憩いのみぎわ

笹尾鉄三郎

「エホバは我をみどりの野にふさせ、憩いのみぎわにともないたもう」(詩二三・二)。

夏の今頃箱根の湖辺に憩うたならば、いかに涼しくまた精神爽快なことであろう。かく神は我らの魂を憩いのみぎわに伴いたもう。「憩い」と記された語には、一は安息、また一は静粛の意がある。神は我らの心がいかに疲れ、またいかに渇けるかを知りたもうて、この真の安息・真の静粛の中に入れて満足させんとしたもうのである。しかして安息の経験に階段がある。一口に言えば、憩いのみぎわであるが、この安息に意味がある。

一、罪の重荷を下ろした安息

これについては諸君は既に知るところである。ただここに一つ注意を促したいのは、詩篇二二篇と二三篇との関係である。二二篇は十字架の篇である。冒頭より「わが神、わが神、なんぞ我をすてたもうや」とのキリストが十字架上にて叫びたもうた言葉がある。その篇の中には平安は少しもない。平和も、喜びも、慰めも、全く神に奪われたる十字架上のキリストの御姿である。やせて骨は現れ、舌は渇きであごにつき、肉は砕けて血は流され、左右前後は猛獣なる悪人らに囲まれた恐ろしい有様である。されどその二十二篇から二十三篇が出て来たのである。これは二十二篇とは全く異なり、羊は牧者に導かれて緑の野辺に伏し、憩いのみぎわに憩い、また楽しみと平和とに充ちて満足している有様である。おお、我らはこの世人と異なった平和を持っている。されば我らはこのことを覚えたい。少しも罪がなかった我らの牧者なるイエスが彼のカルバリの丘にて十字架の苦しみを受けたまいたればこそ、そしてその牧者が今われわれの牧者として養っていたまえばこそ、我らは安けくあるのである。どうぞこの恵みを感じていただきたい。もし犯せる罪があって平和を失った者があるならば、速やかにキリストの十字架のもとに来られよ。先頃もある人が来て、おのが煩悶を告白して、「今にして初めて、世に鉄道往生して新聞の三面記事の材料となる人の心の程が汲まれた」と申しました。罪のあるところに煩悶あるは必然である。煩悶する者は特に主に来たれ。

二、全く神のものとなった時の安息

「われ平安を汝らに残す。わが平安を汝らに与う。わが与うるは世の与うるごとくならず。汝ら心を騒がすな。また恐るな。今より後われ汝らと多く語らじ。この世の君きたるゆえなり。彼は我に対して何の権もなし。されどかくなるは、我の、父を愛し、父の命じたもうところに従いて行うことを、世の知らんためなり。起きよ、いざここを去るべし」(ヨハネ十四・二七、三〇、三一)。

キリストの内に平和ありし秘密はどこにあったかといえば、三〇節にあるごとく悪魔と全く関係なく、また三一節にあるごとく父を愛して全く服従しておったことにある。世より全く離れて神のものとなっていたもうたキリストには常に平和があった。そのキリストの平和が我らに与えられることがある。我らは度々「主のやすき、主のやすき、我は内に今もてり」と無意味に歌っていた。されどこれは誠に厳粛なことであって、決して軽々しく口にすべきことではない。まだ半ば世につける者の口にすることのできぬことである。多くの人は第一の赦罪の結果としての平和と、この第二の主の平和とを混同しているようである。主の平安とは悪魔と全く関係がなくなり、彼がいかなる世のものを持って来て誘惑するともそれを愛さず、またそれを全く容れざるところにのみ宿る平和である。もしこの主の平和を今だ心に持たぬ者があるならば、今ありのままをあらわして主の前に出られよ。おのが罪は既に赦され、その点においては喜んでいるが、まだ世のものを心の底に持ち、これから離れようと努めても我が力の不足を感ずるか。今おのが無力をあらわして主のもとに来たれ。主はこの詩篇の言のごとく、憩いのみぎわに伴いたもう。我らは主に引かれていくのである。

