初版への序言

T. オースチン-スパークス

この小冊子の内容は大部分、大会のメッセージ集として与えられました。出版するとき、口語調やその場の調子は変えていません。神はしばしば、キリストのからだである教会のいのちと証しにとって中心的な基本的事柄に、特別な重点を置かれます。その事柄は失われる危機に瀕しているものです。これをなす彼の方法は、時として、ある人々の上に御手を置き、彼らを深淵に連れて行く、というものです。そこでは、彼らのいのちと務めにとって、神が与えてくださる啓示だけが唯一の希望です。こうして、彼らは証しを委ねられるようになります。この証しは特別な務めを生み出します。その務めはキリストのからだに対してであり、キリストのからだにおいてであり、キリストのからだを通してです。そのような務めのために、神は伝達手段や器を生み出したり、起こしたりされるかもしれませんが、大事なのはただ務めだけであって、「運動」、宗派、組織ではありません。個人的利益が排除されるよう、神は配慮されます。そして、人や手段を重んじようとする傾向のいかなる兆しも、すみやかに神の不興を被って阻止されることになります。このように深遠な方法で「大きな代価を払って、この自由が買い取られた」結果、人に属する者ではなく神に属する者にされます。ですから幸いなことに、神の御旨の実現に関する思いわずらいからまったく解放されます。これがここで述べている「証し」の性質です。御言葉によるこの啓示が印刷物の形で解き放たれています。これは宣伝や何らかの「運動」を利するためではなく――もし神が用いてくださるなら――「永遠の御旨」に仕えるためであり、ほふられた小羊のために彼の苦しみの実を勝ち取るためです。「それは万物の中で彼が第一となるためです」。

T.A.S.
"Dieulefit"
フォレスト・ヒル、ロンドン
一九二〇年代末より