四、十字架を負う者たち

サンダー・シング

金井為一郎 訳

(オリーブ園編集版)

殉教者カーター・シング

この青年はパチアラ州のサンダー・ハルナム・シングの息子であった。彼の父は彼がクリスチャンになろうとしていると聞いて、できる限りそれを阻止しようとした。息子は答えた、「至る所で私は救い主を探しましたが、どこにも見つかりませんでした。しかし今や遂に、御言葉を通して神は私に救い主は主キリストであることを啓示してくださいました。そして今、私は彼から離れることはできません。この方は、私の代わりにご自身の命を与えて私を救ってくださったのです」と。すると彼の父は彼が心から愛している婚約者を呼んだ。その娘の名はバーグワン・クンワールといって、美しく行儀のよい人だった。彼女は来て言った、「おお好運に恵まれた人よ、あなたは快適さや若さや地位を全く顧みないというのでしょうか。よくお考えください。さもないと後で後悔するでしょう」と。

カーター・シング:「私のつまずきの石にならないでください。快適さや若さや地位は一時的なものにすぎませんが、キリストは私に永遠の御国と神の子供となる権利とを与えてくださいました。あなたも私と共にこの特権を得たいと思いませんか。」

バーグワン・クンワール:「私はすでに私の心をあなたに差し上げました。あなたもあなたの心を私に下さらないでしょうか?」

カーター・シング:「おお、バーグワン・クンワール、私の胸の中には心が一つしかありません。そしてそれを私はすでに一人の方(それはキリストである)に与えてしまいました。もはや何処にもあなたにあげる心はありません。あなたもご自分の心を私から撤回して彼に捧げるべきです。」

バーグワン・クンワールはこれを聞いて泣きながら去って行き、すべてを彼の父に話した。父は怒ってカーター・シングを呼び、着ている衣服を全部脱いで家を去ることと、その時から彼との関係を全く断つこととを命じた。時は十二月のしかも夜間であった。どうしようもなかった。従うしかなかった。そこで彼は衣服をすべて脱いで父の足許に置き父に言った、「私は今日これらの衣服を脱ぐことを恥としません。イエス・キリストの義が私の裸と罪を全て覆っているからです」と。その後、父の命令に従って、彼はいつものように祈りつつ家を去った。

二、三日間、彼は森の中に住んだ。飢えと寒さに苦しめられたが、彼の心は平安に満ちていた。想像してみよ、豪邸で贅沢に育った彼にとってそれは何という経験だったかを。彼は貧困や問題を全く知らなかった。今や彼には生計を立てる手段が何もなかった。三日目に彼はある人の所へ行き、その人のために労働した。それで、自分のためにターバンと衣服とを買えるようになった。その後、彼はサドゥーの格好をして、十字架につけられたキリストの福音を宣べ伝えるためにチベットへ行った。

道中、彼はラバルサンキ牧師からバプテスマを受け、昼も夜もチベット語を勉強した。その後、道すがら福音を伝えて、チベットの町タシガンに着き、そこで三ヵ月間伝道した。すべての人々が彼の敵になった。或る時、彼がその地から去ろうとしないことに気づいて、人々は彼を布で縛りあげ、交互にかついで、その地域の外に連れて行き、そこに置き去りにした。しかし数日後、彼は戻って来た。そこでラマ僧は彼に死刑の宣告を下した。それを聞いてカーター・シングは言った、「あなたたちは何でも好きなことを私にすることができる。しかし私はこの場所を離れない。私に対する主の愛と、彼に対する私の兄弟愛とが、あなたたちのために私の血を流して捧げるよう私を強いているからである。それはあなたたちが真理を信じて滅びから逃れるためである。おおラマよ、悔い改めて主を信じよ、さもなければいつの日かこれと同じように永遠の死の宣告があなたに下されるだろう。」

その後、彼らは彼を刑の執行場所である丘へ運んで行った。彼らが丘を上って行く時、彼は彼らに言った。「もはや私がこの丘を下ることはないでしょう。しかし私は三日後によみがえって、私の愛する主のおられる天に昇るでしょう」。その丘の上に着くと、彼らはヤク(チベット牛)の皮で彼を縛り上げて横たえた。このように縛り上げて、日光に曝した。日が照らすにつれて、その皮は徐々に縮んできつくなっていった。三日間この忠実な僕はこの苦しみにさらされたが、賛美の歌を歌い続け、敵の幸いのために祈り続けた。このような苦境の中で彼がこんなにも喜んでいるのを見て、人々は驚いた。彼らのある者は言った、「彼に神々の一柱が乗り移っているに違いない」と。四日目に、彼が苦痛から解き放たれて永遠の安息に入る時が来た。彼は最後の言葉を書くために片手を出す許可を求めた。人々はそれに応じて、片手を自由にして鉛筆を持たせた。彼は自分の福音書の一つの頁に以下の様な数行の詩を書いたが、それは今もラマ僧の書記が所有している。

