主の囚人

T. オースチン-スパークス

エペソ人への手紙三章一節、四章一節、テモテへの第二の手紙二章九節、一章八節

あるとても現実的な意味で、使徒パウロの人格と経験はこの時代の教会史を体現するものでした。啓示を委ねられる人は、「私はあなたのしるしです」と言えるほど、その啓示を自分の存在と生涯の中に造り込まれなければならないこと、これがまさに神のエコノミーの一つの原則であると思われます。今あげた一つの節を見ると、パウロの生涯の晩年は縮小と制限の過程を辿ったことがわかります。それは一つには「大きな堕落」のためであり、またもう一つには、彼が代表していた証しを一般を対象とするものから特定の人を対象とするものに狭めなければならなかったためです。これはまさに、「終末」の状況について正確に予言されていることです。最後の手紙のテモテへの預言的な言葉の中でこれが特に述べられているのは、意味のないことではありません。ですから、後期の手紙に出てくる「主の囚人」というこの句には、預言的な意味がありますし、主の主権の最後の道をみごとに説明しています。

Ⅰ.神の御旨により、制限された場所にある、主の証しの僕

パウロが囚人としてローマに行くことになったいきさつの記録を読むと、とりわけ、「この者はカイザルに上訴していなければ、釈放されていたでしょう」というアグリッパの言葉を読むと、「何か間違いや予想外のことがあったのでしょう。それさえなければ、もっと好ましい結果になっていたでしょうし、使徒の務めも自由に拡大していたでしょう」と感じずにはいられません。パウロ自身、「衝動的に皇帝に上訴していなければ……」と思うよう誘惑される、つらい時があったかもしれません。しかし先に進むにつれて、主がしばしば彼に語って光を与えられたことにより、次のことが明らかになりました。すなわち、たとえその出来事が人間的に解釈されてきたとしても、その出来事全体の中には神の主権的支配があったのです。また、彼が牢獄にいたのは皇帝の囚人としてではなく、主の囚人としてだったのです。

たぶん、パウロはこれを一度にすべて受け入れたわけではなかったでしょう。おそらく、どうなるかわかっていなかったでしょう。「裁判はすぐに終わって釈放される」と、多かれ少なかれ思っていたかもしれません。愛する聖徒たちの間でさらに務めを果たしたいという望みが、彼の手紙から絶えることはないように思われます。(一回目の投獄の後、おそらく短い釈放の期間があったでしょう。)しかし彼はついに、主の道として急速に明らかになりつつあったことを完全に受け入れました。「この道はキリストのからだにとって最大の益になる」ということが、ますます彼に明らかになりました。これからわかるように、イエス・キリストの啓示の究極的最大事、個人的救いを超えた事柄、救いを遙かに超えた永遠の時の前からの神の御旨に関する事柄に、主の民が導かれて直面する時、縮小、封鎖、制限がなされなければならないのです。それまでは多くの活動がなされてきましたし、それはみな諸事を特定の場所や状況にもたらすうえできわめて適切なものでした。しかし今や、それらを推進することはやみ、もっと強烈なものが必要になります。

神の究極的御旨を最も完全に証しするもの、そしてそれに最も迫る証しを示すものは、次に、準備段階では必要だった神からの多くの良いものを剥ぎ取られ、究極的なものの中に閉じ込められなければなりません。この閉じ込めは真理の理解のためでも、教理の受け入れのためでもありません。啓示に続く経験と、経験を解き明かす啓示により、存在のまさに繊維中にそれを造り込まれるためです。これは信奉している解釈のために戦うことではありません。それはその僕たちの命そのものであり、その僕はまさにその化身なのです。そうなることを望むかどうかの問題ではなく、囚人になるしかないのです。神の主権がそうしたのです。

Ⅱ.神の光の中で物事を見て、受け入れることの重要性と意義

これはパウロと、彼と接触を持つよう導かれた人々の両方にあてはまりました。使徒は投獄の件で神の主権的案配に服しましたが、その結果、ますます光が増し加わって霊的解放に至りました。

いわゆる「獄中書簡」に含まれている、務めのこの途方もない豊かさを認めないわけにはいきません。もし彼が強情で、不機嫌で、反抗的で、苦々しく思っていたなら、天は開かれなかったでしょう。そして、主との論争の霊により、さらにまさった神の啓示や解き明かしへの扉は閉ざされ、封じられていたでしょう。

神の御心にしたがってすべてを受け入れたとき、「天上」が彼の歩む永遠の空間となり、地的束縛は天的自由に場所を譲りました。主の証しのいっそう高い権益のために取り分けられている僕も、みなそうでなければなりません。彼の書簡と投獄の記録の中からある節を読めば、これが他の人にどうあてはまるのかがわかります。

