分解
一 天使の告示 1~2
二 女の姿 3~6
三 天使の説明 7~18
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イ 女および獣の奥義 7~13
ロ 王たちと小羊との戦い 14
ハ 水の解明 15
二 獣と淫婦との衝突 16~17
ホ 女の解明 18
略解
〔1〕これは神からの私たちに対する声である。来て目を開いて見るのは、大淫婦の審判である。私たちも目を醒していないならば、また大淫婦の運命を悟らないならば、その渦中に巻き込まれるおそれがある。「多くの水」諸国の民のこと。「大淫婦」諸王の王として現われる(18)。しかし神はそのままにはしておかれないで、恐ろしい審判をなされる。多くの人は、大淫婦をカトリック教会であると解する。しかし、単に一部分の解釈であってここには適合しない。先に見た女と対照すべきである(一二1)。前に現われた女は、有形の教会であって、ここにみるのは偽りの教会である。偽りの教会が具体的に現われてくるのは、世の審判の時代、すなわち終末であるが、これは世の初期以来教会内に入って来て、人を惑わし、世と姦淫させたものである。宗教と世とを一つにして、神の名の下に惑わすもの、例えばカトリックと政教一致などのものは悪魔の手段である。
〔2〕「地の王らこれと淫を行い」地の王たちも偽の宗教に従い、偶像を礼拝するに至る。教会が世的に俗化するに至るのである。「淫乱」神の愛から離れる。神に対する貞操を失う。教会が世に親しむの意である。
〔3〕「赤き色」血の色であって、その性質の残酷であることを示す。残酷な性質をもち世の王たる権威のあることを言う。「獣」偽キリストである(一三1)。偽キリストの出るときに偽の教会は完全に成立するのである。「野」一定の場所がないことで、すなわち異教国を意味する(一二6)。
〔4〕「紫の緋の衣」美しく、王の着るところの衣である。「緋」金に酔っているさま。「金と宝石と真珠」世に属する状態。真実の教会は、世と全く離れてキリストの足跡を踏むべきものである――恐怖と阿諛と世の勢力、学術、富貴などをもって神の真理を考究し、世俗的な虚飾をなすことを意味する。「慎むべきもの」偶像その他の罪悪。「金の杯」外見は美しく見えるが、危険である。姦淫は、カトリック教会内においては盛んに行われている。他の教会においてもこのバビロン的分子が入り込みつつある。
〔5〕「額」祭司の長の額には前板があって「エホバに聖し」と記されている。これはすなわち今の世から全く離れて主に帰することを示している。「奥義」今は隠れているが後に現われてくるべきことである。「大なるバビロン」バビロンは、バベルすなわち乱れの意。真と偽の混入しているのがその特色である。この分子は常に真の中に偽りを説き来たるので危険である。「地の淫婦」この世には、淫婦が多い。「憎むべき者の母」悪人を産み出す者は、大淫婦バビロンである。
〔6〕罪悪の本源である。大淫婦は、大きな迫害をなす。カトリック教も、真の信仰を持つものを迫害し殺したことがあった。現今においても世と姦淫しつつある。『いわゆる信者』は、世から離れた真の信者を迫害している。「血に酔い」聖徒を数多く殺したことを意味する。「イエスのあかしをなしし者」自分の生命を惜むことなく、死を決してキリストのあかしをした者。「我この女を見て大いに驚きあやしめり」ヨハネは、この女を見て大いに驚いた。彼は、神から霊の眼を開かれ、バビロンの真相を見せられたときに、このように驚きあやしんだのである。私たちも霊の眼を開かれて、教会内に働くバビロン的分子を見破ろうではないか。
〔7〕天使は驚きあやしんでいるヨハネに対し、女と獣の奥義を解明し、その運命を語っている。
