証しする事とを果たさんためには、もとより命を重んぜざるなり」(使徒二〇・二三、二四)。

終わりに一つの話をしたい。スエーデンの皇帝の弟君に熱心な信者があって、各国の有名な説教者がその国に赴くごとに引見された。ある日殿下がある教会において説教された。その前に司会者が殿下を紹介して、「今日は何たる光栄であろう。一国の皇弟たるお方が身を低くして我が教会に来たり云々」と言おうとすると、かたわらにあった殿下が言われた。「いや、私は決して身を低くしてここに来たのではない。神を代表する職責をもって来たのである」と。おお、神を代表するとは何たる特権であろうか。主は「父の我を遣わしたまえるごとく、我もまた汝らを遣わす」とのたもうた。あなたがた各々自重し、もって死に至るまで忠信ならんことを。