第一三章 二匹の獣――偽キリストと偽預言者

笹尾鉄三郎

分解

一 第一の獣 17

二 警戒 810

三 第二の獣 1118

略解

1〕悪魔の奥義の現われるところ。あたかも神の奥義がキリストによって現われたようにである(テモテ前三16)。ただし、七章と関連している。今までに悪魔はいろいろな手段方法をもってこの世の権力を用い働いてきたが、いよいよこの時になってその姿を現わしてきた。これは悪魔がその力を現わして働こうとするためである。「七の首」「十の角」共に恐ろしい権力をいう。首は尊厳の意、角は権威を現わす。「十の冠」悪魔はこの世の王である。「僭妄」私はあなたの拝すべき者であると神を押しのけて言う意である。

2〕「豹」迅速、惨酷、猛悪の意。「熊」むさぼること。「獅子」獣の王であってとくに恐ろしいのは、その口である。すなわち偽キリストの恐ろしい力を有することを示している。偽キリストは悪魔の子であって、あたかも父なる神がキリストをこの世に遣されたように、悪魔は偽キリストに能力と位と大きな権威とを与えたのである。

3〕「この獣の一つの首傷を受けて……様なるを見たり」これは世の終りに起ることであって、七つの首の内の一つの首が傷を受けるのである。なぜならば偽キリストに反対する者が出て来るため、一時その打撃を受けて弱り、ほとんど死ぬばかりになるからである。二人の証者が忠実な預言によって偽キリストに反対して、大きな打撃を与えたのであると解すべきである(一一3)。それゆえこの二人の証者の預言した三年半を、偽キリストが大打撃を受けた三年半とは同時代と理解すべきである。二人の証者が預言した三年半は、七年間の前半であって、一三章五節の四二ヶ月、すなわち三年半は後半であると解く人もある。偽キリストは前の三年半によってユダヤ人の人望を得て、多くの者は彼を信じ彼に従ったが、中途になってその悪魔である真相があらわれ、従う者がなくなってしまうので、後の三年半においてその暴虐を呈するようになるのである。「傷癒えければ」一時打撃のために弱っていたが、やがて勢を回復した。「奇しとして従えり」この世において未曽有の人望家として立派な品性人格をもって現われるであろう。このゆえに多くの人々が感服して従うようになる。

5〕偽キリストの特色。すなわち僭妄の現われること(1)と猛悪であること(2)とまた力と権威のあること、および全世界の人心を引きつけることである。「大なる言」誇り高ぶる言、「汚す言」神を汚す言。キリストの空中再臨の時に、死んだ者はよみがえり、生きている者は霊化して共に空中に携え挙げられるのを、地に残された人々は目撃し、神の能力の偉大であることに感動して神を恐れるようになるので、悪魔はなんとかしてこれを破って人心を得ようとあらゆる神を汚すことばを吐くのである(ダニエル七81125、一一3637)。

6〕「その幕屋」霊の幕屋、携挙されたものの住む幕屋。住む所。「天にすむ者」携挙された聖徒。

7〕聖徒たちを迫害することが、一つの特色である。口で汚すだけではなく、さらに手をもって迫害して来る。神はその摂理の中に許して迫害をさせられるのである。「司どる権威」悪魔は一時神の許しによってこの世を占領するようになる。このようにして悪魔は政界における全世界の王となる。

8〕小羊の生命の書にその名を録されているか否かによって、すべてのことは判明する。偽キリストが来て、聖徒と戦う時にも、生命の書にその名を録された者は、彼を拝さないが、そうでないものは皆彼を拝する。「世の始めより殺され給いし小羊」キリストは人の前には一八〇〇余年前に殺されたが、神の前には世の始めから殺されておられた(創三1516)。

9〕大きな苦しみの来ることを示し、聖徒を警戒し奨励しておられる。耳ある者は、この言を聞き分けて心に留め置くべきであるとの聖霊の非常に懇切なみ声である。

10〕「人を虜(とりこ)にする者は、おのれまた虜にせられ」聖徒が謀略をもって悪魔に抵抗すれば、また悪魔に悩まされるのである。「刀にて人を殺す者は刀にて殺さるべし」偽キリストを殺してのがれようとすれば、かえって自分が殺されるようになる。謀略も戦にも彼からのがれることはできない。このときに必要なのは忍耐であって、そのとき光を放って誤った道に歩まないために不可欠なことは信仰である。

11〕「一匹の獣」偽預言者のこと。この子をイスカリオテのユダであると言う人もある。悪魔の三位一体は、竜、偽キリスト、偽預言者である。「地より出ずる」明白ではない。しかし、事実地から出るがごとくである。地から超自然の者が出て来て羊のような様をする。「二つの角」偽預言者が、偽キリストから与えられたすべての権のみならず、宗教上の権もあると解する人もある。またこれは自然界、超自然界のことであると解く人もある。彼は、自然界には大学者として現われ、超自然界には、神の奥義に通じて、知らないところのない者として現われる。

12〕あたかも聖霊が神から降って不思議なことをなされたごとく、偽預言者は地とその上に住む者をして偽キリストを拝ませ、尊ばせるのである。

13〕これは悪魔の奇跡時代であって、人々の前においていろいろな奇跡を行う(テサロニケ後二9)。

14〕「生ける獣の像」悪魔はいよいよその救を用いて奇跡をなし、偶像を作らせる。

15〕「生命を与え」不思議なことであって、自然界から見れば愚かなことのように見えても、超自然的になされたことである。「殺さしむ」偶像は生きて働き、自分を拝ませない者を殺すのである。

16〕悪魔の他の特色は、罪人をして刻印を受けさせるのである。これは、昔の奴隷が印を捺されたようなものである。

18〕「この獣の数目の義を知るものは知恵あり」このさい必要なものは、この知恵であって、そうでなければ神と悪魔とを混同してしまうようになる。知恵をもって獣の数を数えよ。獣の数は、人の数えることのできるものである。なぜなら悪魔は人となって現われているからである。「六六六」一説にはヘブル語で綴ってネロカイザルであるといい、またギリシャ語のガラチンであるともいう。すなわち文字で数を表わすものがあるのである。これらは歴史家などの称えるところであるが今は将来においてまさに現われることとして解すべきである。

すなわち、円満な悪魔の化身なのである。