二五 キリストの啓示

サンダー・シング

金井為一郎 訳

オリーブ園 編集版

一、聖霊を受けなければ、たとえ一生キリストに従ったとしても、キリストの偉大さと神性を理解することはできない。これは弟子たちの経験から明らかである。キリストは弟子たちを、より低い働きから、より高く、より尊い働きへと召された。すなわち、魚をとる漁師から人をとる漁師へと召されたのである。彼らは三年間、キリストと共に過ごした。その間、彼らは人々に救いの良い知らせを宣べ伝えるという尊い働きをした。しかし、キリストが十字架につけられて葬られたとき、彼らのすべての希望はその墓に葬られた。弟子たちはかつて生活のためにしていた古い仕事に再び戻った。しかし、彼らが死んだと思っていたキリストは死からよみがえり、幾度も彼らの前に現れた。ある時、キリストがガリラヤ湖畔で弟子たちに現れたとき、ペテロは主であることを認識し、非常に恥じて水の中に飛び込んで身を隠した。これには、おそらく二つの理由があった。 一つは、これがキリストを否認した後にペテロがキリストを見た最初の時であり、彼は恥じてこう考えたことである。「自分はキリストのためなら命さえも捨てる、決して彼を否まない、と厳粛に宣言したのに、結局は否んでしまいました。今になってどうして彼の御前に立てるでしょう?」。最もありえそうなもう一つの理由は、彼が次の事実に気づいて恥ずかしくなったことである。すなわち、三年前、まさにこの場所で自分や他の弟子たちは人々をキリストに導くという偉大な働きに召されたのに、三年後の今、自分たちはその尊い働きを捨てて、元の仕事に戻り、同じ場所でその仕事に従事している、という事実である。彼らは本来、キリストに召された偉大な働きを続けるべきだったのである。キリストが死からよみがえられたとき、彼らの死んでいた希望もまたよみがえった。さらに彼らが聖霊の満たしを受けたとき、彼らは新たにキリストの神性を悟り、迫害や殉教にもかかわらず、生涯の終わりまでキリストを宣べ伝え、召された働きを続けたのである。

二、現在、多くのクリスチャンが、キリストの偉大さと神性をその内なる生活の中で体験することなく、キリストに従っている。そのため、彼らは道を踏み外している。彼らはキリストを何世紀も前に生きて死んだ偉大で完全な人だったと考えている。しかし、悔い改めて祈る者には、キリストは再びその栄光と力をもってご自身を現される。聖パウロに現れたように。彼らはキリストとの交わりを新たにし、聖霊の力によって、生涯の終わりまで忠実にキリストに仕えるのである。