二七 時間と永遠

サンダー・シング

金井為一郎 訳

オリーブ園 編集版

一、真の時間、すなわち実在との関係における時間は永遠である。私たちが知っている時間は、その真の時間の過ぎゆく影にすぎない。神にとっては過去も未来もなく、すべてが現在である。神は無限の知識を持っておられるので、過去も未来もその御前にある。しかし、私たちにとって現在は存在しない。それは、未来が過去へと移りゆく一瞬の流れにすぎないからである。すべての瞬間は未来から現れ、想像もできないほどの速さで過去へと滑り込んでいく。過去も未来も、私たちにとっては存在しない。それらは私たちの手の届かないところにあるからである。したがって、時間は私たちにとって実在ではない。私たちが眠りから目覚めるとき、眠っていた間にどれほどの時間が過ぎたのか、ほとんどわからない。目覚めている間でも、時間は非常に非実在的である。悲しみや苦しみの中では一日が一年のように感じられ、喜びの中では一年が一日のように感じられる。時間には実在性がない。なぜなら、実在はどんな状況下でも現実であり、私たちは永遠なる実在のために創造されたので、時間に対する感覚を持っていないからである。

二、年、月、日、時、分、秒は、空間における事象や物体の変化を基準として、いわゆる時間を作り出す。空間の中のいかなる物体を取っても、その変化が時間を生み出す。変化が起きているとき、それは現在であり、変化がすでに起きたとき、それは過去であり、変化がまだ起きていないとき、それは未来である。物体が変化するとき、時間もそれと共に未来や過去へと変化する。しかし一方で、実在自体は変わることがなく、それが結びついている永遠も変わることがない。

三、時間は変化し、忘却の中に消え去るかもしれない。しかし、私たちが時間の中で行ったことは決して消されることなく、永遠へと移るのである。

「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし神のみこころを行う者は永遠にながらえる」(一ヨハネ二・十七)。

(完)