陪食の栄光

笹尾鉄三郎

堂々たる一国の宮内省よりの使者が突然来て、我ら庶民の門戸を叩き、皇帝陛下の特旨をもって「本日陪食を命ぜられたから、即刻参内して恩典にあずかるべし」と伝達して来たならば、我らは驚喜感恩、家業の纏綿てんめんをなげうち、事務の繁忙をも排して、ただちに恩命に応ずるであろう。もしこのような恩命を受けながら正当な理由もなく、些事にかまけて、この恩命に従うことを拒んだならば、その不敬忘恩の罪はいかばかりであろうか。

今や全世界の王の王、主の主たる神が、無上の恩典をもって我ら罪人のために饗宴を設けて我らを招き、神の国において陪食の栄光を賜ろうとしておられる。聖霊はすなわちその勅使であり、聖書はすなわちその勅命書である。読者諸君、あなたがたも確かにこの恩命を受けた者である。余は信ず、あなたがたはすでにこの命を聞ける者であることを。

しかるに一方において、俗界の王ともいうべき悪魔は、また地上に一つの饗宴を設けて我らを招くのである。雑多な誘惑は悪魔の使いである。また書状である。あなたがたも折々これを受けたであろう。

しかし、神の饗宴には我らのために罪の贖いをなしたもうたイエス・キリストの肉と血がある。これを飲食する者は永生に至り、王国の光栄を受けるのである。悪魔の饗宴にはこの世の宝、名誉、罪の楽しみ等がある。これに耽る者は滅亡に至る。われら一つの心、一つの身をもって神と悪魔とに兼ね仕えることはできない。両宴にあずかることはできないのである。神に従わない者は、すなわち悪魔に従うのである。おお、兄弟姉妹よ、我らは誰に従い、誰と共に食しつつあるか。世の帝王に対する不敬の罪が恐るべきものであるとするなら、神に対する不敬不順の罪はなお悪である。もし我らが折々良心に責められ神の言に照らされて自己の罪悪を感じ、また主イエスの贖いを聞かされて彼が救い主であることを認めているにもかかわらず、あるいは利欲のため、あるいは罪の楽しみのため、あるいは交際のため、あるいは他の何かのため、事をなおざりにして悔い改めを実行せず、イエス・キリストを信じず、彼に従わないなら、その不幸は実に測り知れない。神の怒りはこのような人の上に下り、限りない罰苦はこのような人の上に待ち構えている。ああ、兄弟姉妹よ、あなたがたがもし今までこのようであったならば、乞う、今日覚醒せよ。悪魔の宴より出よ。悔い改めをもって速やかに神の御命に従い、イエス・キリストを信じて神の饗宴に連なれ。神の饗宴の場所はあなたがたから遠くない。否、今神自らあらゆる恩恵を携えてあなたがたの心の戸を叩き、呼ばわり告げたもう。「なんじ励みて悔い改めよ。見よ、われ戸の外に立ちて叩く。もしわが声を聞いて、戸を開く者あらぱ、我その人のところに至らん。而してその人と共に、その人は我と共に食せん」(黙示三・19、20)と。

これがすなわち神の陪食であり、我々の無上の光栄である。願わくはあなたがたも私もこれにあずかる者とならんことを。