カスパー・シュヴェンクフェルトと「中道」の宗教改革

ルファス・ジョーンズ

キリスト教信仰を回復、純化、再記述するという途方もない任務に取り組んだ十六世紀のすべての宗教改革者たちの間で、誰よりもその生活と人格が高潔だった人、また、迷信と伝統という籾殻から清められた、倫理的・霊的実際に根差すキリスト教を人々の生活の中にもたらす任務に誰よりも断固として打ち込んだ人は、シレジアの貴族のカスパー・シュヴェンクフェルトであった。彼ほどスコラ哲学的定式だけでなくキリストに関するパウロの解釈さえも超えてキリスト御自身に至った人は誰もいなかった。彼を力強く駆り立てたキリストの生涯の数々の面は、三世紀前のアシジのフランシスコを駆り立てた数々の面とは大分異なっていたが、この二人は次の点で大いに共通していた――すなわち、彼らは二人とも自分たちの宗教の源泉と霊感を求めてイエス・キリストのもとに行ったのである。彼らは四福音書が示すあの支配的パースンの魅力の下に生きた。彼らは二人とも十字架の力を感じたのであり、彼らの内なる霊によって、人の魂の真の癒しと人の永遠の運命とはキリストのパースンと不可分に結び付いていることを見た。ここに再び、十三世紀初頭と同じく、一人の優しい宗教改革者が登場したのである。彼は愛以外のいかなる強制力も用いようとしなかった。彼は主と共に忍耐強く苦しむすべを知っていた。彼の計画はただ、聖フランシスコのキリスト教が十三世紀の理想の観点に立っていたように、十六世紀の霊的理想の観点から原始キリスト教を回復することだった。

カスパー・シュヴェンクフェルトは一四八九年、下シレジアにあるリーグニッツの公爵領の貴族の家庭に生まれた。彼はケルン、オーダー河畔のフランクフルト、そしておそらくエアフルトの大学で学んだが、大学の学位を取らなかった。彼の体系的学びの期間が一五一一年頃に終わると、彼は廷臣生活に飛び込んだ。彼の前にはこの世の職業で成功を収める展望が広がっていた。教会の諸悪と数々の腐敗に対するルターの英雄的戦いと、彼が行った改革的信仰宣言により、この裕福な廷臣はすっかり目覚めた。そして、彼の生活の潮流は力強く宗教の方に転じた。数年後に彼が述べたように、新しい時代が誕生しようとしており古い時代は死んで過ぎ去ろうとしていることを、この時彼は深く感じたのだった。彼の生涯の最後まで、また彼が後にヴィッテンベルクの改革者から受けた厳しい扱いにもかかわらず、シュヴェンクフェルトは常に、自分を新しい生活に招集したのはルターの預言的集合ラッパだったことを覚えていた。そして彼は長い放浪の間ずっと――その放浪は大部分ルターのせいだったが――自分を真理を知る知識へと最初に向かわせてくれたこの人に対する麗しい尊敬と感謝の念を持ち続けたのである。

彼の覚醒のまさに初めから、彼は預言者的な道徳的熱心さを示した。彼の最初期の書き物においても、彼は真の宗教の内面性と生ける創造的な神の御言葉の重要性とを強調した。人々の生活の中に道徳的・霊的性格を形成することに対する彼の情熱の結果、彼は自分の周りに実際に存在する状態をとても鋭く精密に記した。そして間もなく、彼にとって悲しむべきことに、彼はドイツに広まりつつあった新しいタイプのキリスト教の弱点の数々の面を察知するようになった。早くも一五二四年に、「シレジアのすべての兄弟への勧告」の中で、彼は宗教改革の結果人々の生活の中に生じつつあった変化の浅薄さ――いわゆる「内的理解の欠如」――と新しい改革の外面性、すなわち「字義的な救いの約束」で止まってしまう傾向性とに注意を喚起した。彼はルターの教えの中心的な諸原則を精査してそれらをすべて承認したが、それと同時に、それらをただの知的声明や定式的見解として受け入れるなら少しも得るところはないことを指摘した。彼はキリストを信じる信仰とキリストに対する理解とを求めた。すなわち、キリストは「霊の深みに至り」、心を新しくし、信者の中に新しい人を生み出して下さるという理解である――「キリストの贖いの御業は生き生きとしたものでなければならない」という理解である――彼はまたあるタイプの宗教を求めた。それはキリストと共に苦しみ、彼のみこころに意志を実際に一致させ、自己に対して死んで彼と共によみがえることを包含する宗教である。これは「十字架の一番楽な部分を負う」わけにはいかないことを意味する。彼は熱烈な情熱で個人生活と社会生活の根本的改革を求めた。原始キリスト教をその勝利の力と共によみがえらせようと真剣に試みることを求めた。

ルター自身、宗教改革運動の結果生じた、実際的かつ強烈な個人的宗教の欠如を常に感じていたし、この欠如をしばしば嘆き悲しんだ。彼はかつて、この初期の頃、シュヴェンクフェルトにこう述べた。「親愛なるカスパー。本物のキリスト者は一般的ではありません。一つの場所に二人が一緒にいるのを見られたら!」。しかし、古い教会を揺るがす彼の巨大な力のすべてをもってしても、ルターは諸々の時代にわたって積み重なってきた籾殻をふるい分けることができなかった。また、キリストの福音の内的な生ける核心を把握して、それを実際的かつ鮮明に示すことにより、人々がキリストのすべてを再び見い出せるようにすることや、人々がキリストを発見することによって再び復興されて使徒的力に至るようにすることもできなかった。これこそ自分が召された任務であると今やシュヴェンクフェルトは感じた。救いの基礎全体をルターの定式化とはまったく異なる方法で把握しなければならないように彼には思われた。そして、それにはキリストにおける神の啓示全体と人の魂におけるキリストの御業の再記述が必要だった。

