英国における告別説教

笹尾鉄三郎

余が御国を去る時が近づいて来た。主ゆるしたまわぱ八月四日にロンドンを出立し、シベリヤを経由して、同月二十一日頃日本に着く予定である。今朝、余は祈りの時に、御国にある愛する諸君一人一人の名を主の聖前に覚えておった。どうか主があなたと御家族、あなたの同胞及びあなたの働きを祝福したまわんことを祈る。主イエスは信ずる我らにとって、いかに現実でまた貴い御方であろうか。その愛する聖名はほむべきかな。余は暫く御国にいて真に楽しくあった。主はここで余に会って下さって、色々と余を恵んで下さった。あなたの心の中に注がれている神の愛のために、余は誠に神を賛美する。余が御国にあって受けた印象をただ一語で言えば「愛された」ということである。「恵みにより導かれ、はかりなき愛をもって愛されぬ……せき止めあたわざる愛の中に、我は彼のもの、彼は我のものなり」。

我らが使徒ヨハネのように主の御懐に寄りかかって、その愛の「広さ、長さ、深さ、高さを知る」ときに、ヨハネと共に神の道とキリストの証しのためにパトモスヘまでも喜んで主に従って行くようになる。主は我らのために「おのが霊魂を傾けて」(英訳は、注ぎ出して)死にいたらしめたもうた。されば我らは必ずパウロと共に「キリストの愛われに迫れり」と叫ぶことができる。どうか我らも使徒パウロのごとく、世にあって神なく望みなく今死の陰に座している多くの尊い霊魂のために、「灌祭」として(テモテ後四・六原語の意味)「注ぎ出される」ことを(ピリピ二・十七原語の意味)喜びたいものである。イエスは彼らのために死にたもうたのである。

余は主が御国の多くの聖徒に与えておられる祷告の霊について深く印象を受けている。我らはあなたのこの隠れた御用を誠に尊ぶものである。余は御国にかく忠実に綱を持っていて下さる御方があることを知って、もう一度「下りて行く」ことを大層励まされている。余は王の「来たりたもう」ことが真に近く、したがって我らの地上における生涯がただ「一時」にすぎぬことを感ずる。悪魔は信者の中にも未信者の中にも今までにないほど力を持って働き、この世は全速力をもって「末時」に向かって走っている。我らがあまねく世界を回ってすべての人に福音を宣べ伝え、新婦をして「新郎に会う」備えをせしむる我らの大使命を果たすために突進していく時に、戦いの激しいことを感ずる。罪と聖潔の衝突、肉と霊との戦い、欲と愛との戦い、死せる形式と生命ある現実との戦い、長たらんことを欲する欲望と奉仕の精神との戦いなどが、ますます劇烈になって来る。神よ、願わくぱ我らを助け、偽りなきことを証しし、終わりに至るまで忠実ならせたまえ。

黙示録十二章十一節に、勝利の秘訣である三つのことがある。すなわち、(一)小羊の血、(二)我らの証しの言、(三)すべてのことにおける――生命そのものさえも捨てる――犠牲の精神、これである。英国においても、日本においても、リバイバルのために多くの祈りが献げられたことであるが、なぜリバイバルの起きるのが遅いのであろうか。それには色々な理由があろう。されども、もし我らが忠実に我らの分を尽くすならば、神は速やかにその御約束を成就してその霊を注ぎ出したもうことを我らは知っている。余は我ら日本の信徒がいまだ国民の底岩(Bedrock)を打ち砕くに足らぬことを言うのを恥ずかしく思う。願わくは、ただ地に落ちるのみならず実際に死に、かくて多くの実を結ぶ一粒の麦たらんことを。おお、どうぞ死ぬ時までのみならず、死に「至るまで」(until)祈り、説教し、与え、また働くペンテコステ的説教者たらんことを。もし我らが主に信頼し、また服従すれば、内在の聖霊は信者各自をかかる者となしたもうことができるのである。主は実に我らのうちに行う能力に従って、我らの求めるところ、思うところよりもいたく優れることを行いうる方である。愛する兄弟姉妹よ、お互いに大いに祈ろうではないか。どうか余のために続けて祈っていただきたい。どうか忠実にして生ける我らの神を進んで信じたい。我らが生命を捨てて主の命に従えば、必ず勝利を得られ、また大いなるリバイバルが起きるのである。それなのにいまだ我らは生命を惜しんで、我らの王なる救いの君の御命令に従うことを躊躇するのであろうか。

終わりに愛する兄弟姉妹よ、我らは少なくともこの五つの特色を持っていたい。

(一)、血潮の潔める力に関する明白な聖書的教理。

(二)、いづこにおいても証しをもって鳴り響く心と生涯の純潔。

(三)、神との断えざる交通。

(四)、聖徒の一致。

(五)、内地においても外国においても救霊のための熱烈なる祈りと進撃的伝道。

ことに第四の点を高調したい。数年前のこと、ある日余が書斎においてひとり神を待ち望んでいた時に、ヨハネ伝十七章十一、十二節を通して「我らのごとく彼らをも一つとなしたまえ」という主イエスの衷心の叫びを聞いた。我らは主を満足させているであろうか。それとも悲しませてはいないであろうか。主が諸君を恵まれんことを。さようなら。