三、十字架を負う者の持つ安息

「我は柔和にして心低ければ、我がくびきを負いて我に学べ。さらば魂に休みを得ん」(マタイ十一・二九)。

世より離れて神のものとなれる生涯は気楽なものではない。全能なる神は常にかかる者を順境にのみ置き、すべてのことを都合良くいくようにするかというと、必ずしもそうではない。むしろかえってこれに反することがしばしばある。その生涯は十字架の生涯である。されど我らはその十字架を避けることによらず、進んでそれを負うことによって平安を得るのである。人の世話をし、人のために骨折り、縁の下の力持ちとなって人知れず密室において人のために苦しむことは決して無益なことではない。かかる人こそ、この平安を見出すことを得るのである。この平安が得られないというのは、十字架を避けるからである。柔和にして謙遜なるキリストの足跡を踏まないためである。キリストは罵られても罵り返さず、苦しめられても弱音を吐かず、むち打たれても黙していたもうた柔和なお方であった。しかるに我らが無理を言われた時、これを馬鹿らしく思い、おのが権利を踏みにじられたことを憤り、これを主張したからといって、それで平安を得られるであろうか。否々。かえって今まで持っていた平安さえ失うに至るのである。無理を言われてもそれに服従し、権利を踏みにじられてもただ黙して従う。これすなわち柔和である。また、この謙遜とは格別に人の前でへりくだることである。さればキリストの十字架は重くて、身も心もこれに耐えられないほどに負い難きものであろうか。否々。キリストはかかる十字架を負わせたまわない。我らが進んで十字架を負う時に、人の知らざる平安を得るのである。

南米に伝道が開始されたのは、英国から四人の青年がそこに行って道のために殉教したことによる。その中の一人は大学卒業の医学者であって、本国にあるならば朝日の東天に昇る勢いにて誉れある地位に昇ることができたのであるが、彼はその地位を投げ打って宣教のためにこの野蛮な地に行ったのである。その頃は定期航海とてなく、英国より永らく食物が来ず、あまつさえ土人のために苦しめられてあちらに逃れこちらに逃れ、ついに岩間において四人並んで餓死したのである。

神の御用のために行って餓死した。ちょっと考えると馬鹿らしく思われる。彼らの死は犬死にであったろうか。否々。否々。その医学者なる人の証しした日記が今日発行されている。その中に様々なことが記されているが、この時のことを記した所には悲惨な出来事を列記した後に、「世にいかなる所ありとも、我にとってここほど楽しき所はない。何人がここに来て我をここより携え行こうとするも、我はここを去らぬであろう。ここは神が我を遣わしたもうた所なるがゆえである」と記し、しかして最後に「ここは寒く、わが手は凍えて……最早」とまで記されてあった。その人はそこで死んだのであろう。この報ひとたび英国に伝わるや、英国の教会内に大リバイバルが起こった。死に至るまで忠信なりしこの証し人の感化により、多くの人が刺激を受け、多くの青年が外国伝道を志し、ことにその南米に行って開始する者が起こり、今やその所では主の道は勝利を得てその勢いが盛んである。「願わくは汝わが命令に聞き従わんことを。もししからぱ、汝の平安は河のごとく、汝の義は海の波のごとくなるべし」(イザヤ四八・十八)。

四、栄光の御国に行きたる時の安息

「今より後、主にありて死ぬる死人は幸いなり。御霊も言いたもう。『しかり、彼らはその働きを止めて休まん。その業これに従うなり』」(黙示十四・十三)。

この世で忠実に働き終わった者は、その働きを止めて休む時、かしこには驚くべき安息がある。「向こうに安息があるから」とは、度々主にある者が言うところである。主はいま忠実に働く者のために安息をかしこに備えたもうた。されどこの世において忠実に働かぬ者は、かしこにおいて神が安息を賜うとも、その心は休めないのだろうと私は思う。慰労会などで一番快く楽しむことのできる者というのは懸命に働いた者である。狡く構えて働いたような風をしてもその実働かなかった者は、その楽しい席上に出ても心悶々として楽しめないのである。

「我また多くの位を見しに、これに座する者あり、裁きする権威を与えられたり。我またイエスの証しおよび神の御言のために首斬られし者の魂、また獣をもその像をも拝せず、おのが額あるいは手にその印を受けざりし者どもを見たり。彼らは生き返りて千年の間キリストと共に王となれり。その他の死人は千年の終わるまで生き返らざりき。これは第一の復活なり。幸いなるかな、聖なるかな、第一の復活にあずかる人。この人々に対して第二の死は権威を持たず。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年のあいだ王たるべし」(黙示二〇・四~六)。

これは艱難の時代に殺された聖徒のことであるが、霊的にはこの世において艱難を通り聖国に行った者ならば誰にでも適用しうる、真正の憩いのみぎわのことである。小羊はそこにいます。そは憂きも苦しみもみな忘れ、ただ安慰と平和と喜楽と栄光とのみそこにある。おお、楽しき聖国、主は我らをそこに伴い行かんとしたもう。されど今しばしこの世に置かるる間は、忠実に主の御用を務めたい。