ルターはシレジアの霊的宗教改革者と最終的に決裂した。一五二七年のことである。それは主として、主の晩餐の意義及び価値についてのシュヴェンクフェルトの教えによって引き起こされた。とはいえ、彼らの相違は決してこの点だけに限られていなかった。シュヴェンクフェルトの立場は、主の晩餐を祝うことを差し止めた一五二六年に頂点に達した――いわゆる「停止(Stillstand)」である――主のみこころにしたがったその正しい理解と真の実行とが啓示されるまで停止したのである。「現在、使徒職への任命例を私たちは知りません」と彼は記した。「また、私たちは自分たちを使徒と見なすよう要求することもしません。私たちはそのような職務を果たすための聖霊の充満や使徒の印を受けていないからです。私たちはへりくだりの中にとどまって、何も自分たちのものと見なしません。ただし、キリストを証しすること、人々をキリストに招くこと、キリストとその救いの無限の御業を宣べ伝えること、キリストを真に知ってもらうために出来る限り労することは別です」。

礼典に関する激しい論争――これは高貴かつ誠実な宗教改革者たちの間の論争であり、宗教改革最大の内的悲劇である――に今は立ち入る必要はない。彼の霊的キリスト教について説明するのに必要な場合に限り、しかるべき所でそれに関するシュヴェンクフェルトの立場を示すことにしたい。彼の立場と実行により、すぐにルターと衝突するあのような結果になった。また、シレジアのルター派の側にあのような敵意が生じる結果になった。そのため、その国でシュヴェンクフェルトの任務を継続することはできなくなった。しかし、彼は法令によって追放されたのではなく、現状に強いられてのことだった。そして、リーグニッツの公爵である彼の友人に迷惑をかけないようにするために、彼は一五二九年に自発的に亡命者となって、二度と戻らなかった。三十年間、彼は放浪者となり、地上に永住できる家もなかったが、それでも主キリストに感謝することができたし、実際にそうしたのである。この年月のあいだ内的自由を与えてもらったこと、そして「主の平和の城」の中に連れて行ってもらったことを感謝したのである。彼はかつてこう記した、「もし私が良い場所を地上に欲していたなら、永遠の事柄よりも一時的なものを大事にしていたなら、そして私のキリストを見捨てていたなら、私は私の祖国と私自身の家にとどまっていられたでしょうし、この世の強者を私の友人として持てたでしょう」。

彼は長期間あるいは短期間、ストラスブール、アウクスブルク、ウルム、その他の都市に滞在した。しかし、敵から安全な場所はどこにもなかった。たとえ束の間の滞在場所でも、彼は常に追放されるおそれに直面した。一五四〇年、シュマルカルデン同盟は彼に対して厳しい宣告を下した。それは礼典に関する彼の反ルター的見解のためだけでなく、キリストの性質に関して彼が新たに加えた教えのためでもあった。それらの教えを神学者たちは非正統的であると宣告したのである。三年後、好意的理解を得ることを望んで、彼は一人の使者をルターに送った。ルターの返答は短い決定的なものだった。「悪魔に取り憑かれた、この愚かなうつけ者は何もわかっていない。奴は自分が何を喚いているのかわかっていない。だが、もし奴にたわ言を言うのをやめる気がないなら、せめて悪魔が奴から吐き出した冊子で私を煩わせないでくれ」。一五五六年のプロテスタント国の聖職者会議で、シュヴェンクフェルトは当時最も激烈な言葉で非難された。また、文官たちは危険な異端者として彼に処するよう促された。神学的憎悪によるこの追求にもかかわらず、彼には常に多くの強力な友人たちがいた。また、大勢の勇敢で献身的な追従者たちがいた。彼らは、自分たちにとって生ける神の御言葉であるもののために、喜んで持ち物、家、命を失う危険を冒した。彼はウルムで一五六一年に亡くなった――あるいは彼の友人たちが好んだ言い方をすると、彼は静穏に「ふるさとに移」った。彼の人生の純粋さ、勇敢な誠実さ、気高さ、内的・外的首尾一貫性に何の疑いもない。彼の敵たちは、彼の心の動機や彼の生活の純粋な敬虔さを非難する言葉を持たなかった。彼の宗教のために、彼は外側の世界で大切にしていたものをすべて失った――彼は「十字架の一番楽な部分を負」わなかった――そして彼は自分の信仰を実践したのである。彼にとって自分の信仰は、この世界においてもまた他のいかなる世界においても、人が所有しうる最も貴いものだったのである。

さて、彼のキリスト教の学びに向かわなければならない。ここではそれを歴史的発展の順序ではなく、彼の生涯と書き物を大局的に見て示すことにする。彼は救いに関する彼の観念、彼の宗教観を、人道主義的な宗教改革者であるデンク、ビンダーリン、フランクとは違って、魂の最も深い部分は実際には本質的に神聖な性質を持つという考えの上に築かなかった。また、中世の神秘家たちとは違って、魂の中には神聖な中心、失われることのない不可侵な神の火花・かたちが本質的に存在しており、それは立ち返ってその源である神と結び付くことができるという考えの上にも築かなかった。彼はルターと同じように、「堕落」して「罪の中に死んで」おり、生まれつき神聖な現実に対して「めしいであり耳しいである」人から開始する。彼にとっては、ルターと同じように、生来の意志の自由は存在しない。人が自発的に自分で率先して立ち上がり、罪のかせを振り払い、神の子として生きるようになることのできる、生来の意志の自由は存在しない。この驚くべき出来事、命の水準のこの絶対的変化は、魂の上に瞬時になされる神の直接的働きによって可能になるのであり、ただそれによってのみ可能である、と彼は考えた。救いは超自然的出来事でなければならない。上からの神のこの活動を通して、あらゆる点で新創造である経験が魂の中に生じる。それは宇宙創造の「光あれ」と同じくらい劇的出来事であり、再生――それを通して人は再び堕落以前のアダムの状態になる――である。

