七 愛

サンダー・シング

金井為一郎 訳

オリーブ園 編集版

一、神は愛の源である。宇宙空間に世界を留めている重力は、いわばあの霊的重力――すなわち、その源が神である愛――の物質における現れである。磁石が鋼を引きつけるのは、鋼が貴重な金属だからではなく、鋼が応答する性質を持っているからである。磁石は金を引きつけない。金はより価値があるかもしれないが、応答性がない。神もまた同様に、どれほど罪深くとも、悔い改めてご自身に応答する者を引き寄せられる。自己を義として、神の愛の支配に身を委ねない者を引き寄せることはない。

二、キスは母親がわが子に抱く愛の外的なしるしである。もしその子が伝染病にかかっている場合、母親はキスを控えるかもしれない。しかし、苦しむ子に対する母の愛は、減るどころか、むしろ増す。なぜなら、その子にはより多くの世話と愛が必要だからである。同じように、神は罪という伝染病の犠牲者を外面的には見捨てているように見えるかもしれない。しかし、神の愛は、わが子に対する母の愛よりも無限に深いのである(イザヤ四九・十五)。神の他の属性と同様に、神の忍耐もまた無限である。人間は、小さなやかんのように、ごく小さな過ちにもすぐに怒りで沸騰する。しかし、神はそうではない。もし神が同じように怒りやすかったなら、この世界はとうの昔に瓦礫の山となっていただろう。

三、二人の人が同じ人を愛するとき、彼らは互いに競争相手となり、嫉妬し合う。しかし、神に対する人の愛の場合はそうではない。神を愛する人は、他の人々が神を愛していても嫉妬しない。むしろ、彼らが神を愛していないと悲しむ。人に対する人の愛と神に対する人の愛とのこの違いは、神の愛が無限だからである。人は、自分を愛してくれるすべての人に平等な愛情をもって応えることはできない。なぜなら、人の愛の容量は限られているからである。しかし、神の愛の容量は限りがなく、それゆえ、すべての人に十分なのである。

四、キリストは私たちのうちに生きてくださり、私たちの全生涯はキリストの御生涯のようになる。塩は水に溶けると見えなくなるが、存在しなくなるわけではない。水を味わえば、塩がそこにあることは確かにわかる。同じように、内住のキリストは目には見えないが、キリストが私たちに与えてくださる愛によって、他者に明らかにされるのである。