一、来世への信仰は、どの民族、どの時代にも見受けられる。願望は、それが満たされる可能性を暗示する。渇きは水の存在を、飢えは食物の存在を暗示する。永生への願望は、それ自体がその成就の証である。
二、また、私たちには、この世では決して満たすことのできない、より高尚で崇高な霊の欲求がある。ゆえに、これらの欲求を満たすことができるもう一つの霊的世界が存在するはずである。この物質世界は、いかなる手段によっても、私たちの霊の渇望を満たすことはできない。
三、魂の真の欲求は、魂を創り、そのうちにご自身への渇望を宿らせた神によってのみ満たされる。神は人をご自身に似せて造られたため、人のうちには神的な性質の一端があり、それが神との交わりを切望する。類は友を呼ぶのが生き物の法則である。そして、私たちが永遠に生ける御方に根ざすとき、私たちは満足するだけでなく、この御方にあって永遠の命を持つのである。