第八章 ラッパの審判

笹尾鉄三郎

分解

略解

1〕七章の終りにおいて大讃美があった後、半時ばかり天が静かになった。これは実に厳粛な光景であって、恐ろしいわざわいの迫って来たことを悟ったためである。詩篇の中にも大讃美を、歌ってきてのち「セラ」に至ってしばらく静まるものがある。これは実に神の沈黙の力の働く時である。

2〕「七人の天の使い」神から各自一つのラッパを与えられたために、静かになったのである(アモス三6)。七つのラッパは、祈祷の答として吹かれ、神の審判の来ることを示している。

3〕「一人の天の使い」主イエス・キリスト。「金の香炉」金は神の愛、神性を現わす。香炉は、祈祷を示す。「祭壇の側に立つ」霊の眼を開いてこの働いておられるイエスを見よ。「多くの香」キリストの聖手の中に満ちみちる多くの香。ある人はキリストに満ちたりている功と解釈している。「金の祭壇」祈祷の祭壇であって神殿の至聖所の前にある。祈祷を意味する。「銅の壇」燔祭のための壇であって大庭内にある。献身を意味する。「これを献げて」キリストの祷告し給う祈祷。「すべての聖徒の祈祷に添えしめんためなり」すべての聖徒の祈祷と共に、キリストの非常に力強い祈祷が神にささげられるのである。

4〕「聖徒の祈祷」神の前に祈祷は、香しいものである(詩一四一2)。神は聖徒の祈祷を喜ばれる。祈祷は自分が喜楽や、慰めを得るというような小さなものではなく、神を喜ばせることができる。私たちの祈祷は弱く、心細いものであるが、キリストの祈祷が、これに合して力ある祈祷となるのである。そして、神の前に昇って行くのである。

5〕聖徒とキリストとの祈祷の答。キリストのみ手にある香炉は、聖徒のためには祷告となり、祝福となるが、神を恐れない世の人には、審判となる。それゆえ香炉に火を盛って地に傾け、審判をなされる。「多くの声いかずちといなずまおよび地震起れり」何ものも抵抗することのできない神の審判。これによって祈祷が著しい力のあるものであることを知る。私たちの祈祷も、キリストのみ手を経て神のみ前に昇り行き、神は祈祷に答えて悪魔の陣中に恐ろしい火を投げ込んで下さるのである。

6〕わざわいの迫ってくる順序を示す。先ずラッパを吹く順序が示された。

7〕「血の混りたる雹」一八一九年。パッフィンスベイ近くの山の八マイル四方に血の色の雪が降ったことがあると言う。その他ビクニウス山、ノウルウェイ等にも降ったことがあると言われる。これはたんにやがて現われて来ることの模型であって、世の終りには物すごい光景で降って来るのである。木を大人物、草を普通の民衆として解する人もあるが、これは文字通りに解釈すべきであろう。

8〕「火に焼かれる大なる山の如きもの」どのようなものであるかは、ヨハネもはっきり知らないようである。大きな星が焼けて落ちてくるのであろうという人もいる。結局火の大きな玉のようなものが落下して、海の中に入り、そのために海はその三分の一が血と変わるようになるのである。

9〕ホセア四3、ゼパニア一3、イザヤ二16

10〕「大なる星」輝く光を発して天から落ちてくる。

11〕「茵蔯」(いんちん)毒のある苦い草の名。そのために水が苦くなる。この星はアルプス山に落ちると説く人もあるが確かでない。人間の心がかたくなになり、不従順となるために審かれるのである(エレミヤ九1316)。

12〕日月星について、昔の大人物、名所、大都会と解釈するものもあるが、ここでは文字通りに解釈すべきであろう。キリストの言われたように、日月星に変化が起るのである(イザヤ一三910、ルカ二一2526、エゼキエル三二78)。

13〕第四と第五のラッパとの間に13節のことを見る。この後に第五、第六、第七のラッパのわざわいがある。以前にまさる大きなわざわいであることを知ったならば、このように大声で叫ばざるを得ないであろう。今までのわざわいは自然界における天変地異であったが、九章以下のわざわいは、超自然的であって、たんに自然界だけでなく、霊界からも出てくるのである。「鷲」諸説がある。第四章に聖徒の鷲とみなされていることから、これは聖徒の型である。鷲は、高く飛ぶものであって天に属し、その眼は鋭く霊的な眼をもって目醒めて守る者である。キリストが死体のある所には、鷲も集るであろうと言われたが、キリストの体を肉として食べる聖徒のことである。「飛び」怠慢ではなく、活動する様子をいう。神のみ旨に従って天につくのである。「大なる声」全世界に響く大声である。自分を吹聴するためにラッパを吹くパリサイ人のようにではなく、愛から出た警告である。私たちは、罪人に対しては愛をもってわざわいを示し、警告するためには、大声でしなければならない。「三人の天使」第五、第六、第七のラッパによって現われるわざわいである。「わざわいなるかな」来たらんとするわざわいを見て、恐ろしさを感じ、このように人々に警告するのである。