シュヴェンクフェルトのキリスト教では、救いに関係するものはみな、史的キリストに遡る。キリストはこの新創造の長子である。彼は最初の「新しいアダム」であり、その勝利の生活と勝利の復活によって、永遠に「命を与える霊」、新しい人類の創造原理となった方である。キリストにあって、神の御言葉すなわち神の実際の神聖な種は肉体となり、われわれの人性の中に入り、それを御霊と命で貫き、罪に傾くその頑なさを征服し、人のこの肉体を変貌・変容させて神聖で天的な実体とした。神の完全なみこころに従順に従って、人々を愛する愛のゆえに極めて深い苦難、犠牲、十字架の死に至るまで従うことによって、キリストは人の肉体を栄化し、それを肉から霊に高められた。そして、彼の復活した天的な命により、彼は御自身を信者の魂と内的に結び付けることができる。それは彼の霊的な復活した肉と血が信者の食物と飲み物になることができるためであり、彼が人類の新秩序に命を与える源、新しい人類の霊的かしらとなることができるためである。「人の魂が」と彼は記した。「真に養われ、食物と水で元気づけられて、永遠の命を所有するようになるには、それはその肉的な命に対して死に、自らの内に神聖な霊の命を受け入れて、神御自身をその源としなければなりません。そして、イエス・キリストの生ける、内に働く肉と血により、それを魂に仲介してもらわなければなりません」。この仲介を通して、われわれは霊的合一と霊なる神との生き生きとした交わりとの中に入るのである。

したがって、シュヴェンクフェルトにとって救いとは、この新創造の命に、この新世界の秩序にあずかることである。クリスチャンになることは、この言葉に関する彼の意味によると、宇宙で最も決定的な分水嶺の一つを過ぎ越すことであり、一つの王国からさらに高い王国に移ることである。この過程は――というのはこれは生命過程だからである――最初から最後まで経験の領域の中にある。十字架に付けられて復活し栄光を受けた神・人は命を与える霊であり、この御方を信じる信仰を行使することにより、高次の世界から現実的力が魂の中に流れ込む。「霊的な」もの、存在論的に高次の霊的世界秩序に属するものが、神から与えられた「遺伝原形質」として、生ける、刷新・形成する力と共に、その人の中に臨む。エイレナイオスと同じようにシュヴェンクフェルトにとっても、救いは「実際的贖い」であり、死すべき人を「神化」するものであり、不死の性質を実際に形成するものであり、人を当初の状態に回復するものである。それは、奥義的なアダム―キリスト、新しい霊の種族の創始者・かしらの、内側に流れ込む命の力によってである。

この流入する霊の力と霊の実体により、受け手の全人格が影響を受ける。内に流れ込むこの再創造の力は魂と体の両方を変容させる。肉体となった、内なる永遠の神の御言葉は、人の内なる性質に作用する。そのため、信者は、受肉した神の言葉であるイエス・キリストのように、霊的で、神聖かつ天的な者に変えられる。この画期的経験と共に次の感覚が臨む。すなわち、それまで知らなかった自由、体とその欲求を支配する力、知性を照らす光、罪の意味に対する良心の新たな感受性、人生の目標に対するビジョンの途方もない拡大を感じる感覚である――これがキリストの中で成熟した人である――そして、この目標を達成するのに十分な御霊の賜物についての理解力である。内なる霊に広がって、変容と高められた生活のしるしにより、顔に輝き渡る喜びを獲得することは少しも小さなことではない――この喜びは辛い流浪を「平和の城」に変えることができるのである。

この力強い変容を経験した人々は、それによって自分たち自身の魂の内に神の御言葉を聞く賜物、能力、力を得る。そしてこうして、この御言葉――それはキリストにあって肉体となったこの同じ命を与える御霊であり人の内に新創造を生み出す――は、再生した人々の内で永遠に内なる教師となる。「聖霊の貴い賜物が、神の本質的存在から信者の中に流れ込みます」。神の二重の啓示がある、とシュヴェンクフェルトは考えた。神の一次的御言葉は永遠、霊的、内的である。「御言葉は、霊的な使者たちが宣べ伝えたり教えたりするとき、二つの種類があります。この二つはその働き方が決定的に異なります。一方は神からであり、神御自身ですらあります。それは使者の心の内に生きて働きます。これは内なる御言葉であり、実際のところキリストの継続的顕現に他なりません。キリストは内側に啓示されます。また、キリストに聞くのは心の内なる耳によります」。それは、事実上、人の魂の霊的本質の上に、命・霊・光として働く神御自身である。それは最初に命の種として働いて人の中に新創造を形成し、後に養い教える永遠の御霊として従順な魂を導き続けてあらゆる真理の中へともたらし、それを完成させてキリストの似姿・身の丈へと至らせる。「信者の心の中に、神の指によって、生ける内なる聖書が記されます」。この内なる聖書には聖潔を創造する積極的力があり、その心の中にそれが記されるすべての人を、聖なる、生き生きとした、義なる、救われた人とします」。

