神の辛抱強さ

ゴルドン・ワット

勝利者誌 一九一四年 六巻 十・十一月号 掲載。マトロック大会でのメッセージ。講演者による校正はされていません。

「あなたたちの中で良いわざを始められた方が、イエス・キリストの日までに、それを成就(欄外)してくださることを確信しています。」――ピリピ一・六。

この御言葉は、勝利の生活の神聖な面を垣間見せてくれます。印象的な奮い立たせる言葉を用いる偉大な能力をパウロがどれほど持っていたかは、ご存じでしょう。彼の数々の手紙で、彼はあらゆる世代の人々を高揚・鼓舞しました。この節はその力の一例です。それは私たちの目を生活のちっぽけさや失敗から、必ず成就する偉大な全能者の計画へと引き上げます。それにより、私たちは少しのあいだ、戦いのどちらかと言うと個人的な面を忘れて、神の偉大さを垣間見ます。神の偉大さは、理解するのが少し困難なことも時にはありますが、私たちの中に信頼と感謝を吹き込んでくれます。

パウロはここで、人間生活に対する神の御旨に関する確固たる保証を私たちに与えます。この節のように、彼が明快な断定的言葉を使う時はいつでも、私たちはそれをこう受け取ることができます、すなわち、彼には私たちに伝えるべき特別に重要なことがあるのだ、と。この箇所もそうです。

確信しています」。彼の手紙の他の箇所では、彼は「私は確信する」と述べています。「確信しています!」。彼はこの節により、あるビジョンが見えるようになる地点に私たちを連れて行きます。神が優しい麗しさで私たちのクリスチャン生活の中で偉大な贖いの御業を開始されるビジョンです。神はそれを一歩ずつ啓示し、御業の意義と範囲を増し加え、何度も何度も、日毎に変化する新鮮な賜物と新しい恵みを与えてくださり、ついにあの瞬間が訪れます。その時、瞬く間に、神はこの偉大な御業に触れてそれを成就し、生活と働きを全く、永遠に完成させてくださいます。

彼は始めたことを成就されます。これが、私たちに注視させようと使徒が描いた絵のように思われます。そして、この節はある事実を示しています。その事実は、私が思うに、私たちのこの集会の目的に小さからぬ影響を及ぼすものであり、私たちの信仰と奉仕に関する将来に大きな影響を及ぼすものです。

それは神の辛抱強さというこの事実です。私は、どちらかというと戦いの個人的な面から目を離して、神の方を見たいのです。そして、神の御計画と御旨について、この戦いで神が果たそうとしておられる役割を思い出したいのです。そうすることにより、心は安息し、霊は落ち着き、勝利の絶対的確かさを知ります。

彼は始めたことを成就されます。神が失敗することはありません。たとえ地獄の全軍勢が攻撃しても、神は屈しません。彼の偉大な御業に協力しているかぎり、私たちは屈することはありません。辛抱強い性質を、私たち全員が尊敬しています。辛抱強さが特にスコットランド人の特徴であると見なされています――スコットランドでは、「スコットランド人は得るまで一致団結する」と言われています。これはつまり、何らかの目標を、それが実現されるまで、辛抱強く追い求めることです。

カーレイを思い出してください。彼は途方もない困難に直面した時、友人に、「さて、今、何ができるのですか?」と尋ねられて、「こつこつと働くことができます」と答えました。「それに取り組み続けることができます」。これこそ、悪しき者の面前で現すようパウロがエペソのクリスチャンたちを励ましたのと同じ精神ではないでしょうか?「こういうわけで、神のすべての武具を取りなさい。それは、あなたたちが邪悪な日にあって抵抗することができ、またすべてのことをやり抜いた後も、なお立つことができるためです」。辛抱して、立ち続けるのです。世人が最も尊敬する人は、敗北しかけている大義に力を投入して、辛抱強さと決意によって形勢を一変させ、敗北以外なかった所に勝利と大成功をもたらす人です。

私たちのエホバ・イエスは始めたことを成就されます。なんという力がこの事実から私たちに臨むことでしょう!なんという力が宣教士に臨むことでしょう。大いに期待をかけてきた人の生活が何らかの悪魔的襲撃に対して立つことに失敗するのを見ても、彼は上を見上げて、「主よ、あなたは始めたことを成就されると信じます」と言います。あらゆる困難、無反応、無関心に直面する時、なんという力が家庭で私たちに臨むことでしょう。これを覚えているかぎり、個人的な戦いのときになんという力が臨むことでしょう。私たちの愛する者たち、私たちが気にかけている少年たちや少女たちに関して、これを思う時、なんという力が私たちに臨むことでしょう。彼は始めたことを成就されます。

