二六 謙遜

サンダー・シング

金井為一郎 訳

オリーブ園 編集版

一、キリストの霊が私たちのうちに宿っていなければ、神でありながら僕の姿を取られたキリストのように謙遜で柔和になることはできない(ピリピ二・六~七)。私たちは、自分が何者であるかを忘れて、心の中に偽りの誇りを抱いてはならない。誇りによって、私たちは真理から離れ去り、自らを滅ぼすことになる。たとえ私たちが他の人々よりも多くの進歩を遂げたとしても、ダイヤモンドと石炭が同じ物質――すなわち炭素――からできていることを忘れてはならない。異なる条件のもとで、それらは異なる形を取るが、ダイヤモンドは高価であっても、石炭と同じように完全に燃え尽きてしまうのである。

二、崖の縁に立って下を見下ろすと、たとえその深さが数百フィートしかなくても、めまいを感じ、恐れを抱く。しかし、天を見つめる時は、たとえ遥かに高いところまで見渡しても、決して恐れることはない。なぜか?それは、上に落ちることはないからである。しかし、下に落ちて粉々に砕け散る危険はある。神を見上げる時、私たちは神の中で安全であり、何の危険もないと感じる。しかし、神から顔を背けるならば、私たちは実在から落ちて粉々に砕け散ってしまうのではないかという恐れに満たされるのである。