二次的な意味の神の御言葉は外側の言葉――聖書の言葉――である。「声、音、語句によって内なる御言葉に仕える他方の御言葉は外なる御言葉であり、外なる人は聴覚によってこれを聞きます。また、これは文字によって記されたり読まれたりします。ただこれを読んで聞くだけで、内なる御言葉を聞かない人は、キリストの福音、恵みの福音を聞いたことがないし、それを受けたことも理解したこともありません」。それはせいぜい、命を与える実際の御言葉を見い出すよう魂を助ける証言・証しにすぎない。内なる霊の御言葉から切り離されるなら、霊から切り離された体が死んでいるように、文字の言葉は「死んで」いる。「それは力強く真理を目の前に描き出しますが、真理を心の中にもたらすことはできません」。「聖書は語っているところのものを魂にもたらすことはできません。それについては直接神御自身に求めなければなりません」。彼は聖書を実際に用いたし、聖書の重要性を高く評価した。この点に関して彼はルター自身にほとんど引けを取らない。「聖書のような書物は地上に存在しない」と彼は言う。彼のキリスト教はあらゆる点で、次のものによって貫かれており、照らされている。すなわち、聖書の聖徒たちの深遠な霊的経験によってである。またさらに四福音書のキリストの鮮やかな描写、そこに記録されている彼の口から発せられた御言葉、使徒たちの経験、初代教会の発展によってである。彼は聖書の霊感を決して疑ったり問題視したりしない。それどころか、聖書は「神から与えられた」と彼は考えた。聖書は霊感された真理の無尽蔵の泉であり、そこから魂は止めどなく汲み出すことができる、と彼は考えた。キリスト教信仰の実際的内容は歴史的啓示によって与えられる。しかし、シュヴェンクフェルトは常にこう主張した。すなわち、書き記された御言葉は、たとえ霊感されていたとしても、依然として魂にとって外側のものであり、別の時代に他の人々に起きた歴史的出来事を記録したものにすぎない、と。「人が」と彼は記した。「霊の事柄を把握して、正しく理解・判断するには、神の光を聖書に、御霊を文字に、真理を絵図に、主を彼の被造物にもたらさなければなりません(中略)一言で言うと、聖書を理解するには人は新しい人、神の人にならなければなりません。聖書を与えて下さったキリストの中にいなければなりません」。人の内なる性質を変えるものは個人的に経験されねばならず、人にとって外面的なものであってはならない。魂それ自身と同じようにその性質は霊的でなければならず、書き記された御言葉のように物質的であってはならない。「筆は心を紙に移すことを完全にはできませんし、口は内側にある生ける水の井戸を完全に表現することはできません」。聖書は他のいかなる書もなしえないような方法でキリストに導いて彼について証しするが、それはキリストではない。キリストが聖書を開いて下さらない限り、聖書は閉ざされた書のままである。聖書は、他の書物とは違い、神の御言葉とこの世におけるその命の働きについて告げるが、それは依然として神の御言葉ではない。命の実際は、労苦して聖書の本文を積み重ねても得られないし、鋭い神学的弁証や聖なる御言葉に関する博識な解釈によっても得られない。これらの霊的実際がわれわれにとって現実的・効果的なものとなるには、それは神の御霊――神の内なる霊的御言葉――によって人の霊に直接結び付けられなければならない。「真理を見るには、目のために神を得なければなりません」。

救いの過程と、再生された魂を照らす永続的照らし――それは流入する実際的な神的実体(御言葉もしくは種と称されている)による――とに関するシュヴェンクフェルトの見解が、彼のキリスト教の原動力たる特徴である。ルターの「信仰による義認」の原理を取り巻く諸々の危険を防ぐ、宗教活動のための一つの基礎を彼は見い出そうと努めた。宗教改革運動が始まった時から、「信仰」の行使だけが人の救いに必要であると見なす傾向があるように見えた。ルターはそういう意味で言ったのではなかったが、「信仰」は不可視の領域で魔法のような働きをすると考えることが最も抵抗の少ない安易な道だった。人が「信仰」を行使するやいなや、神はその「信仰」を義と勘定して、その人を「義」と見なされる、というのである。こうして、この肝心な働きは魂の外側の領域にあるものとされた。この重大な変化は各人の性格上のものではなく、各人が天の評価によって鑑定・査定される方法上のものとされた。「信仰」に対するこの粗野なまじない的信頼が広まっているのを見い出したことが、シュヴェンクフェルトを宗教の諸問題に関するさらに深い学びに向かわせた最初のきっかけだった。まじないのような取引で義と鑑定・勘定されるだけではなく、人自身が実際に刷新、変容、再創造、義化されうる何らかの方法を発見することが必要である、と彼は感じた――これにより彼は一人の独立した宗教改革者となって、その孤独な道を歩んだのだった。

人の魂はどのように救われるのか?という宗教上のこの深遠な中心的問題に対して、シュヴェンクフェルトの時代、四つの有名な答えがあった。

(1)彼が生まれた教会の答え。救いは恵みによるのであり、神秘的・神的に設立された教会の礼典上の経路を通して仲介される。人の側でなすべきことは、教会に課された「業」を果たすことと、礼典上の恵みの手段を適切に用いることである。これらの礼典上の手段を通して、実際の恵み、実体的な神の助けが人の中に臨んで、その人を救う奇跡をなすのである。

(2)偉大な神秘家たちの答え。常に明確・単純とは限らないが、とても深遠で意義深い。魂の基盤・深みは、永遠の絶対的神格と一つの実体である。有限な努力、孤立した目的、利己的な目標、分離主義的追求は空しいものであり錯覚である。自己意志の中に、そして自己中心的喜びの中に生きる限り、われわれは自分の命を失う。帰る道、救いの道は、われわれがそこから去ってしまったあの基盤的現実に戻ることである――無限の神格との命の合一・一体性に戻ることである。

(3)三番目の答えは「救いは信仰による」というルターの答えである。最初、これは強力な答えのように思われる。それは魂に対する新たな道徳的招集ラッパのように、この逸れた世に介入する。宗教の世界に新たな中心の発見をもたらす新鮮なコペルニクス的洞察のように人々に臨む。魂はそれ自身の内的視力により、その道徳的姿勢により、意志の転向により、神との新たな関係を開始することができる。そうして新たな内的王国を生み出すことができる。しかし、これはルターの使信ではない。彼はこの楽観的な生命観を取ることができなかった。なぜなら、人は自分自身の内に神に対する生来の能力を持っており、向上して自己の道徳的刷新につながる視力と姿勢に至ることができる、ということをこれは意味したからである。ルターは自分の原理をスコラ哲学的煩雑さから解放することに決して成功しなかった。彼は強力な道徳的基盤の上にそれを決して据えなかった。それは最後まで神秘的原理のままであり、容易に無律法主義的解釈への門戸を開いた。すなわち、信仰の行使に基づいて神はキリストの功績のゆえに「人を義と勘定して下さる」という解釈である――心がたるんでいて救いの法的枠組みになびきやすい人々には大切な解釈である。

