一、人の大敵は虎や狼や蛇のような大きな動物だけではない。顕微鏡でしか見えず、食物や水や空気を通して体内に入り込む小さな病原菌は、しばしばそれ以上に危険であり、致命的な病を引き起こす。それと同様に、大きな罪だけが魂にとって致命的なのではなく、隠れた悪しき思いは大小の罪の病原菌のようなものであり、さらに破壊的である。私たちは、これらの病原菌を心の中から最初の段階で取り除くよう努めなければならない。そうすることで、私たち自身も他の人々も、その致命的な結果から逃れることができる。
二、私たちの体の中には、健康のための菌(食細胞)と病気の原因となる菌(バクテリア)が存在する。なんらかの状況下で病気の菌が増え、健康の菌を圧倒すると、人は病になり、適切な治療を受けなければ死に至る。しかし、健康の菌がより強ければ、病気の菌に抵抗し、それを殺すことができ、人は完全な健康を享受する。同様に、私たちの善い思いは悪しき思いを圧倒し、罪の害から解放された健全な健康を享受する助けとなる。この勝利は、あらゆる善、喜び、完全な命の源である聖霊の助けなしには得られない。
三、悪しき思いに圧倒されて、すべての希望を失い、深い絶望の中で自殺してしまう人々もいる。しかし、彼らは自らを殺すのではなく、むしろ神の助けによって、希望と勝利の力を奪うその思いを殺すべきである。命を絶つために毒や凶器を用いるのではなく、祈りのような霊的な手段を用いて、悪を根こそぎ滅ぼすべきである。そうすれば、私たちは自らを殺すのではなく、自らを救うことになり、そうすることで他の人々が自らを救う助けにもなるのである。
四、利己心もまた、ある意味では自殺である。なぜなら、神は私たちにある種の能力と資質を与えてくださったが、それは他者の益のために用いるためだからである。他者を助けることによって、私たちは新たな喜びを見いだし、同時に自分自身も助けることになる。これは私たちの内なる存在の法則である。もし他者を助けなければ、私たちはこの喜びを失う。隣人を自分自身のように愛さないことによって、私たちは神に背くことになる。そのような不従順は魂の糧である喜びを私たちから奪う。このような飢えによって私たちは自らを殺すのである。利己的な人は自分の利益のために働いていると思っているが、知らず知らずのうちに自分自身に大きな害を与えている。もしすべての人が利己心を捨てる決心をすることができたなら、世の中の争いや闘いはすべて終わり、地上は天となるだろう。すべての罪は利己心から生じる。だからこそ、主は私たちに、自分を否んでご自身に従うよう命じられたのである(ルカ九・二三)。
五、もし私たちが常に他人を批判し、責めるならば、他人にも自分自身にも大きな害を及ぼす。しかし、自己賛美を捨てて自分自身を批判するならば、それは私たちを改革し、他人に対して思いやりと愛を持つ者に変える。このようにして、他人も私たち自身も益を受けることになる。そして、私たちは約束の地、すなわち真の愛の王国を受け継ぐのである。