一、ミツバチは蜜を集めるために花へと向かう。この楽しい働きの最中に、時としてクモに刺されることがある。刺されると麻痺し、ミツバチはクモの格好の餌食となる。同様に、サタンは悪しき場所だけでなく、私たちが善く、有益で、喜ばしい働きに従事している時にも私たちを攻撃することがある。もし私たちが祈り深くなければ、サタンに襲われて打ち負かされるおそれがある。
二、罪のために良心は麻痺し、意志は弱くかつ無力となる。そのような状態にある人は、死と危険が目前に迫っているのを見ても、それを避けることができない――それほどまでに無力である――たとえそれを避けたいという強い願いがあったとしても。かつて真冬のこと、ナイアガラの滝に向かって漂う死体に猛禽が止まって夢中で食べていた。滝に近づくと、その鳥は死体から離れて逃げようとした。しかし、爪が凍りついていて飛び立つことができず、轟く水の中に落ちて、惨めな死を遂げた。
三、敵からのあらゆる攻撃や危険から身を守るには、主との交わりのうちに生きることによって、私たちは主のようになる必要がある。雪国では、自然は動物や鳥を白く装わせ、周囲の環境と同じ色にすることによって攻撃から守っている。環境が異なる場所では、動物たちはそれぞれ異なる装いをしている。カメレオンやヒラメは瞬時に色を変えることができ、周囲の環境と同じ色をまとって敵から逃れる。しかし、盲目の魚は周囲の色が見えないため、そうすることができない。同じように、霊的な視力を持つことは極めて重要である。キリストを絶えず見つめ、彼に従うことによって、私たちは彼のようになり、彼のうちに永遠に安全に生き、敵のあらゆる攻撃から守られるのである。