彼は私に命を与えてくださった、その与えられた命はなお彼ご自身のものであった。
実を言うと、私は彼に対していかなる意味でも報いることができていない。
十分に感謝するには、あの尊い御名の栄光のために自分自身を千回犠牲にする必要があろう。
私は神に求めよう、一つではなく十万の命を。それは私の友なる御方のために十万回死ぬためである。
私は祈る、彼に対する私の愛が、死んだ夫の亡骸とともに焼かれるヒンドゥーの女の愛に劣らぬようにと。
再会する望みなき死んだ夫のために彼女がそこまでするならば、命の君なる生ける主のために私はそれ以上のことをすべきではないか?
ヒンドゥーの女の行いに及ばないなら、それは私にとって恥である。

それから彼は人々に呼びかけて言った。「あなたたちはクリスチャンの死を見ようとして立っているのですか?来てよくご覧なさい。クリスチャンではなく死がここで死ぬのです。おお主よ!私の霊を御手に委ねます。それはあなたのものだからです」と。こう言って、彼は主と共なる永遠の安息に入り、私たちに一つの模範を残した。

パチアラ駅でこの証しについて語った時、私は一人の高貴な人が激しく泣いているのを見た。後で尋ねたところ、彼はカーター・シングの父親であることがわかった。彼は泣きながら言った「ああ!息子がこれほど献身的なクリスチャンだとは知らなかった。知っていれば、あのような酷い扱いをしなかったものを」。それゆえ、彼がクリスチャンとなり殉教したことの結果として、彼の父は隠れクリスチャンとなり、彼の殉教したその場にいた者たちのうち、何人かもまたクリスチャンになったのだった。

殉教者グル・バドシャー

カーイル・ウルラ牧師が最近アフガニスタンで殉教したこの人について私に話してくれた。彼はクリスチャンになった後、その親近のもとに帰った。彼らは初めは全く優しくその後は荒々しく、彼にキリストを否定しカリマを復唱してイスラム教に復帰するよう告げた。しかしその神の人は繰り返し宣言した「私はクリスチャンである、キリストを否定して生きるよりは死んだ方がずっとましである」と。すると彼らはナイフで彼を切り始めた。彼らは彼を切り刻んだが、彼は喜んで彼らの幸福のために祈り続け、死に至るまで断固たる姿勢を貫いた。おお読者らよ、考えよ!キリストへの奉仕と証のために、多くの人が体と心と富だけでなく命をも捧げたのだ。あなたは彼のために何をしたか、また何をする覚悟か?今こそ神の国でこれらの人々に連なる好機である。さもなければ、

あなたの命が尽きる日が速やかに来て、
二度とここに戻る望みはない。

盗人たちに対する友愛

ある時私の友人の一人が祈っていると、三人の盗賊が家に押し入って、物を少し盗んで出ていった。彼は彼らのために祈ってから、その後を追いかけて行って、彼らを呼び戻して言った、「忘れ物がありますよ。必要なものをみな持って行きなさい」。彼はトランクや箱などを開いて、あったものをすべて彼らに与えた。それから、彼は食物を供えて言った、「あなたたちは飢えているでしょうから、去る前に召しあがってください」と。最後に彼は一冊の聖書を彼らに与えて言った、「これを持って行ってください、他の何物にもましてあなたたちに必要なものですから」。三人の盗賊の内の一人は後に回心し、他の二人も新しい生活を送り始めた。祈りは牢獄にはできないことができるのである。

他の頬を向ける

一人の伝道者と共に中央市場を歩いていた時、私は一人のモーラヴィー(イスラム教の法学者のこと、訳注)に歩み寄った。彼は説教に激しく反対したが、立って傾聴していた。怒りが高じて彼が私を平手打ちしたので、私は他の頬を彼に向けた。彼は恥じて、沈黙した。夜になって彼は伝道者のもとに人を遣わして言った「どうか私のためにサドゥーに会う手配をお願いします。私の過誤に対する赦しを求めるためです。私は眠ることができないからです」と。しかしその時、私は遠く離れた所にいた。朝になってようやく、その伝道者は問い合わせをして私をつかまえられたのだった。彼は言った、「モーラヴィーがあなたと一緒に食事をしたいと言って呼んでいます」と。神に栄光あれ、神は彼の心を全く変化させられた。彼が生ける証し人となるよう願う。