二三 「地上の旅人また寄留者」

サンダー・シング

金井為一郎 訳

オリーブ園 編集版

一、ある哲学者が、完全な静けさと安息の場所を求めて世界中を旅した。しかし、彼は至る所で罪と悲しみ、苦しみと死を見いだした。こうして得た知識と経験によって彼は、この世は私たちの永遠で真の住まいではない、私たちの魂が深く憧れている真の住まいは別の場所にある、という結論に至った。そこにおいて、魂は完全な安息を得るのである。

二、かつて、一羽の鳥がメキシコ湾付近で捕らえられ、八百五十マイル離れた場所へ送られた。その鳥は密閉された檻に入れられ、自分がどの道を通って運ばれたのかを知らなかった。しかし、成長すると、その鳥は何の案内も助けもなく元いた場所へと戻ってきた。本能のなせる業だった。それと同じように、神の恵みによって良心が生きている人は、この儚い世を離れ、聖霊の導きと助けによって、永遠の住まいである天――そのために人は創造されたのである――へと至るのである。

三、ある博物学者が、ナイチンゲールの卵を寒い国へ持ち込み、孵化したらその国を故郷と見なして留まってくれるのではないかと期待した。しかし、卵からかえった鳥たちは、夏が過ぎると、元の故郷へと飛び去り、二度と戻ってこなかった。同様に、私たちはこの世に生まれたものの、この世のための者ではない。肉体を離れる時が来れば、永遠の故郷へと移っていくのである。

四、死の時に、魂は死ぬのではなく、遠く離れた場所へ行くのでもない。むしろ、死を通して魂は新たな生を始め、新たな状態に入るのである。ちょうど、母の胎から出てきた子供が、新たな状態に入ることによって新しい生を始め、しかし、その子が生きる世界や場所は同じままであるように、霊もまた、体から出た後、より優れた霊的状態に入るが、それが生きる世界は同じままである。母の胎の中の子供も、体の中の霊も、自らの将来の状態については無知のままである。それは彼らの目から隠されているからである。子供は胎から出た後、自分が出てきた胎を見ることができず、魂もまた、体を離れた後は、ある特別な条件を除いて、自分が出てきた物質世界を見ることができない。それは、魂が常に霊的世界に生きており、物質世界は霊的世界に包まれた粗い物質にすぎないからである。子供が臍の緒を切られることによって母の胎から切り離されるように、魂もまた銀の紐を切られることによって体から切り離される(伝道十二・六)。母の胎が子供にとって、そして体が魂にとって、将来のための準備の場である。霊は体から離れ、神の御前へと移る。そこで霊は真の使命と完成に至るのである。