〔8〕「汝が見し獣は先には有りしが今は、無き」偽キリストが首に傷を受けてほとんど死ぬばかりになって、勢力を失って世に活動することができないことを指すのであろうといわれている(一三3)。「底なき穴より上りて滅びに行かん」再び活動を始めたがついには神の審判を受けて滅びに至るのである。「先にあり今あらず後また出ずる獣を見て驚かん」前のことを反覆しているだけである。多くの人々が偽キリストを見て驚き従うことを意味する。
〔9〕「知恵の心あるべし」知恵のある者は、獣の滅亡の預言を考えるべきであるとの意。すなわち、心霊上の悟りである。「この七つの首は、女の座する七つの山なり」山は国家または、王を表わす。ある人はローマであると解する。なんとなればローマは、七つの山から成り、またローマの執政官の名が七種に変化したためである。しかし今は、七人の主権者と解する。すなわち女が、七つの国に跨っていることを示すのである。
〔10〕「その五つはすでに倒れて」ローマ、ジャーマニック(ドイツ人)。この国に初めから勢力をもって現われた国民、すなわち、バビロン、ペルシャ、アッシリヤ、エジプトであって、ヨハネよりも過去の国民である。「一つはなおあり」ヨハネの当時にあったのは、ローマ帝国である。「余りの一つはまだ来らず」未来において再興するバビロンは、全世界の商業の中心として現われて来る。すなわち、世の勢力、金の勢力をもって来るのである。このときになれば、黄金万能主義となるのである。バビロン滅亡の預言(イザヤ一三19~22、エレミヤ五一)この預言は、直接にバビロンがペルシャに滅ぼされることと主の日すなわち刑罰の日に焼き滅ぼされることとの二重の意味がある。エルサレムが再興されて、恵みの中心となると同時に、悪魔もバビロンを建てて世界のわざわいの中心として現わすであろう。「第八」七つの王から出た偽キリストであって、七から出たから第八と呼んだのである。「ついに滅びに行かん」再臨のキリストのために滅ぼされるに至る。
〔12〕「十の王」偽キリストの出るとき、ローマは十国に分裂する。「彼らはいまだ国を得ざれども、この獣と共に一時のあいだ王の如き権威を執るべし」ヨハネの時代には十ヶ国に分かれてはいないが、偽キリストと共に一時現われて十の王は、王のような権威をもつのである。
〔13〕十の王は、皆一致して彼らの能力と権威とを、偽キリストに与えるのである。
〔14〕「かれら小羊と戦わん。しかして小羊これに勝つなり」世の勢力がその絶頂に達し、偽キリストが奇跡を行って、宗教上の能力を現わし、十の王がこれに服従するとき、神のもとから小羊が降られて、彼らと戦われる。そして、勝利はキリストのものである。偽キリストは、地上において王の王たるがごとく見えたが、そうではなくキリストこそ真の王の王である。このことは一九章において現われるが、ヨハネはそれを見抜いてこのように言ったのである。「これと共にある者は、みな召され、選ばれたる忠信の者なるによる」キリストに従って、悪魔との大激戦に参加する者は召され、選ばれた忠信なものであって、一騎当千の士のみである。
〔15〕どのようにバビロンの勢力が広大なものであるかを見るべきである。
〔16〕バビロンの刑罰。「汝が見し十の角と獣は、かの淫婦を憎み」偽キリストと十の王たちとバビロンとは、親しい関係にあるが、このときになって偽キリストと十の王たちとはバビロンと衝突するようになる。この衝突はなんとなれば神の審判なのである。「さぶしく」寂寞となることの意。
〔17〕神は彼らをしてバビロンを滅ぼす器となされるのである。そして、彼らは神のみ旨に従って、バビロンを滅ぼすようになる。「神の言のことごとく成るまで、その国を獣に与えしめ給えばなり」バビロンを滅ぼす神の言の全く成就するまで、神は偽キリストに強大な力をもってバビロンを苦しめることをゆるされるのである。
〔18〕「地の諸王に王たる」バビロンの強大な様子をいう。「大なる町」バビロン。キリストの王である如く、バビロン王であるが一時的に外形において王であるにすぎないのである。