(4)四番目の見解は人道主義的・霊的改革者たち、デンクやビンダーリンといったタイプの人々の見解である。彼らは、今日のいわゆる救いの道徳的方法の先駆者だった。救いは最初から最後まで道徳的過程であると彼らは見なした。神は本質的・本性的に、愛して、自己を啓示し、自己を与える神である。神はどの時代でも、人の霊的身の丈に適した啓示によって御自身を啓示してこられたのであり、時満ちて、キリストにあって受肉された。そして永遠に、その御霊を通して、御自身のもとに来るよう人々に懇願される。目が見えて耳の聞こえる者たち、応答して協力する者たち、すなわち、信仰を行使する者たちは、それによって彼の内的似姿に道徳的に変容され、暗闇よりも光を、罪よりも善を、憎しみよりも愛を好む生活を始める。

シュヴェンクフェルトはこれらの見解のどれにも満足しなかった。彼は神秘家たちを知っており愛していたが、史的キリストの力強い生活と使信に大いに感銘を受けていたので、神秘家の道を取ることができなかった。ルターのキリスト教はあまりにもスコラ哲学的で、あまりにも外面に依存し、あまりにも「信仰」の無律法主義的行使に傾いている、と彼は感じた。彼は人道主義的霊性の道を行くことができなかった。なぜなら、彼はこう信じていたからである。すなわち、人は堕落によって荒廃しており、罪によってあまりにも深く損なわれているため自分を助けることができないのである。また、人には自由意志がなく、霊の視覚や救いの信仰のための生来の能力に欠けているのである。そもそも救いが効力を発揮するには、それは神の恵みによって開始され、人のために神によって成就されなければならない。しかしシュヴェンクフェルトにとってそれは法的解決や、天の台帳における勘定の変化ではありえなかった。「義認は」と彼はかつて書き記した。「諸々の罪の赦しだけでなく、それ以上のものです。それは内なる人を実際に癒して新しくするものです」。救いは人の性質の実際的・根本的変容を伴わなければならない――人は罪を犯すことと罪を愛することとをやめて、善に対する情熱とそれを成し遂げることを可能にする力を己を超越した所から受けなければならない。善に対する情熱は、シュヴェンクフェルトの見解によると、神・人を見ることによって創造される。この御方はわれわれのために苦しみを受けて十字架上で死なれ、命の絶対的新しさの中で栄化された。そして、道徳的聖さのための力は、この新しいアダムから直接流れ込む神聖な命の流れによって、魂に供給される。この御方は、今から後、人類の霊的秩序の頭、命を与える霊であり、信仰の中で彼を受け入れるすべての人を新しくされる。「信仰は」と彼は言う。「中心の神聖な光と火――それは神御自身です――から流れ出る一条の貫く光です。それは私たちの心の中に流れ込んで、それによって私たちは神と私たちの隣人に対する愛で燃やされます。またそれによって、自分に欠けているものと私たちの欠け目を豊かに満たせるものとの両方を私たちは目にします。それは、私たちが神の王国のための準備を整えて、神の子供となる用意をすることができるようになるためです」。「真の信仰は」と彼は他の個所で述べている。「すなわち、義とする信仰は、外面的なものから発することはありえません。それは聖霊による神の恵み深い無代価の賜物です。それは神の永遠の命から発したものであり、神御自身の本質・実体と同じです」。それは、事実、われわれ自身の命の内なる領域で音声化・活性化された神の永遠の御言葉なのである。

