(一)全世界のうちで聖書ほどわたしたちが熱心に研究すべき書物はない。軽卒な読者といえども聖書から受ける利益は少なくない。また無学な人といえども神の救いを求める者は聖書の中から生命を発見しており、あたかも山中に埋没している宝石を坑夫が掘り出すのに似ている。だからわたしたちもつとめて聖書中の宝を求めなければならない。聖書を研究する人は確かに豊かな報いを得ることが出来る。とすればただ読み過ごすだけでなく、神の聖書と言う無尽蔵の宝の倉があるからには、新しい宝を発見することが最も大切である。
(二)聖書中最も大切な問題はイエス・キリスト、すなわち神人に関することである。主イエスが地上にお下りになられた事実は、予言の成就、歴史の焦点、全ての教理の中心である。全世界の種々な伝記中、信者特に伝道者の熟知しておかねばならないのはキリストの伝記である。特にその主な出来事を順序立てて知ることが必要である。わたしたちがその主義や精神を理解しなければならないことは当然ながら、なお進んでキリストご自身を理解することによって、キリストの教えられた真理を理解すべきである。
(三)キリストの伝記、主のご品性や人格を理解するための最良の道は、既に公刊された種々のキリスト伝を読破することではない。それらの著作の中にはあるいは価値のあるものもあって、研究の一助となるものもあるかもしれない。しかし自身読者がそれらの資料である四福音書にさかのぼって研究する方が、はるかに勝って好結果をもたらすと、わたしは信じる。わたしたちはキリストご自身を研究しなければならない。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが供給している材料の中から、自分でキリスト伝を書こうとする程の決心がなければならない。
(四)このようなわけでこの小冊子は種々のキリスト伝をしのぐために記したものではなくて、ただ初学の人を導き、みずからこの大切な問題について知識を得る道を与えるためである。そこで本書は主に啓発的で、聖書の示す事実を直接には記さず、ただ引照を与えて置いた。引照ははなはだ沢山あるが一度注意して調べる必要がある。それがこの学課の主な部分である。