「ですから、私たちの主の証しを、また主の囚人である私のことを、恥じてはなりません。」(テモテへの第二の手紙一章八節)
「彼は自分で借りた住まいに満二年滞在して、自分を訪ねてくるすべての人を受け入れ(中略)主イエスに関する事柄を教えた。」(使徒の働き二八章三〇節)
「どうか主がオネシポロの家にあわれみを賜わりますように。なぜなら、彼はしばしば私を新鮮にしてくれましたし、私の鎖を恥とも思わないで、ローマに来た時、熱心に私を捜し回り、見つけ出してくれたからです。」(テモテへの第二の手紙一章十六節)

これらの節の主旨は明らかに、パウロの立場に関しては人間的評価ではなく神的理解が必要だった、ということです。人間の精神の水準では、疑い、疑惑、疑問といった空気が生じていたでしょうし、見当違いの非難という要素も潜り込んでいたでしょう。天然的な筋道で見ているだけだったなら、囚人と関わりを持つことは疑惑や偏見の中に巻き込まれることを意味したでしょう。主の僕に対する疑いがかなり広まっていましたし、主の民の多くですら彼についてはっきりしていませんでした。しかし、主はとても重要な啓示をこの経路に限定しておられました。そして、霊的必要を真に抱えている人や、生き生きと豊かな証しを担うべき人々は、人間的、個人的、対外的思惑をすべて捨てて、その僕と共に、神が栄誉ある投獄によりその僕を置かれた所に立たなければなりませんでした。その証しは、死と復活におけるキリストとの一体化から、「支配たちや権威たち」に対して力を及ぼす彼との御座結合にまで及び、「来たるべき時代」の務めにまで及びます。その器を通して来るものを得るには、評判や影響や人気を気にせずに、その器のいる所に来なければならなかったのです。

このような方法で主はご自身の民をふるいにかけ、誰が本当に完全にご自身とその証しの味方なのか、誰が他の思惑や興味によって多少なりとも動かされているのかを、看破されます。ですから、大衆から拒絶されるこの立場にあるその僕は、真に必要を抱えている人や動機の純粋な人を探し出すための主の手段なのです。彼らはその僕を探し出し、その僕は彼らの必要に応じます。

Ⅲ.恥、非難、制限はしばしば、キリストのからだ全体を豊かにする神の方法である

これはこれまで常にそうでした。完全な啓示にどれほど迫れるかは、常に相応の代価によりました。証しのための僕はみな、疑いや非難の下に置かれてきました。その度合いは、主に対する価値の度合いに応じていました。そしてこれは、彼らは人間的にそれほど制限されていたことを意味します。多くの人が後退し、堕落し、遠ざかり、疑い、恐れ、問いを発しました。しかし、「あなたたちのための私の艱難、それはあなたたちの栄光なのです」(エペソ人への手紙三章十三節)、「あなたたち異邦人のためのキリスト・イエスの囚人」(エペソ人への手紙三章一節)とパウロが言えたように、主にあって受ける制約の度合いが主の民を富ませる度合いなのです。啓示が豊かであればあるほど、理解する人は少なくなり、遠ざかる人の数は増えます。啓示が臨むのは、ただ艱難と制限によります。経験的に啓示を得ることは、何らかの形で代価にあずかることを意味します。しかしこれこそ、神がご自身のために霊的な苗床を確保される方法なのです。

苗床は集約的なものです。そこでは非常に制限された大きさにまで狭められます。直接目に見えるのは遠大な眺めではありません。しかし、すべてはまず種に照らして判断されます。そこでは物事の実際の意味が常にわかるとはかぎりません。しかし世界中を旅すると、この制限された集約的な苗床の表現である、とても多くの園が見つかります。そのような苗床がかつてもしあったとするなら、それはローマにおけるパウロの牢獄でした。

これはみな、主の証しに関して、個人生活にも適用できます。制限や制約に対する苛立ち、そしてもっと広々としたもの、あるいはあまり制約されていないものに対するそわそわした欲求がしばしばあるかもしれません。主が私たちを今いる所に置かれた以上、私たちがそれを信仰によって受け入れるなら、それは人のいかなる判断をも遙かに超えたものになるでしょう。「投獄のおかげで一九〇〇年間、主イエスに対する自分の価値は絶えず増していくことになる」とパウロが考えていたかどうか、私にはわかりません。個人に言えることは、団体、会衆、主の民の群れにも言えます。主の民は地上に散らされていますが、主の全き証しに関する交わりにおいては一つです。どうか主が、牢獄の壁という人間的側面にすぎないものを恵み深く遠ざけてくださいますように。そして、人々や環境によって制限されているのではなく主の中に閉じ込められていること、また、これはこの牢獄を通してすべての時代、すべての領域に至るものであることを悟らせてくださいますように。

T. A.-S.