十二 十字架

サンダー・シング

金井為一郎 訳

オリーブ園 編集版

一、好むと好まざるとにかかわらず、私たちは十字架から逃れられない。キリストの十字架を負わないなら、この世の十字架を負うことになる。初めは、キリストの十字架は重く、この世の十字架は軽く見えるかもしれない。しかし、経験が示すように、実際には、この世の十字架は重く、それを負う結果はローマ帝国時代のように奴隷の死である。だが、キリストはご自身の十字架を栄光に変えられた。かつて十字架は恥と死の象徴だったが、今では勝利と命のしるしである。その十字架を負う者は、十字架が自分を支え、目的地へと安全に導いてくれることを経験から知っている。しかし、この世の十字架は私たちを引きずり下ろし、滅びへと導く。あなたはどちらの十字架を取っているだろうか。立ち止まって考えてみよ。

二、十字架は人それぞれ、その働きや霊的状態によって異なる。外から見ると釘だらけに見えるかもしれないが、その本質は甘美で平安に満ちている。蜜蜂には針があるが、甘い蜜を生み出す。十字架の外面的な困難を恐れるあまり、その偉大な霊的祝福を失ってはならない。

三、山を登ったり下りたりすることに疲れた無知な旅人は、神が山を創造したのは間違いだった、平地だけを造っておけばずっとよかったのに、と考えるかもしれない。それは、彼が山の多くの用途や、そこに蓄えられた富を知らないからである。まず、山は水の循環を保っている。そして、世界における水の循環は、体内の血液循環と同じくらい不可欠である。同じように、人生の浮き沈みや、十字架を負う苦難は、私たちの霊の命を循環させ、停滞を防ぎ、魂に数えきれない祝福をもたらすのである。

四、大戦中、肥沃な土地に塹壕が掘られ、畑は破壊された。しかし、やがてその塹壕に美しい花や果実が現れ始めた。その土壌が肥沃であり、さらにその下にはもっと肥沃な土があることが発見された。同じように、私たちが十字架を負い、苦しむとき、魂の中に隠されていた豊かさが現れてくる。破壊的な過程に見えるものにも、絶望してはならない。それは、魂の中に隠されていた未使用の力を働かせるからである。

五、スイスで、ある羊飼いが一頭の羊の足を折った。なぜそんなことをしたのかと尋ねられると、羊飼いはこう答えた――その羊は、他の羊を迷わせ、危険な高地や崖に連れて行く悪い癖があるからだ、と。羊はひどく怒っていたので、羊飼いが餌を与えに来ると、噛みつこうとすることもあった。しかし、しばらくすると羊は友好的になり、羊飼いの手を舐めるようになった。同じように、悲しみや苦しみを通して、神は不従順で反抗的な者を安全と永遠の命の道へと導かれるのである。

六、冷たいとき、すべての気体は光を吸収し、熱いときには光を放出する。同じように、私たちが霊的に冷えているとき、「義の太陽」が常に周囲に輝いていても、私たちは闇の中に生きている。しかし、十字架の摩擦によって聖霊の火が私たちの内に燃え上がり、暖かさが生じると、聖霊の光によって、まず自分自身が照らされ、そしてその光を他者へと運ぶ者となるのである。

七、ダイヤモンドはカットされなければ美しく輝かない。カットされると、太陽の光がその上に降り注ぎ、驚くべき色彩で輝く。同じように、私たちも十字架によってカットされて成形されるとき、神の国で宝石のように輝くのである。