教会は、シュヴェンクフェルトの見解によると、キリストがかしらであるこの完全な霊の共同体である。「私たちは断言します」と彼はその務めの初期に記したが、それは生涯変わらぬ彼の見解だった。「クリスチャンの教会は、聖書の語法によると、聖パウロがエペソ書等に記しているように、心と魂でキリストを信じ、私たちの主キリストをかしらとする信者たち全員もしくはその多くから成る集会・会衆です。彼らはただ神の御言葉から生まれ、神の御言葉によって養われ、治められるのです」。「クリスチャンの教会は」と彼は他の箇所で述べている。「神の子らからなる共同体全体です。それはキリストの実際のからだ、アブラハムの裔、生ける神の家、聖霊の宮です。それはその命と力を信仰の従順を通して持ち、この世に対して主の御名と、その肢体たちを暗闇から素晴らしい光の中に召して下さった方の素晴らしさと栄光とを現します。このような教会が集められている所はどこでも、キリストもまたそこにおられます。キリストはそのかしらであり、それを治め、教え、護衛し、保護し、その中に働いてその肢体たちに彼の命を注がれます。各々の肢体に、その生ける信仰の度量にしたがってそうして下さいます。この内なる目に見えないキリストは、あらゆる時代、あらゆる時と土地におられます」。教会の真の命と力は、彼にとってはこのように、使徒的雛型の継続である。党派的宗派の形成に彼は何の興味もなかった。彼は基本的に国教会組織に反対だった。真の教会共同体を束の間の実地的組織――国教であれ分離派であれ――と同一視することはできない。それは霊的な目に見えない世界大の共同体である。それは地上のすべての地域とすべての宗教的交わりの中にいる、命と霊が神聖なかしらに結合されているすべての人々を含んでいる。それは聖霊の計画的指示のもと、有機的成長の過程によって拡張・拡大する。「新しい兵士がこの天の軍隊に加わるたびに」と彼は記している。「哀れな罪人が悔い改めるたびに、キリストのからだは大きくなり、王の威光は増し加わり、その王国は強くなり、彼の力はますます完全になります。神の本質がますます偉大になったり、完全になったりするわけではなく、あのからだが神の中でますます完全になるのです。神は彼の全豊満をもってそのからだの中に住まわれ、その中にイエス・キリストはますます御自身を注がれます」。命を与える御霊の御業を通してこの経験的王国に入る各々の魂は、どの時代でも拡張するこの目に見えない教会の中に建造し込まれ、何らかの「賜物」を与えられてこの神聖なかしらの一器官となる。霊の奉仕はみな、神の明確な召しと委任を通して生じる。そして、そのように召しと委任を受けた人々は奉仕のために適切に備えられる。それは選挙や叙任によってではなく、神の御言葉を通して臨む内なる促しと照らしによってである。その説教者に魔法的力は皆無である。彼の唯一の力は彼の経験、澄んだ視力、キリスト――キリストは教会のかしらであり、その力の源である――との有機的つながりにある。もし彼の生活が霊的に貧しく、弱く、薄っぺらなら、もしそれが道徳的情熱と洞察力に欠けているなら、彼の務めはそれに応じて無力・無益になる。なぜなら、生活の力強い霊的衝撃力は、彼の個人的経験と、神の力を伝える彼の道徳的能力とに比例するからである。ここでもまた、その強調点は宗教の魔法的側面とは対照的である宗教の道徳面にある。教会の職務や機能をその人自身の道徳的性格から切り離すのは不可能である。シュヴェンクフェルトは聖職制度から完全に逃げ去って、彼の限られた歴史的洞察力でその方法が分かる範囲内で、初代の使徒的教会の理想に立ち返った。聖徒たちのこの共同体――この目に見えない教会――に属する真の印・証拠は、彼にとっては聖パウロと同じように、キリストの思い、信仰、忍耐、品位、平安、霊の一つ、神の力、聖霊の中にある喜び、御霊の豊かな賜物と実を有することである。「教理や儀式、規則や礼典といった外側の一つや一様性は、クリスチャンの教会を造り上げることはできません。霊に属する内側の一つ、キリストの中にあるそして彼を知る知識の中にある心と魂と良心に属する内側の一つこそ、キリストの教会を造り上げるのです」。教会は、まさに真の意味で、キリストの骨の骨であり彼の肉の肉である。それは彼の血によって命を賦与され、彼の実際の臨在によって力づけられ、一つの有機体へと形成し込まれる。この有機体は神聖な天の命を啓示・展覧する――この命は生来の人の命を遥かに超越しているが、それは生来の人の命が植物の命を超越しているのと同じである。

宗教についてのこの霊的見解――真の教会は目に見えない教会であるというこの見解――と全く首尾一貫して、シュヴェンクフェルトは真の礼典は内面的かつ霊的な礼典であって、旧約聖書の礼典のように律法的かつ外面的ではないと教えた。「神は自ら、すべての外面的手段とは別に、キリストを通して、魂に触れ、その内に語り、その中に働かなければなりません。それは私たちが救いと永遠の命を経験するためです」。その人自身の中に再生と新創造とを生じさせる、神の霊の直接的到来こそが、神にとって唯一価値あるバプテスマである。つまり、人の実際の状態に何らかの相違を生じさせるバプテスマである。バプテスマの真の意義は清める力を受け入れることである。心を清め、良心を照らすのは内なる過程である。それは救いのために必要であるだけでなく、実際のところそれこそが救いなのである。キリスト教のバプテスマは、それゆえ、水をもってするものではなく、キリストをもってするものである。それは命を与えるキリストの霊的臨在の流れの中に魂を浸すことである。

シュヴェンクフェルトは常に優しくアナバプテストたちに対して好意を寄せていたが、彼は彼らには属さなかった。彼は彼らのキリスト教とは大いに異なる種類のキリスト教を提示した。彼は彼らのキリスト教を、優しい霊の中でではあったが、鋭く批判した。彼は再洗礼を是認しなかった。なぜなら、最も重要な問題は水を適用する方法や時ではなく、キリストの真のバプテスマを受けることである、と彼は主張したからである。それは内なるバプテスマ、霊と力のバプテスマであり、それによって信じる魂、内なる人は浄化され、力づけられ、純化されるのである。

主の晩餐に関する彼の見解も同じように、内的宗教としてのキリスト教という彼の観念に全く合致している。彼が彼固有の独特な種類の宗教に到達したのは、この晩餐の意味と意義に関する学びによってだった。彼は実際的な試金石――ユダの事例――と共に黙想を始めた。もし最後の晩餐のパンとぶどう酒がキリストの体と血と同じだったなら、ユダはその邪悪な霊にもかかわらず、他の弟子たちと同じようにキリストを食したに違いなく、神聖な性質を彼自身の中に受け入れたに違いない――しかし、それはありえない。

知的困難の中、彼はヨハネ六章の偉大な神秘的談話に向かった。その決定的解釈にあたり、彼はリーグニッツの神学講師だったバレンティン・クロートワルドから重要な示唆と助けを受けた。この注目すべき談話の中で、キリストは彼の弟子たち、彼の従者たちを彼御自身の肉と血をもって養うことを約束しておられる。その肉と血により彼らはその永遠の性質に与り、彼と共に復活の命の中に入る。ここで人々に提供されているこの「肉と血」は、物理的方法で食される外面的礼典を指すものではありえない。なぜなら、このまさに同じ談話の中で、外面的かつ物質的な肉に益はない、とキリストは述べておられるからである。命を与えるのは御霊であり、それゆえ、キリストの「肉と血」は御言葉と同義語であるに違いない。というのは、御言葉は魂を実際に再創造して養い、人の霊を新しくして活気づけるものだからである。

