サンダーシングとベルクソン
この原稿が既に印刷屋の手に渡る約束のできた時、一日森溪川牧師の御来訪を受けた。談が一九二二年第二回目のヨーロッパ伝道のことに及び当時世界第一の哲学者フランスのアンリ・ベルクソンとの会見のことがアパサミー監督の綴った伝記の中に短く書かれていると話したところ、森牧師は非常に興味を覚えて、それはぜひ序文か附録かに入れてもらいたいとの御勧めに従い同感の読者もあろうと思って挿入することにした。
彼の第二回ヨーロッパ伝道は驚くべき影響を各国に与えた。まずスウェーデンではウプサラ大学の総長でルーテル派(国教会)の監督、また国際的新教の指導者であったゼーデルブローム博士が「ルターとサンダーシング」という伝記を著し、全国を自分が通訳者として回ったので、どこへ行っても彼を見その話を聞こうとして集まる大衆を入れるに足る会館を見いだすことができなかった、仕方なく野外で大衆に語ることが多かった。それからノルウェー、デンマーク、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、殊にスイスでは非常な熱意をもって迎えられて、この単純な福音の証者の言を聞こうとして集まり、ドイツのマーブルグ大学教授フリードリッヒハイラー教授は「東洋及び西洋の使徒」と題して相当大部の伝記をもって紹介した(日本訳、四六版五三○頁)。その中には教授の友人であるスイスの牧師の手紙に、「自分は生まれて以来最も深い喜びに満たされた数十分を持つことができた。それはサンダーシングの説教を聞いている間であった。聞いているうちに、彼が語るのではなくてキリストが彼を通して自分の霊魂に語るのを経験したからである云々」とある。その他の幾つかの異状な実例もあがって来て、実際ヨーロッパの信徒、求道者達は彼を通して語る生けるキリストの前にひざまずくような状態であった。
その集会に出席したアンリ・ベルクソン――その当時だれもが彼のことを独創的な世界第一の哲学者として認めていた――はこの不思議な力が何処から来るのか探求して見たいと思って、極く小数の人々と共に彼に個人的会見を申込んで、十分考慮し準備した質問を試みた。その内容はむろん、何処でも未信者から受けるところのキリストの顕れというのは彼の主観の産物でないという保証は何処にあるか、その伝道で起きた様々の超自然的奇蹟の性質、確実性等々がこれに含まれていた。この学者の鋭い質問に対して極めて率直に答えていった後、彼の方からベルクソンに向かって質問した。「そこで貴方はキリストをどう御思いになりますか」と。ベルクソンは暫く考えた後、「私はキリストは人間ではないと思います」と答えた。つまり超人間、神たることへの朧な証認とでも言えようか。暫く間をおいて彼は憂を帯びた顔をして言った、「しかし私の哲学の中にキリストはなかった」と。
その後のベルクソンの思想と生涯がどのようになっていったかを私は知らない、しかし真理を求めて止まない人の心は遂にキリスト御自身にまで導かれたであろうと想う。我々はキリストと当時の学者ニコデモとの対話(ヨハネ三・一~十五)を思って非常な興味を感じると共に、人間の理知と思索のみで達し得る限界と上から開かれるものとの相違をも知るのである。(マタイ十一・二五~二七)。