旧約聖書の聖徒たちはどれほどこの事実を強調したことでしょう。堕落と暗闇の日々の中で、それは彼らの信仰にとって錨のようでした――神が卒倒したり、失敗したり、疲れたりすることはありえない、と彼らは心に深く確信していました。何ものにもまして、私たちに慰めを与えて、そして、さらなる希望と勝利の確信と共に私たちをその日の仕事に送り出してくれるものは、次のことを知ること、また思い出すことです。すなわち、この広い宇宙についてだけでなく、個人生活についても、主イエスは常に辛抱強く、断固として信実である、ということです。

私たちは時々、私たちの主の御性格のこの特質を過小評価してしまいます。私はこう確信しています。私たちに痛みと涙をもたらす課題と試練のただ中で、「神が失敗することはありえない」というこの思想を自分の前に掲げていたなら、もっと高い立場に基づいて、もっと喜ばしい生活を送れていただろう、と。主イエスが疲れることはありえません。彼の御旨は成ります。彼は神秘的な方法で動かれるかもしれませんが、彼は不思議なことをなさいます。

イザヤ四〇・二九が私たちに示しているように、主は、その生活の中に何らかのとらえどころがあるかぎり、その生活を手放されません。聖書は、神の愛の根気強い粘り強さと無限の忍耐で満ちています。イスラエル人の場合を例にあげましょう。ユダヤ国民の現在の状態は、全能の神の素晴らしい不変の永遠の信実さ以外の何を物語っているでしょう?ユダヤ人ほど苦難に遭った国民は世界に一つもありません。それでも、これほどの苦難にもかかわらず、依然として一つの国民なのです。これは神の啓示によってしか説明がつきません。すべての諸国民の中で最も小さな国民が、諸国民の間で最大の影響力を持つようになります――将来、最高の国民になる運命にあるのです。

イスラエルに対する神の約束は成就されることになります。イスラエルは苦しんでいますが、保たれています。神の御手がイスラエルの上にあります。彼は、ご自身の選民に関して始めたことを成就されます。神の辛抱強さはかの日に報われます。その日、「あなたにあって、地の諸国民は祝福される」という御言葉が文字どおり実現します。

新約聖書の中の弟子たちを見てください。彼らはまさにカルバリ前夜に至るまで主を失望させました。彼らの性格の中に自己中心性や頑固さが見られます。しかしそれでも、まさにこの人々において、神の忍耐と愛と辛抱強さが勝利したのです。主は、彼らにペンテコステの賜物を冠として与えた時、勝利をご覧になりました。そして、苦難の中でなされた証しにより、まさにこの世の土台が揺れ動き、王たちと諸々の民は主イエス・キリストの要求に直面し、彼を認め、彼の前にひれ伏さざるをえなかったのです。

神の辛抱強さ。なんと素晴らしい事実、なんという現実、なんという力の源でしょう。これにはある限度があることは承知していますが、それはこの節が伝える使信ではありません。神の辛抱強い御業は功を奏します。彼は始めたことを成就されます――成就されるのです!

聖書の二、三の節を要約しましょう。

エゼキエル十二・二六。「また、主の御言葉が私に臨んで言った(中略)イスラエルの家は言う、『彼が見ているビジョンは多くの日の後のことであり、彼が預言しているのは遠い時のことである』。それゆえ、彼らに言え、主なる神はこう言われる、わたしの言葉はもはや遅れることはなく、わたしが語った言葉は成し遂げられると、主なる神は言われる」。ここに神の保証が記されており、これに基づいて、私たちは神が始められたすべての御業に関して安息することができます。

アモス九・十四、十五。イスラエルの国民生活を成就する御業が示されています。

ゼカリヤ十四・二〇。「その日、馬の鈴の上には、主に対して聖という言葉がある……」。これは個人生活を成就する御業です。隅々までも聖とされるのです。

ヨハネ十三・一。「彼は世にいるご自分の者たちを愛して、きわみまでも愛された」。これは神の愛の御旨を成就する御業です。

へブル七・二五。「彼は彼らをきわみまで救うことができます(中略)彼はいつも生きていて、彼らのためにとりなしておられるからです」。彼は救う恵みを成就する御業を行われます。

黙示録五・九。「彼らは新しい歌を歌って言った、『あなたはその書を受け取って、その封印を開くのにふさわしい。なぜなら、あなたはほふられ、あなたの血によって私たちを神へと贖い(中略)私たちを私たちの神のために王とし、祭司とされたからです。私たちは地上で支配します』」。これはカルバリの勝利を栄光のうちに成就する御業です。この御業が救い主を通して贖われた者に臨みます。贖われた者はあらゆる土地、あらゆる国から来て、小羊に満足して喜びます。

救い主の辛抱強さ――神の辛抱強さ。彼は始めたことを成就されます。自分自身に関して、自分の働きに関して、自分が祈っている愛する者たちに関して、私たちはこの学課をもっとよく学びたいと思います。神はご自身の働きを成就する御業をしてくださる、と信頼する学課をもっとよく学びたいと思います。

彼は始めたことを成就されます。そしてついには、私たちの主イエス・キリストが現れる日、彼は永遠の賛美と栄光でそれを飾られるのです。アーメン。