キリストの「肉と血」による魂のこの養いと刷新をシュヴェンクフェルトは、われわれがこれまで見てきたように、絵図や象徴としてではなく、クリスチャンが経験する文字通りの事実として取り扱う。十字架に付けられて、よみがえらされ、栄光を受けたキリスト――創造的アダム――のパースンを信じる信仰を行使することにより、朽ちることのない、命を与える本質が魂の中に到来し、それを変容させる。神聖な天の世界からの何か、キリストのあの霊化・栄化された性質からの何かが、人の霊の実際の食物となる。それは、それを通して人がこの神・人と同じ性質にあずかることができるためである。一度や二度ではなく、継続的な経験として、魂は霊を刷新するこの輝かしい食物――このキリストの食べ飲み――にあずかることができる。

外面的な晩餐――そしてこの問題に関しては外面的なバプテスマも同じである――は、キリストの教会において、この実際の経験の絵図的象徴、あるいは信仰の可視的告白としての地位を占めているかもしれないが、この外側のしるしには、彼の見解によると、僅かな重要性しかない。それは人目を引く前面に出るべきではないし、それを論争の対象にしたりそれにこだわったりしてもならない。新創造、生ける御言葉に対する信仰の応答、キリストの似姿への命の変容こそが、クリスチャンが経験する重大な諸事実であり、これらのものはいずれも外面的儀式によっては伝達されないのである。

彼が理想とした目標は、霊的なクリスチャンの小集団の形成を促すことだった。彼らは静穏のうちにその地に住み、内なる力と上から受ける霊感によって広がらなければならない。布告、支配者たちの宣言、議会の決定によって真の宗教改革を遂行するのは不可能なことを、彼ははっきりと見た。永続的働きは、彼の観点では、人々の宗教生活と霊的経験がゆっくりと忍耐深く発達することによってのみ成し遂げられる。なぜなら、彼が追い求めた目標は国が造った諸教会の形成ではなく、個人の生活の刷新、呼び覚まされた良心、燃えるような道徳的情熱、神的現実世界との直接的関係に関する経験的確信だったからである。個々の魂をこれらのいっそう深い人生問題に目覚めさせる働き、散在する小さな団体――それは言わばこの世界の中で神の王国というオアシスたるべきものである――をキリストの頭首権の下で建て上げる働きに、彼は流浪の年月を捧げた。このように静かな内的運動はすべて、キリストが予見されたように、あまりにも遅々としていて漸進的だったため「人目につか」なかった。しかし、再生とキリストに導かれた諸団体の形成とによって教会を改革するこの方法は、シュヴェンクフェルト存命中に、素晴らしい結果を生じさせた。シレジアだけでなくこの宣教士・改革者が手を差し伸べることのできたすべての地域に、安逸と贅沢よりも「キリストの学校の塩とパンを好む」多くの人々がいたのである。彼らは敵対する世の只中に彼らの小さな団体を形成した。アウグスブルグの公的記録が示すところによると、シュヴェンクフェルト存命中、その都市にこれらの静かで霊的な礼拝者たちの素晴らしい団体が存在した。彼らの指導者たちは卑しい職業についている人々だった――支配的宗教もしくは公認宗教のどれかに従うことで満足していれば、市や教会の当局者たちの注意を引かなかったであろう人々だった。シュヴェンクフェルトの書き物から受けた霊感の下で、彼らは「小さな集会」を形成した――それはあらゆる点で十七世紀のクエーカーの集会に似ていた――彼ら自身の家に順番に集まり、礼典の使用をすべて廃し、啓発を求めて公的説教ではなく神を待ち望んだのである。彼らは自分たちの集会の中でシュヴェンクフェルトの本や手紙を読んだ。また、彼らはシュヴェンクフェルトを支持する他の団体に手紙を書き送り、返答の手紙を受け取って自分たちの集会で読んだ。彼らは宗教的実行のいかなる形式にも反対した。それらは自分たちの霊にとって不可解なものであり、神の御言葉の内的務めから直接発したものではないように彼らには思われた。彼らは最終的に見つかって、その指導者たちは追放され、その書物は焼かれ、そのいわゆる「静かな霊性」の小さな集会は情け容赦なく撲滅された。このような団体が多くの場所に形成され、祖国で内的敬虔を育み続けたが、とうとう迫害に見舞われて、一七三四年にペンシルバニアに移住した。その地で彼らは今日に至るまで彼らの共同体生活を維持し続けている。

しかし、シュヴェンクフェルトの生涯と働きが及ぼした最も重要な影響を、彼の使徒的活動に由来するこれらの可視的団体の歴史の中に求めてはならない。彼の第一の関心事は常に、全世界中に神の目に見えない共同体を建設することだった――分派を促進することではなかった――そして、彼の為した最大の貢献は、静かで時として気づかれることのない次のことによって分かるだろう。すなわち、彼の精神の伝播によって、彼の思想の伝染的普及によって、彼の名をほとんど知らなかったクリスチャンの団体や個々の信者たちに及ぼした彼の真理と洞察力の漸進的影響によってである。彼の手紙は非常に膨大だった。彼の無数の本や小冊子は、熱心な読者や伝播者を得た。そしてゆっくりと――ゆっくりすぎて人目につかなかった――この住み家なき改革者の霊的メッセージは、神の新しいイスラエルの慰めをあらゆる土地で祈り求めていた忠信な人々の内的生活の中に入り込んでいった。早くも一五五一年に、イギリスの作家であるウィリアム・ターナーは、「特にアナバプテストという獰猛な分派によって再発したペラギウスの毒に対する防腐剤及び糖蜜」として書かれたある本の中で、「シュヴェンクフェルトの支持者たち」のことを「七つの頭を持つ水蛇のように多くの頭を持つこの怪物」の頭の一つとして述べている。しかし、シュヴェンクフェルトの見解――「毒」と言われようと「糖蜜」と言われようと――が十六世紀のあいだイギリスに広まっていたことを示す証拠は僅かしかない。とはいえ、それらは十七世紀になると明白である。十七世紀における彼の影響の最も明確なしるしの一つは、イギリスとオランダの両方における諸々の原則の拡大となって表れている。それらの諸原則はオランダの「コレジアンツ」のうちに、またそれに対応するイギリスの「探求者たち」の諸団体のうちに具現化された。両国のこれらの群れの基本原則は次のような信条だった。すなわち、可視的教会は背教してその神聖な権威の力を失い、今や使徒的務めと効果的礼典と真の使徒継承の証拠である「御霊の賜物」とに欠けている、という信条である。それゆえ、この見解を奉じる者たちは、「連れ合いのいない鳩のように」、新しい使徒職の出現と、人々の上に神の霊が新たに注がれることと、当初のように実際的な証拠と力との中で教会が再建されることとを待ち望み求めていたのである。

可視的教会はその当初の力と権威を失っている、というのがシュヴェンクフェルトの確固たる見解だった。そして彼はまた、神が良しとされる時にそれは再びその元の活気とその当初の征服力とに回復される、という不屈の信仰と希望を抱いていた。「私たちは問います」と彼は記している。「使徒的類型に属する、キリストのみこころにかなう外面的教会は、今日、世界のどこに共に集まっているのでしょう」。そして、世界中の至るところに散らされてはいるものの――トルコやカルカッタにも――神は御自身の忠信な民を持っておられる、と彼は言う。彼らはただ神だけが御存知であり、キリストのような聖なる生活を送っている。また、肉体となられた生ける御言葉であるキリストは、彼らを内面的に聖霊でバプテスマし、外面的な説教や礼典を用いずに彼らを内面的に養い、御自身の律法を彼らの心の中に書き記して永遠の命の中に導き入れて下さる。しかし、使徒的な完全に改革されたキリストの教会、すなわち彼の生けるからだにして御霊の器官が、神聖な賜物と力と職務とを帯びて、世の中に再び現れる時が来ようとしている。「それまでは、選ばれた神の子供たちよ」と彼は記している。「次のことに喜びと慰めを覚えよ。すなわち、あなたたちの救いは外面的教会や、礼典の使用や、外面的ないかなるものにも基づいておらず、ただ私たちの主イエス・キリストにのみ基づいており、真の生ける信仰を通して受けるものなのです」。

シュヴェンクフェルト自身にとって重要な問題は、この内なる命が増し加わること、人々の心の中で神のこの王国が静かに成長すること、この目に見えない教会が広がることだった。しかし、神は最終的に御自身の可視的教会の昔の栄光を回復されることを、彼の書き物は明確に示唆している。「あなたたちは」と彼は手紙の一つの中で述べている。「神が真の使徒たち、説教者たち、伝道者たちを起こして下さるよう、熱心に祈るべきです。それは彼の教会がキリストにあって改革され、聖霊にあって教わり、統合されて一つになるためです。また、福音の純粋な宣べ伝えと、礼典に関する正しい理解とその使用に関する私たちの誇りが、神の御前で真実なものとなるためです」。そして、次のような時が来つつあるとわれわれは信じることができる。その時、礼典はキリストのみこころにしたがって用いられようになり、真のクリスチャンの教会が出現するのである。その教会は外面的には使徒的奉仕者たちから教わり、内面的には主御自身から教わるであろう。しかしながら幸運なことに、救いはいかなる外面的なものにも基づかない。そして、停止もしくは暫定の期間中、外面的礼典を休止しても何も恐れるべき危険はない。

セバスチャン・フランクは、この待ち望みつつ追い求める姿勢のことを、当時よく知られていたものとして絵画的に記述している。彼はその「歴代誌」(一五三一)の中でこう記している。「神がさらなる命令を与えて、収穫場に真の働き人たちを送って下さるまで、バプテスマや他の礼典の停止(明らかにシュヴェンクフェルトの停止のことである)を許可することをいとわない者たちもいる」。オランダとイギリス両国における、この探求者たちが示した熱烈な待望は、もちろん、ずっと後になって発達したものであり、多くの影響によるものだった。そして、シュヴェンクフェルトの改革の働きや彼の福音メッセージとのつながりは間接的なものにすぎない。この探求者たちの大袈裟な強調は、現存する実在としての霊的キリスト教のより深い意義を彼らが捉えそこなっていることを示している。また、この真理を見逃していることを示している。この世はこの真理を痛ましいほど遅々と理解してきた。その真理とは、使徒的かつ効果的な可視的教会を形成する唯一の道は、突発的奇跡や地殻変動的「復興」「職務」によるのではなく、この内なる王国、この目に見えない教会が外側の可視的教会の霊と命となる、そのゆっくりした伝播と征服力によってである、という真理である。この真理をシレジアの改革者はよく知っていたのであり、それゆえいかなる代価を払っても神のこの目に見えない共同体の静かな使徒となって、その外側の有機体やその務めの器官は神御自身の方法に委ねる覚悟をしていたのである。オランダの諸団体だけでなくイギリスの探求者たちの間にもいた比較的気高い人々は、霊的宗教に関するこのさらに壮大な見解に徐々に至った。そして、シュヴェンクフェルトと同じように、救いの実際の過程は内的かつ動的であることを理解するようになった。サムエル・ラザフォードは、公平な判断という点で、すなわち彼自身の霊的経験の型にはまらないものに関しては、あまり当てにならない。しかし、当時の霊的・内的宗教の指導者たち、特に探求者の数々の願望を共有していた者たちをシュヴェンクフェルトと関係づけている点では、彼は正しい道筋を辿っている。ラザフォードの記述は全く不公平であり、誤りだらけだが、少なくとも次の事実を示すには十分である。すなわち、イングランド共和国の期間、シュヴェンクフェルトは生ける力だったのである。また、彼が郷里のウルムを「去って」から約百年たっていたけれども、神の共同体と家族をますます拡大するために、彼は依然として弟子たちを作っていたのである。